勇猛さと個人としての戦闘能力が混同されることが多いように感じています。勇敢で豪胆な指揮官は攻勢でも守勢でも活躍しますが、自ら敵を大勢殺すから強いわけではないんですよね RT @k_hisane 割と前者の方が武勇の評価につながる扱いをされることが多いですしね。@1059kanri
2013-11-07 21:02:48身分の高くない武士が一対一の組打ちをすることはあっても、数百人を率いるような身分の人がすることは珍しいですよね RT @1059kanri @k_hisane そもそも武士は戦場で1対1なんて滅多にしませんしねw
2013-11-07 20:56:59大将の個人的な武勇を賞賛する逸話がある半面、そういう状況になる事を批判する逸話もありますしね。 @sweets_street 身分の高くない武士が一対一の組打ちをすることはあっても、数百人を率いるような身分の人がすることは珍しいですよね @1059kanri
2013-11-07 21:02:35呉起という中国の将軍が陣頭指揮を取った時に武器に身につけるように言われると、「大将は指揮用の旗と太鼓を持っていればよろしい。武器を持って戦うのは私の仕事ではない」と答えたそうです RT @k_hisane 大将の個人的な武勇を賞賛する逸話がある半面、そういう状況になる事を批判(略
2013-11-07 21:13:20兵法家伝書でも「刀二つにてつかふ兵法は負くるも一人、勝つも一人のみ也。是はいとちいさき兵法也」といって、個人的戦闘能力を大将の「大なる兵法」と分けてるんですけどね@sweets_street 勇猛さと個人としての戦闘能力が混同されることが多いように感じています@1059kanri
2013-11-07 21:09:38項羽も「剣術をやっても1人としか戦えないからつまらない」と言って兵法を学びましたね RT @k_hisane 兵法家伝書でも「刀二つにてつかふ兵法は負くるも一人、勝つも一人のみ也。是はいとちいさき兵法也」といって、個人的戦闘能力を大将の「大なる兵法」と分けてるんですけどね
2013-11-07 21:18:57その辺で面白いのは家康ですね。大将としての兵法を知りつつ、個人としての兵法にも習熟してるので、それらの分別を説く逸話がいくつかありますし。@sweets_street 項羽も「剣術をやっても1人としか戦えないからつまらない」と言って兵法を学びましたね
2013-11-07 21:24:16例えば、疋田豊五郎の剣を「匹夫の剣」と評した逸話であったり、忠明を召し抱えた際の基準についての逸話であったりするわけで、それらが史実かどうかはともかく、そういう分別を知った人物だという評価がされてる訳で砂>家康
2013-11-07 21:28:26家康は今川家で大将としての教育を受けて10代で自立してからずっと大将だった人だから、骨の髄から染み付いていたのでしょうね @k_hisane その辺で面白いのは家康ですね。大将としての兵法を知りつつ、個人としての兵法にも習熟してるので、それらの分別を説く逸話がいくつかありますし。
2013-11-07 21:27:38@sweets_street @k_hisane 身分低くても少なくとも武士階級なら、最低数名の下人を連れて行くのが普通ですしねw
2013-11-07 21:00:51下人を連れて行っても彼らを指揮して戦うわけではないし、乱戦の中ではぐれることも多いでしょうから、身分が低ければ一対一の場面も多くはなくても有り得るかと RT @1059kanri @k_hisane 身分低くても少なくとも武士階級なら、最低数名の下人を連れて行くのが普通ですしねw
2013-11-07 21:07:18@sweets_street @k_hisane ただ、どうも『強い武士』って言うものは、下人との連携とチームプレイが機能している人たちだったフシがありますねw
2013-11-07 21:09:03武士ではなく戦い慣れてない下人を上手に扱えたら、確かに巧者だろうと思います。そもそも臨時雇いの下人である場合も多いですし RT @1059kanri @k_hisane ただ、どうも『強い武士』って言うものは、下人との連携とチームプレイが機能している人たちだったフシがありますねw
2013-11-07 21:16:33@sweets_street @k_hisane そういえば関ヶ原で西軍がアレだけ崩壊が早かったのは、合戦前に機内の牢人や下人をかき集めたので、軍隊としての質が悪かった、という説があるそうですね
2013-11-07 21:33:14宇喜多隊なんて前年の宇喜多騒動で譜代の家臣がごっそりいなくなった穴を牢人雇って埋めてたような @1059kanri @k_hisane そういえば関ヶ原で西軍がアレだけ崩壊が早かったのは、合戦前に機内の牢人や下人をかき集めたので、軍隊としての質が悪かった、という説があるそうですね
2013-11-07 21:37:09@sweets_street @k_hisane やはり急ごしらえの軍隊では、負けだすともう止まりませんね。堪えることが出来ない
2013-11-07 21:39:30歴戦の勇者を急に集めたとしても連携取れないですしね。大坂の陣で大坂方が統率に苦労したのもやはり牢人を主力にしたからでしょうし RT @1059kanri @k_hisane やはり急ごしらえの軍隊では、負けだすともう止まりませんね。堪えることが出来ない
2013-11-07 21:44:49武将格でも奉公構喰らったり、勝手に家を出奔したようなのもいる訳ですしね。下は何を言わんや。@sweets_street 歴戦の勇者を急に集めたとしても連携取れないですしね。大坂の陣で大坂方が統率に苦労したのもやはり牢人を主力にしたからでしょうし @1059kanri
2013-11-07 21:48:41報酬目当てもいれば、再就職目当てもいるでしょうね。いずれにせよスタンドプレーでアピールする機会を伺ってる人達だから扱いにくいですよ RT @k_hisane 武将格でも奉公構喰らったり、勝手に家を出奔したようなのもいる訳ですしね。下は何を言わんや。 @1059kanri
2013-11-07 21:52:52@sweets_street @k_hisane 冬の陣では織田有楽斎をはじめとした首脳部と七手組の面々が、ギリギリ牢人達をなんとか統率していたので、有楽斎の手腕というのはもう少し評価してあげてもいいかもしれませんね。講和の後「俺にはもう無理」で逃げ出しましたけどw
2013-11-07 21:49:07織田有楽は割と戦歴豊富なんで、睨みを効かせられたのかもですね RT @1059kanri @k_hisane 冬の陣では織田有楽斎をはじめとした首脳部と七手組の面々が、ギリギリ牢人達をなんとか統率していたので、有楽斎の手腕というのはもう少し評価してあげてもいいかもしれませんね(略
2013-11-07 21:57:47戦前には信雄を大坂方の大将に据えようという動きも有りましたね。一癖も二癖もある牢人達が大人しく従うような権威がある大将の必要性がよくわかります RT @1059kanri @k_hisane 実際、織田有楽が退城すると、大阪城内はもう支離滅裂ですからね
2013-11-07 22:01:18@sweets_street @k_hisane そうなんですよね。構成の人は織田信雄を大将にしようとしたことを笑いますけど、「先の内大臣であり、信長の息子」という格は、大変重大なものだったと思います
2013-11-07 22:09:06能力は優秀な参謀をつければ補えるけど、格やそうはいかないですからね。だから戊辰戦争でも皇族が官軍の大将を務め、下級武士が参謀として事実上の指揮官を努めたわけで RT @1059kanri @k_hisane そうなんですよね。構成の人は織田信雄を大将にしようとしたことを笑いま(略
2013-11-07 22:14:02