[公開読書]サードプレイス —コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」―【序論〜第2章】
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[公開読書]サードプレイス —コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」―,2013, レイ・オルデンバーグ:著, 忠平美幸:訳, マイク・モラスキー:解説, みすず書房 http://t.co/tCSjVrDWeY 原著→The Great Good Place:1989
2013-10-31 23:57:19序論(P33〜P36)
序論 すぐれた文明と都市には「人のよく集まる気楽な公共の場」があるという共通点がある。このような「とびきり居心地よい場所(グレート・グッド・プレイス)」は、市民の日常生活に組み込まれ、都市景観の一部になり、都市のイメージを特徴づける。このような場では、よそ者もくつろげる。
2013-10-31 23:57:36逆にいうと、インフォーマルな公共の場がないと個人と個人の隔たりが大きくなる。アメリカはそのような事態になっているし、それは昔より進んでいる。 アメリカ人は息抜き・娯楽・交友・安全を一人で自宅でやっている。しかし、自宅は社会との繋がりをもつのではなく、社会からの避難所になっている。
2013-10-31 23:57:55アメリカの都市開発により、個人が自発的に他者と関わる場所やその種類は減ってしまった。 本書は、インフォーマルな公共生活を取り巻く町や都市についての賛成論を唱える。 本書の考察は大きく3つに分かれる。それは、サードプレイスの「本質」「実例」「諸問題」である。
2013-10-31 23:58:15第一部(P40〜)
第1章 アメリカにおける場所の問題(P40〜P63)
問題の所在
第一部 第1章 アメリカにおける場所の問題 マックス・ラーナーが「America as a Civilization(文明としてのアメリカ)」で指摘したように、近年のアメリカでは「一体感のある生活集団の新たな形」を模索しなければ、ますます生活が殺伐してしまうといわれてきた。
2013-10-31 23:59:13ラーナーの指摘はその通りになり、今のアメリカ人は生活に満足していない。 一瞬だけ「新たな形のコミュニティ」にみえたのは自動車依存型の郊外生活だった。しかし、分譲地での生活はその土地への郷土愛や帰属意識を育まない。住宅街=コミュニティではないし、分譲地の家並みは統一的で無個性である
2013-10-31 23:59:30郊外は単なる基地である。そこから個々の人間は別の場所に出かけていくため、結果的に郊外生活は個人の生活を細分化するようになった。 また、郊外住宅に住む人は転居しやすい。自分の色がついたものは引っ越しとともに移動していく。分譲地は居住者を引き止めるよりも出て行く気にさせる力の方が強い
2013-10-31 23:59:43そもそも、郊外住宅や住宅街に家族や個人を生涯ずっと見守る態勢が備わっていない。実際、ヨーロッパからの移住者はアメリカの住宅地に地域生活(コミュニティ・ライフ)がないと感じている。イギリス人がアメリカに来て恋しくなるのは行きつけのパブであるというが、アメリカには近所にそれがない。
2013-10-31 23:59:55他にもこんな問題が ・ヨーロッパに比べアメリカでは外出して楽しむ事が疲れる ・アメリカの主婦は忙しく活動して孤独を埋め合わせてる ・郊外暮らしの子供は地域から何も得られてないのに共働きの影響で家族からも何も得られてない→なんとか学校や家以外で過ごそうとするが地域内で行く場所がない
2013-11-01 00:00:17アメリカで郊外の増殖は歯止めがかからなかった。ドロレス・ハイデン(都市史学者・建築家)は、その理由は「活気が失せた地域に代わって、自分の大豪邸(家)をコミュニティの代わりにしようとしたため」と説明する。ただし、このように家を都市から切り離そうとする背景については見解が分かれている
2013-11-01 00:00:28こうして人々はますます公共より個人を優先させていく。そして、未来の豊かな暮らしが家庭にしかない事を思い知る。統一的な町並みはつまらなく、思いもよらない出会いは家の外にない。そうなると人々は隣人と付き合おうとするが、彼らと徐々に距離を近づける方法をもってないので、上手くいかない。
2013-11-01 00:00:39このような住宅街で近隣住民が集うには、互いの関係が良好に続いていくことが必須であるが、かなり難しい。一度決裂すると、関係修復が難しかったり、引っ越されてしまったりする可能性もある。そうなると、友達付き合いやご近所付き合いに努力するだけの価値があるとは思えなくなってしまう。
2013-11-01 00:00:59インフォーマルな公共生活がないと…
インフォーマルな公共生活がない為に、アメリカ人の活動は自宅と職場に限定され、「二地点滞在型(P49)」の日常生活が定着し、家庭でも仕事でもない「充足と社会的つながりの第三領域(同頁)」がなくなってしまった。そして、仕事と家庭への期待が過度に増大するようになってしまった。
2013-11-01 00:01:16コミュニティに欠けているものを職場と家庭で供給する事はとても荷が重い。家庭では離婚が増えている。今のところ伝統的な家族に匹敵する生活様式は新たに見出されていない。労働者もストレスを抱えている。そして、都会でストレスを解消しようとすると非常にお金がかかってしまうのだ。
2013-11-01 00:01:30ストレスについて、アメリカ世論は 「ストレスを与えるのは社会だが、その解消は個人の責任だ」 「ストレスは今の社会では当たり前なのだから、緩和するには体制の外に出るしかない」 「家の外に出ると『病気』になり、家に引きこもると『治る』」 と思い込んでいる。ヨーロッパ人と大違いである。
2013-11-01 00:01:55今の中流階級の生活は割高(しかし満足感は高くない)なのに対して、インフォーマルな公共生活では暮らしは割安になる。息抜きや娯楽、施設が公的に共用されるから。 ちなみに、消費行動は広告で促される。しかし、インフォーマルな公共生活の発展は金銭的な繋がりの外にある。だからお互いは敵同士。
2013-11-01 00:02:12インフォーマルな公共生活が発展している文化圏では貧困は重い負担にならない(質素な生活は迫られるが、しかし恥辱を感じることはない)。そこでは、個人に対しては所有物の足りないものを補い、裕福な人に対してはお金で買えないものの多くを提供する。つまり、日々の営みの補完が起こるのである。
2013-11-01 00:02:23他にもこんな現象も… ・インフォーマルな公共生活が乏しいと、一方で家庭向け娯楽産業は発展する。 ・インフォーマルな公共生活がないから、人は職場に社交場を求める。仕事と遊びの境界が分からなくなることも。
2013-11-01 00:02:42解決に向けてーーサードプレイス
住民に魅力的な公共生活を提供している町や都市では、街路や歩道、公園や広場、公園道路(パークウェイ)や大通り等の隙間空間(インタースティンシャルスペース)に色々な人々が立ち、座り、歩いている。しかし、ヒューマンスケール(人間の身体を設計基準にした空間)からは魅力的なそれがみえない。
2013-11-01 00:02:59