[公開読書]サードプレイス —コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」―【序論〜第2章】
- shirasan41
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くつろいだ充実の日常生活を送る為「3つの経験の領域のバランス(P57)」をとるのが重要 ・家庭 ・報酬を伴う or 生産的な場 ・広く社交的な、コミュニティの基盤を提供し、かつそのコミュニティを謳歌する場 各領域は物理的に隔たっているが相応の繋がりがある。また独立した自律性がある
2013-11-01 00:03:31経験の第三番目の領域の候補の名前は何がよいだろう。「たまり場(ハングアウト)」は否定的な含みがあり、いかがわしい場所や怪しげな店を想像させる。ということで、本書では独自の言葉「サードプレイス(第三の場所)」を「インフォーマルな公共生活の中核的環境」という意味で使うことにする。
2013-11-01 00:03:46「サードプレイスというのは、家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称(P59)」である。
2013-11-01 00:03:57第一の場所:家庭。 3つの場所のうちで最も重要。子どもにとって、初めての定まった、かつ予測のきく環境。発達に多大な影響を及ぼす。家庭は、個人が職場に属する前から、またリストラされても、彼らをずっと保護するだろう。
2013-11-01 00:04:11第二の場所:労働環境。 個人を単一の生産的な役割へと変える場(P60)。労働環境は競争意識を高め、出世の意識をかきたてる。また、生計の手段を提供したり、物質的な生活の質を向上させたり、果たしなく続く時間を自力で組織化できない大多数の人びとに代わって組織化したりもする(以上同頁)。
2013-11-01 00:04:25「産業化以前、第一の場所と第二の場所は一つだった。産業化は、居住地から仕事場を切り離し、家庭から生産性の高い仕事を奪い去り、それを距離的にも倫理的にも精神的にも家庭生活から遠ざけた。わたしたちがいまサードプレイスと呼ぶものは、この職住分離よりずっと前からあったのだから、
2013-11-01 00:04:343つの場所の序列は「それぞれに対する個人の依存度(P60)」と「時間に対する要求度(同頁)←どこに時間を多く使っているか」によって変わる。 過ごす時間は、概して家>職場>サードプレイスである。 国によって、サードプレイスの方が他の2つの場所より重視されている(主にヨーロッパ)。
2013-11-01 00:05:07「サードプレイスの目立ちかたは、文化的背景や時代によって異なる(P61)」。 古代ローマでは「アゴラ」や「フォルム」(どちらも公共の広場の意)が重要視され、私的な家庭の価値よりも公的な都市の価値を強く主張していた。 しかし、それ以後サードプレイスは大した存在感を誇ったことがない。
2013-11-01 00:05:26現代では都市の施設は小規模なものが増えたので、サードプレイスは等身大に抑えられ、都市の中にある場所として誰もが利用できるようになっている。しかしアメリカではサードプレイスがほとんどない。都市計画家と住宅開発業者に言わせれば、そのような場所には効率的にお金が落ちないから流行らない。
2013-11-01 00:05:38第2章 サードプレイスの特徴(P64〜P97)
第2章 サードプレイスの特徴 世界のサードプレイス(例:アラビアのコーヒーハウス、ドイツの居酒屋(ビアシュトゥーベ)、イタリアの食堂(タベルナ)、アメリカ西武の昔ながらの雑貨屋、スラム街のバー)には文化をこえた特徴がある。しかし、なぜか今まで注目されてこなかった。
2013-11-01 00:05:54サードプレイスに通うことはストレス源からの逃避や息抜きをこえた意味がある。サードプレイスの外の環境に注目するのではなく、もっと内部で起こることに注目すべきだ。ただし、家庭と仕事の場との対比においてサードプレイスを理解することには、その特徴を理解するために意味がある。
2013-11-01 00:06:05「都市とその近隣住区が、わたしたちにその可能性を約束しているとおりに豊かで多様な交流を提供するには、人の集まってくる〈中立の領域〉がなければならない。個人が自由に出入りでき、誰も接待役を引き受けずに済み、全員がくつろいで居心地よいと感じる、そんな場所がなければならない(P68)」
2013-11-01 00:06:13一見矛盾しているようだが、社交生活を楽しみたいなら互いの生活に深入りせず「一番好きな仲間から逃れることが大いに必要(P67)」である。そのために中立の領域は必要である。極端な話、自分の私生活に友達付き合い等の気楽な交際が入る事が構わない人だけがいたら、都市は本来の役目を果たせない
2013-11-01 00:06:22サードプレイスは人を平等(レヴェラー)にするもの
サードプレイスは人を平等(レヴェラー)にするもの レヴェラー(水平派)とはチャールズ1世の治世に出現し、ほどなくクロムウェル政権下で消滅した極左政党につけられた名称である。その後、17世紀半ば頃に、イギリスで「人を平等にするもの」という広い意味で使われるようになった。
2013-11-01 00:06:38「レヴェラーである場所は、その性質からして、誰でも受け入れる場所だ。一般大衆にも敷居が低く、正式な会員資格や入場拒否の基準がない。人間は、自分の社会階級に最も近い人びとのなかから仲間や友人や親友を選びがちだ。しかし堅苦しいつきあいが可能性を狭め、制約を加えがちなのにたいして、
2013-11-01 00:06:51サードプレイスは可能性を広げる働きをする。誰にでも門戸を開き、社会的身分差とは無縁な資質を重視することによって、サードプレイスは、他者の受け入れに制約を加えようとする傾向を阻止する。サードプレイスのなかでは、地位や身分にかかわらず、当人の人柄の魅力や雰囲気こそがものを言う。
2013-11-01 00:07:00サードプレイスで人は、たいして好きでもないのに職場や家庭で身近に接しなければならない面々のほかに、自分が心から楽しいと感じ、敬服している人びとを加えることによって、つきあう相手の顔ぶれを満足の行くように入れ替えるのかもしれない(P70〜71)。」
2013-11-01 00:07:09更に、レヴェラーである場所では、仕事仲間の別の一面をみれる。社会的役割から離れた本人の個性がみえてくるからだ。 サードプレイスでは世俗の地位にこだわることはやめるべきと要請される。また、個人的な問題や機嫌の悪さも、その楽天的・快活的な雰囲気から一時的に棚上げになることが多い。
2013-11-01 00:07:21会話がおもな活動
会話がおもな活動 サードプレイスにおける会話はお楽しみではなく必要不可欠なものである。会話にはルールがある。オルデンバーグはヘンリー・ドワイト・セジウィッグ(米の法律家・叙述家)の「会話のルール」を引用し、サードプレイスでは以下の7つが存在していると述べる。
2013-11-01 00:07:41(1)自分に割り振られた時間は黙ったままでいる(なるべく長く)。 (2)ほかの人たちが話しているあいだは、その話に真摯に耳を傾ける。 (3)自分の考えを言うが、他人の感情を害さないように気をつける。 (4)誰もが関心をもつ話題でないものは避ける。
2013-11-01 00:08:00(5)自分の個人的なことは極力話さず、そこに集った人たちについて語る (6)説教をしない (7)他の人に聴き取れる範囲のなるべく低い声で話す ※以上P76から引用 サードプレイスでは上記のルールで過不足なく話すようだし、全員が貢献を期待される。社会的身分による発言量の多少はない
2013-11-01 00:09:39