俺的民主主義各論

民主主義なんてある状態の敬称でしかない。
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

俺的民主主義各論:民主主義、人権など「論理」ばかりに弄ばれる概念。 http://t.co/ymaZe2iSuk

2013-11-13 18:32:02
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

論理に利用される概念など、結局は人の認識という人間の機能が基ならば、もっとその概念は人間工学的に機能させなければ、ただの言葉遊び、論理に弄ばれるだけの「形」で終わってしまう。

2013-11-13 18:35:11
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

民主主義を成り立たせる人間の認識と、感覚を「基」として、「土台」として、この話す場では設置させなければ。

2013-11-13 18:37:06
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

今の世の価値観(好き嫌い)は、基本的に悲しみや苦しみを悪として位置付け、排他的に扱う内容の一つとしている。

2013-11-13 18:38:52
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

しかし認識や感覚にとって「思うな」って抑圧ほど「悪」なものはない、いや正しくはどうしてもそこにはヒエラルキー(階層構造)が出来てしまう。つまり「思えない、または思うな」なんて人間としての機能を否定するなど、そもそも人間工学的にオカシいので、それを主張した時点でそれは「言葉遊び」

2013-11-13 18:43:40
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

に成り下がる。そしてそれはいわば「理想(都合が良いイメージ)」と「現実(色んな都合が混濁する物理世界)」という構図に同じ。

2013-11-13 18:47:05
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

思うなを成立させる為には、何が必要か、それを成す為には、その思ってはいけない一つの「思う媒体」を消せば良い。それが固まった理想を掲げる者の論理だ。

2013-11-13 18:50:54
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

つまり理想を掲げる者の最終手段は暴力であり、それがいわゆる中国、北朝鮮など共産主義国家のわかりやすいカタチだ。

2013-11-13 18:52:12
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

それでは民主主義は、暴力を否定するか、、、否、民主主義は暴力を肯定する。何故なら暴力の基に生まれたのが民主主義である。

2013-11-13 18:53:23
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

しかし先ほど説明した暴力の捉え方とは違う。民主主義の暴力はあくまで人間工学的に、人間という種が生きる、色々な流れの中に「暴力」と位置づける概念は、「在る」として肯定している。

2013-11-13 18:55:40
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

故にそもそも暴力ありきの「主義」が「民主主義」だ。

2013-11-13 18:56:58
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

では現在の民主主義国家は大抵は暴力に支配されず、むしろそれをコントロールできるのか、

2013-11-13 18:58:14
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

ここに人間工学のミソがある、民主主義を認めるのは、人間の感覚、認識をどこまでも肯定することにある、故に、過去の民主主義は暴力を肯定する故に、暴力に支配される民主主義の成長期があった。

2013-11-13 19:00:37
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

民主主義の成長期は、感覚に身を任す振る舞い、故にそれによる業も肯定され、暴力に舞う時代でもある。

2013-11-13 19:02:16
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

しかし、全ての感覚が肯定されたとき、全ての人々は暴力に走るか否、人はめんどくさがりだ。今の日本ではめんどくさいも「悪」としての位置づけが花咲かんとしているが、民主主義成長期を想像してほしい。単純に、、、疲れないだろうか、めんどくさいと思うのではないだろうか、

2013-11-13 19:04:39
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

つまり暴力に対する「エネルギー」の使い方が下手なだけだったのだ、めんどくさいという感覚を含めて、民主主義は一皮剥ける、それが感覚の幅(コツ)の認識である。

2013-11-13 19:06:39
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

どうすれば、めんどくさい暴力に及ばない様にするのか、これは暴力が生む業も含んで、人々は頭を搾るそしてひねり思い立ったのが、今やそれに従い、暮らす、「法」である。めんどくさい暴力を、その何分の一のエネルギーで済む「法(ルール)」という方法を用い、「前に進もう」と、した。

2013-11-13 19:09:47
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そして「法」という方法は、空間的にその場所(土地)に住む人々の、その土地の民主的思考により、ルールが確立され、民主主義の成長期により伸ばした暴走の感覚により、空間が拡大し、既存にあった民主的思考と、空間をひろげてきた思考との擦り合わせが出てきて、新たなルール確立していった。

2013-11-13 19:14:04
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

ルールが成長していった。つまりまさに民主主義は成長していったのだ。

2013-11-13 19:21:48
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そして、時には、民主主義の全肯定が時の権力者に弄ばれ、暴力に使用され、取り返しがつかない事になったり、

2013-11-13 21:14:18
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

そういう一つひとつの過ちを「歴史」としと認め、その感覚の幅(コツ)をめんどくさい方法(暴力による業の生成)ではなく、それ以外を知恵として見出し、次の世代へ残すこと、これにより民主主義は成熟を果たす。

2013-11-13 21:50:09
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

民主主義の流れは、この様なものだ、故に中国、そして韓国の様な民主主義のふりをした中国の属国では民主主義を達成できない。

2013-11-13 22:28:00
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

「人の継承」 http://t.co/01xoS0soxo つまりは以前に示したコレ←

2013-11-13 22:31:45
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

民主主義国家は、(暴力などは)めんどくさいので、有る程度、前に進む方法を考えて見つけてやってみて決めていこう、そしてその感覚の幅(コツ)を継承し、共有していこうというのが、カタチとして「法律」になり、そしてその法律を基に「やってみよう」というスタンスであり、それは常に、

2013-11-13 22:35:37
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

「良くなろう」という姿勢にもなる。さてだから問題なのだ、民主主義以外の国家は、彼らは我々が民主主義に入る前のまだ独裁統治の国家に住んでいる。それは我々が感情を伸ばそうとして、他国の空間を凌駕しようとした、あの感覚に似ている。民主主義国家は過去の歴史を踏まえて、そのコツを共有する、

2013-11-13 22:38:29