コミュニティと政治参加――レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』と山本理顕『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』より)

【訂正】 ・12番目のツィート(「都」⇒「都市」) ・下から2番目のツィート(「自民」⇒「人民」) 【関連まとめ】「保守イデオロギーと少子化の負の連鎖」(http://togetter.com/li/951594
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直立演人 @royterek

レイ・オルデンバーグの『サードプレイス――コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』を今ようやく読み始めたが、現代社会に特有のストレスやメランコリーの源泉の分析やそれらの克服のための道筋としてだけでなく、民主主義的な政治文化を再建するための手立てとしても大いに参考になる。

2015-11-27 15:39:55
直立演人 @royterek

「サードプレイスは、全体主義社会で実行されるたぐいの政治支配に抗うだけでなく、民主主義の政治プロセスにとって必要不可欠でもある。その最たる例が、われらの国家アメリカだ。というのも、いささか乱暴な言い方かもしれないが、この国の民主主義の起源は、変革期の地方の酒場にあるからだ」

2015-11-27 15:48:57
直立演人 @royterek

「植民地時代のアメリカでは、ほかのどこよりも酒場が、民主主義の公開討論の場になっていた。こうした場での異議申し立ては具体的な行動の形をとり、アメリカ独立革命とそれに続く社会の組織が賛同された」

2015-11-27 15:50:19
直立演人 @royterek

「民主主義のプロセスに欠かせない友人や隣人の気軽な集まりを阻止する手段は、なにも独裁者の公式な命令や政策にかぎらない…わたしたちは、大量建築技術と、土地利用規制条例と、想像力に欠ける都市計画を組み合わせることによって、そうとは知らずに同じ結果を招いている」

2015-11-27 15:54:04
直立演人 @royterek

「もし住宅開発業者が、地元の集いの場がなく、各家庭からそういう場所へとつうじる快適な歩道もないコミュニティを意図的に、しかもその地域社会の政治プロセスを抑止する目的で造るなら、それを反逆罪と呼んでいいだろう。意図的でなくても、結果が同じなら同罪ではないか?」

2015-11-27 15:56:10
直立演人 @royterek

オルデンバーグの『サードプレイス』ようやく読み終わった。戦後日本文化史の専門家マイク・モラスキーも指摘するように、「古き良き」田舎のコミュニティへのノスタルジーやアメリカの白人中産階級に軸足を置きすぎているきらいは否めないが、現代の日本社会が抱える諸問題を考える上でも示唆に富む。

2015-12-11 00:09:11
直立演人 @royterek

『サードプレイス』は、SNSはもちろん、ネット時代の到来以前の1989年に発表された。ネットの普及により、SNSが、現実空間でますます片隅に追いやられているサードプレイスの代替物として人々の交流や情報交換の主要な場になりつつある。対面的関係を欠いたヴァーチャルな空間でしかないが。

2015-12-11 00:32:15
直立演人 @royterek

SNSの普及によって人々の間の感情的かつ知的なやりとりは質量ともに飛躍的に拡大したことは間違いない。それでオルデンバーグが説くような人々の孤独感や孤立感を和らげる有機的で創造的な社会関係が再建されたとは総じて言い難いが、SNSがきっかけでその萌芽が局所的に見られることもたしかだ。

2015-12-11 00:49:21
直立演人 @royterek

奇しくも二人の友人から薦めてもらった本をやっと読んだ。『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(山本理顕):講談社選書メチエ bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9… アーレントの政治哲学に依拠した現代日本の建築/思想批判論。これはみんな読んだ方がいい。

2016-02-26 03:26:33
リンク 講談社BOOK倶楽部 『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(山本理顕)製品詳細 講談社BOOK倶楽部 古代ギリシア都市に見られる領域「ノー・マンズ・ランド」とは何か? ハンナ・アレントが重視したこの領域は、現代の都市から完全に失われた。世界的建築家がアレントの主著を読み解きながら、われわれが暮らす住居と都市が抱える問題を浮かび上がらせ、未来を生き抜くための都市計画を展望する。人が幸せに生きるためには、来たるべき建築家が、公的なものと私的なものの〈あいだ〉を設計しなければならない。
直立演人 @royterek

オルデンバーグの『サードプレイス』を読んで以来、現代社会、ことに現代日本社会に突出して見られる非政治性を装った政治性の病理の根源がようやく見えてきたが、この本は、オルデンバーグによるこのささやかな考察を見事にかつ徹底的に裏づけている。twitter.com/royterek/statu…

2016-02-26 03:38:17
直立演人 @royterek

山本理顕によれば、近代化の過程で現れるとともに大量生産された「労働者住宅」以前の家の内部には、住民を”結びつけると同時に分け隔てる”私的領域と公的領域の中間的な空間が普遍的に見られたという。アレントが"no man's land"と呼ぶその空間は「閾」と呼ばれる普遍的概念である。

2016-02-26 13:16:56
直立演人 @royterek

「家という建築空間の問題はその内部の問題であると私たちは思っている。近代の建築家たちはそう思ってきた。そのような前提に立っている限り、それはその外側の問題、都との関係には決してつながっていかない。「家」という建築空間は「閾」を含んで「家」なのである。」

2016-02-26 04:03:06
直立演人 @royterek

「私的領域の問題はその内側だけの問題ではなく、公的領域との関係なのである」

2016-02-26 04:04:01
直立演人 @royterek

「今、私たちの「社会」の中では建築空間はその政治的な重要性を全くと言っていいほど失ってしまっている。都市空間の構造や建築空間の構造が政治的自由という思想の原因だった、というアレントの指摘を今の私たちが理解することは極めて困難である」

2016-02-26 04:19:52
直立演人 @royterek

「家は単なるプライバシーのための空間ではなくて、政治的自由と深く関わる場所であった」

2016-02-26 04:31:55
直立演人 @royterek

「もともと、この”プライバシー”という概念は、囲い込まれ、隔離されている状態を意味していた。「ギュナイコニティス」(女の領域)の内側にいる人たちを囲い込んでいるわけである。逆にその内側から見れば「なにものかを奪われている(deprived)状態」(アレント『人間の条件』)である」

2016-02-26 04:39:07
直立演人 @royterek

「「私的(private)」という用語は「『欠如している』privativeという観念」(同書)を含んでいるのである。つまり、公的な領域に参加する自由を奪われているという意味である。それは奴隷の状態である。実際、今のわれわれの感覚で言う、いわゆる“家事”は奴隷の労働であった」

2016-02-26 04:41:17
直立演人 @royterek

「完全に私的な(private)な生活を送るということは、なによりもまず、真に人間的な生活に不可欠な物が『奪われている』(deprived)ということを意味する」「他人によって見られ聞かれることから生じるリアリティを奪われている」(ハンナ・アレント『人間の条件』)

2016-02-26 04:52:39
直立演人 @royterek

「自分自身がその周りの人々(他者)と共にいるという実感(リアリティ)が奪われているということである。それは他者を含まない「親密なるもの」のみの生活である。住宅はなによりもその「親密なるもの」の関係を囲い込む空間としてある」

2016-02-26 04:55:14
直立演人 @royterek

「今の私たちは、私たちの私生活が「なにものかを奪われている」状態であるとは全く思っていない。私生活のプライバシーが守られるのは当然だと思っている。私たち自身が私生活を「なにものかが奪われている」状態だと意識しなくなっているのである」

2016-02-26 04:57:41
直立演人 @royterek

「労働者の「個別性やアイデンティティの意識をことごとく本当に棄て去る」ように、そうさせるように労働者都市全体が計画されたのである。労働力の品質管理(人格管理)のためである。こうした計画の中で生み出された住宅が「労働者住宅」である」

2016-02-26 05:21:07
直立演人 @royterek

「家族だけの空間は夢のような空間だった。労働者住宅は夢の住宅だったのである。家族だけの親密な空間である。そこに欠けたものなどなに一つない。建築家たちの考え方であった。そこに住む住人たちの考え方であった」

2016-02-26 05:10:45
直立演人 @royterek

「労働者たちはその労働者住宅に住むことによって、一方では均一な管理社会の住人に、一方で親密な私生活の住人になったのである」

2016-02-26 05:08:50
直立演人 @royterek

「大衆社会では、孤独は最も極端で、最も反人間的な形式をとっている。なぜ極端であるかといえば、大衆社会は、ただ公的領域ばかりでなく、私的領域をも破壊し、人びとから、世界における自分の場所ばかりでなく、私的な家庭まで奪っているからである」(アレント『人間の条件』)

2016-02-26 05:45:32