- JO_JO_t_kaoru
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しかし、民主主義以外の国家や国民はその感覚がなく、また民主主義の成り立ちの如く、一度感性を伸ばそうと試みる。つまり「社会を馴らさなければならない」、「人を、感覚を馴らさなければならない」。
2013-11-13 22:40:23それはある種、民主主義国家がこうやった方が良いよと助言しても「一度、痛い目みないと、その業の強さを測れないのだ」。むしろ今まではそういう業なるものを国家による抑圧と一緒に殺してきたのだから、その業に対する距離感や、業に対する対処のタイミングが、、、彼らは「わからない」。故に、
2013-11-13 22:43:14文化革命の生き残りの現在の中国国民の感覚をみれば、その業に対する距離感や対処のタイミングの下手さが、よくわかる。
2013-11-13 22:44:13中国四千年の歴史?笑わせる、文革によりリセットされた彼の国に誇れる感覚の幅(コツ)はもう「無い」に等しい。
2013-11-13 22:50:56ちなみに韓国は論外。まず「恨文化」を捨てて、「歴史」を踏襲しない限り、彼らはその感覚の幅(コツ)を共有できない、彼らはそのコツの存在を知っていて、それさえも「改ざん」する、ほとんど精神疾患の患者である。彼らに必要は「治療」。
2013-11-13 22:53:42さて他国のそれはもう良いとして、それでは民主主義国家、いや人の前進のために、民主主義を良きものとしてきた場合、その前とは何か?
2013-11-13 22:55:50その「前」とは?前に進む、前進だ、前に進めるであろう、と、今の今まで「前」の話しをしてきたが、ではその「前」とは何か、、、
2013-11-13 22:57:13それも単純である、自らが幸せになりたい、その自らの幸せの中に、自らが想う人々が良くあって欲しいと願う気持ち、そして彼らが、しっかりと自らの世界で生きていって欲しいと願うこと、一般の人ならこれぐらいの願いがあり、それが満たされれば「多幸」に感じるかもしれない。
2013-11-13 23:00:25そして生物的にいえば子々孫々を後世に残すこと、そして感覚の幅(コツ)の共有、継承である。それにより「前」として定義できるのではないだろうか。
2013-11-13 23:02:16ヒエラルキーのカタチになってしまう民主主義、それでは民主主義を捉え直した俺だが、民主主義で世の中が統一できるかというと、それは無理だ。キッパリといえるそれは無理だ。
2013-11-13 23:08:02民主主義とか、主義主張による対立の構図などしょせんスケッチブックに書いた絵でしかない。生きる我々が、本当に対処しなければならない敵は、、、
2013-11-13 23:10:18@JO_JO_t_kaoru: そして、色んなシーン(場面)で求められる感覚の幅(コツ)かもしれないな。 http://t.co/mMOsD0q317
2013-11-13 23:17:14