政治を科学者が間違っているというのは不遜か

パート1.は、早川さん道草さんの発言を私なりに翻訳・解説したもの パート2.は、パート1の説明で使った文脈を道草さんが自己流に解釈していたので、それは意味が違うよ、と解説したもの
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道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida 真偽の判断基準の違いの話ではなく、科学者と政治家の責任の違いについての話だと思います。科学者は真偽不明なものは不明のままにしてもよいが、政治家は何らかの手を打つ責任(とそれに付随する権限)があるということ。

2013-10-31 06:29:39
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida それを科学者固有の論理で「間違っている」と批判するとすれば、そこには科学が政治を支配すべきとの不遜な態度があるというお話。シダさんは「科学者」を「市民」に一般化して本旨を蔑ろにしつつ「不遜」を「禁止」と曲げ読みしている(いた)と思います。

2013-10-31 06:31:09
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida なお、牧野さんの主張との関係については私は知りません。

2013-10-31 06:32:23
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida シダさんはリスク評価という科学の作業を政治や道義の問題と区別せず「御用」の作業と筋違いな批判をしており、ここでは科学と政治の責任の違いを脇に置いて筋違いな「市民による政治批判の自由」問題にスリかえている。

2013-10-31 06:44:10
もうれつ先生 @discusao

「不遜」を「禁止」にまで延長することが直ちに「本旨を蔑ろ」にしていることになるとも言えませんね。QT @KutaroMichikusaシダさんは「科学者」を「市民」に一般化して本旨を蔑ろにしつつ「不遜」を「禁止」と曲げ読みしている @mikiosida

2013-10-31 06:45:08
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida シダさんの発言動機については危険派と安全派のバランス調整のため、という観測もあるが、「理より感情」という思考スタイルが違うものを「違うもの」として区別することを阻害しているだけのようにも見える。

2013-10-31 06:49:00
もうれつ先生 @discusao

件の発言が純然たる「リスク評価という科学の作業」 として政治や道義と区画弁別されている(そう了解されている)かどうかは議論のあるところではないでしょうか。QT @KutaroMichikusa シダさんはリスク評価という科学の作業を政治や道義の問題と区別せず@mikiosida

2013-10-31 06:50:33
もうれつ先生 @discusao

@KutaroMichikusa @mikiosida ゆえに<科学と政治の責任の違いを脇に置いて筋違いな「市民による政治批判の自由」問題にスリかえている>とされる道草さんも勇み足では?

2013-10-31 06:51:28
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@discusao @mikiosida はい、「当否」と「真偽」は違いますね。ただ、政治行為をイデオロギーにまで遷移させる必要は無いと思います。イデオロギーに当否はありませんが、政治行為には結果に対する当否、責任が問われます。

2013-10-31 06:54:51
もうれつ先生 @discusao

論理と情熱的ヴィジョンは両輪。スタイルゆえ「阻害」とするのは当たらない。QT @KutaroMichikusa 「理より感情」という思考スタイルが違うものを@mikiosida https://t.co/bAWlz22rHz

2013-10-31 06:57:17
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

そのような主張を私はしていません。QT @discusao:「不遜」を「禁止」にまで延長することが直ちに「本旨を蔑ろ」にしていることになるとも言えませんね。 @mikiosida

2013-10-31 06:57:28
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

件の発言とはどの発言でしょうか?RT @discusao :件の発言が純然たる「リスク評価という科学の作業」 として政治や道義と区画弁別されている(そう了解されている)かどうかは議論のあるところではないでしょうか @mikiosida

2013-10-31 07:01:47
もうれつ先生 @discusao

いや、「単純な虚偽」をあらわすのに「真偽」、イデオロギー批判に於いては「当否」という区別をしただけで、「虚偽」ということを考える上では同じです。政治行為の結果に対する当否もイデオロギー@KutaroMichikusa 「当否」と「真偽」は違いますね@mikiosida

2013-10-31 07:03:06
もうれつ先生 @discusao

では、このフレーズはとても難渋です→<シダさんは「科学者」を「市民」に一般化して本旨を蔑ろにしつつ「不遜」を「禁止」と曲げ読みしている(いた)> QT @KutaroMichikusa そのような主張を私はしていません@mikiosida

2013-10-31 07:05:25
もうれつ先生 @discusao

@KutaroMichikusa @mikiosida ここで引用されてる早川さんの発言じゃないのですか? https://t.co/r7yUKFcncM

2013-10-31 07:07:21
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

両輪あっても右輪がダンプの車輪、左輪が軽自動車の車輪ならまっすぐ走れません(笑) つまらんレトリックです。RT @discusao :論理と情熱的ヴィジョンは両輪。スタイルゆえ「阻害」とするのは当たらない@mikiosida

2013-10-31 07:07:50
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

「蔑ろに」がその前を受けているか後ろを受けているかは難しいですか?RT @discusao: では、このフレーズはとても難渋です→<シダさんは「科学者」を「市民」に一般化して本旨を蔑ろにしつつ「不遜」を「禁止」と曲げ読みしている(いた)>@mikiosida

2013-10-31 07:10:53
もうれつ先生 @discusao

このフレーズは難渋です←× このフレーズは難解です or このフレーズを理解するのことに難渋してしまいます←○ https://t.co/F4kv2Iwjf3

2013-10-31 07:11:35
もうれつ先生 @discusao

↓がつまらんレトリックであることには同意。私の主旨は「阻害している」と直ちに断定できるのか、ということ。QT @KutaroMichikusa 両輪あっても右輪がダンプの車輪、左輪が軽自動車の車輪ならまっすぐ走れません(笑) つまらんレトリックです@mikiosida

2013-10-31 07:16:29
もうれつ先生 @discusao

それは因果関係が道草さんの中で確定されていると仰っているだけですね。推測するこちらがわにそれを求められても困ります。QT @KutaroMichikusa 「蔑ろに」がその前を受けているか後ろを受けているかは難しいですか?@mikiosida

2013-10-31 07:20:02
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

(どうも話が通じないようだ。何かを主張しているというより自己正当化に熱心なご様子。私はこれから夜まで外出)

2013-10-31 07:20:13
もうれつ先生 @discusao

@KutaroMichikusa @mikiosida あと、TL見ればシダさんが「科学者」「市民」といった文脈を認識せず発言されてることは本人も認めてるくらい明らか。シダさんの無知蒙昧さを嗤うということは(下衆だが)分かるが、それを「一般化して本旨を蔑ろ」云々は筋が違う

2013-10-31 07:37:19

あとがき

もうれつ先生 @discusao

この「科学者・牧野淳一郎の、政治の領域を科学で断ずる行為は不遜である」という早川由紀夫TWの是非をめぐるシダさん&道草さんのやりとり、結論的には「不遜だ」という批判は当たらないのだが、追加TWしてまとめといたほうがいいかな? https://t.co/iipxPHLecq

2013-11-01 21:03:23

イデオロギーがなんで「虚偽」に分類されるかというと、政治的言説が文字通り「恣意的」なものだからだ。
「最大多数の最大幸福」は民主政治の本幹といえるが、「最大多数」対立するマイノリティーからすれば「虚偽」となる。このへんが昨今リベラリズムのなかで「自由」と「平等」の両立として議論されているのはご存じのとおり。
早川・道草両氏の話の流れでは、政治的なことばは限定的真実・局所的真実(つまり政治的言説・恣意的言説)として自覚されて使用されているように了解されてしまう懸念があるが――だから、「不遜」という言葉も出てくるのだろうが――、民主制において政治的なことばは通常「恣意的真実」としては流通しない(非民主的政治に於いてもそうだろう)。例を挙げれば、宮内庁の古墳被葬者認定がほぼすべて誤っていること・議論の分かれることを先日亡くなった森浩一が批判したことは学者として当然の行為であり、まして「不遜」でないことは言うまでもないだろう。
勿論、可及的速やかに対応が迫っているケース――<待ったなしだ>という状況の場合――「政治的」対応で押し切ることは当然認められるものであるが、これとて後に再検討されることが望まれている(そういった主旨は以前早川さんも言及されていたと思うが)。