道徳の時間の現状に対する考察と提案

道徳の教科化で「特定の価値を押し付ける…」と言われるが,今の小中の道徳の現状ってどうなの?ということはほとんど語られない。道徳の時間の現状と,それを克服するための提案をつぶやいてみた。
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木原 一彰 @kh_kaz

「特定の価値の押しつけ…云々」についてツイートしたところ,フォロワーの少ない自分にしてはそれなりの数のRTをいただいきました。多くのご批正をいただく覚悟で,自分の思いをこの空間にオープンにします。興味のない方にはご迷惑をおかけします。スルーしてやってください。

2013-11-12 23:51:02
木原 一彰 @kh_kaz

まず,今の学校教育における道徳教育及び道徳の時間が「価値の教化」をしていないかといえばそんなことはない。学習指導要領道徳編で,教育の目標である人格の完成を念頭に置いた内容項目が例示され,児童生徒に価値の自覚を深め,身につけ発展させていく必要があると明示されている。

2013-11-12 23:51:28
木原 一彰 @kh_kaz

学習指導要領道徳編を読んだことのある人ならご理解いただけると思うが,この内容項目が「そう在ることができれば望ましいことだ」ということは,知的にであれば理解することは容易である。つまり,「それっていいことだよね」とか「正しいことだよね」ってことは,低学年でも簡単に分かる内容である。

2013-11-12 23:52:40
木原 一彰 @kh_kaz

低学年でもと書いたが,低学年から中学年くらいにかけては「なぜ正しいの?」と聞いてあげることが大事だし,低学年こそ価値の知的理解をより確かなものにするために道徳の授業を通して認識を深めてあげたい。自分では分かったつもりでいても,友達の話を聞いて正しさを再認識することはよくあるから。

2013-11-12 23:53:50
木原 一彰 @kh_kaz

また,低学年において,価値についての共感的な理解を深めるためには,道徳の時間の学習の中で「主人公の気持ちを追って考えること」は重要だし効果的。道徳の時間の指導の典型的なパターンである「この時はどんな気持ちだったか」を問うていく学習展開も,低学年では十分ありだと思う。

2013-11-12 23:54:23
木原 一彰 @kh_kaz

ところが,この指導パターンがまるで鉄板であるかのように,小学校高学年,いや,下手をすれば中学校でも為されるから始末が悪い。先にも述べたように,「それは望ましいことか,正しいことか?」を判断するための価値の知的理解だけを望むなら,中学校編の内容だってまったく容易である。

2013-11-12 23:54:45
木原 一彰 @kh_kaz

しかし,高学年から中学校の道徳の時間でも,相変わらず主人公の気持ちを問いながらその価値の正しさについての知的理解を深める授業に終始している。嘘だと思ったら,B社やG社といった道徳の副読本会社の指導案集を確認されればいい。年35時間,見事に気持ちを問うて終了の指導案のオンパレード。

2013-11-12 23:56:19
木原 一彰 @kh_kaz

この時期の児童生徒は,価値の知的理解の段階など,とうに過ぎている。例えば「節度を守り節制に心掛けることは大切だ」とか「時と場をわきまえて礼儀正しく真心を持って接すべき」なんてことは頭では理解できている。でも,実生活でそれが実践できないのも,この時期の児童生徒の特徴ではないか。

2013-11-12 23:59:07
木原 一彰 @kh_kaz

なのに,判で押したように「主人公の気持ちは?」と問い続け「○○することは大切だね」なんて結論めいたことに引っ張っても,教室に冷たい空気が走るだけ。こんなことしてるから,この10年,高学年から中学校にかけて道徳の時間の受け止めが急激に悪くなるといわれながら,一向に改善できないのだ。

2013-11-13 00:01:28
木原 一彰 @kh_kaz

道徳の時間が教科化されなくても,現段階で特定の価値の教え込みは為されているし,一概にそれを否定するものではない。しかし,児童生徒の受け止めの実態を考慮せずに,気持ちばかりを問いすぎて終いには気持ち悪くなるような,価値の知的理解に終始した価値観の押しつけ授業の現状は看過できない。

2013-11-13 00:02:10
木原 一彰 @kh_kaz

「わかってもできない」児童生徒に対し,「人の生き方は,その環境や状況により様々だが,自分の道徳的実践意識を揺さぶるとともに,社会的にも十分に許容される生き方や在り方が必ずある。それを自分なりのこだわりの中から見つけ出し,自らの価値観として構築しよう」という授業ならアリだと思う。

2013-11-13 00:04:38
木原 一彰 @kh_kaz

例えば「くじけないで努力する」という価値の教化では「わかってもできない」で終わるが,他の諸価値と関連付けて構造化したり,環境を整理し条件付けして考えたりすることで,「家族のためならできるかも」「得意な部活でならできる」「文化祭では友達と心を一つにできた」など,十分議論になる。

2013-11-13 00:06:26
木原 一彰 @kh_kaz

私の実践の多くは,「生き方を支えた思いを多様に考える」ことで,授業のねらいである主たる価値と他の諸価値の関係をそれぞれの児童のこだわりに基づいて構造化していく授業である。(授業を求め実践しているといったほうが正確かな)そのために最も効果的なのが先人の生き方に学ぶことだとも思う。

2013-11-13 00:07:50
木原 一彰 @kh_kaz

ひとつの状況,ひとつの価値だけで人の生き方を考えさせ,価値を内面化させようとしても高学年から中学校にかけての児童生徒には無理がある。私のやり方でなくても,同様の概念で別の授業方法も作り上げられるはず。そういった実践が質・量ともに増えれば,道徳の時間の受け止めも改善されると思う。

2013-11-13 00:08:10
木原 一彰 @kh_kaz

「価値を押し付けないことが真の道徳教育だ」とは言わないが,そう受け止める人もいるようだ。でも,人間の生き方が「単一価値」と「実践」の一対一対応で成り立っているかのような認識(だから,ルールに固執するのね)が教育を語る人の中にも多いというのはどうなのかなあ?(長文失礼しました)

2013-11-13 00:09:49