高関健さん、ABrの版問題について語る

あまりに興味深い内容だったので、まとめてみました。
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高関 健 @KenTakaseki

Brucknerの「版」。一般に「旧Haas」対「新Nowak」という構図で語られるが、作品によって状況が異なる。またH=不正、N=公正と分類されるが、そう簡単でもないようだ。私がNを評価しない最大の理由は、Nが当初Hの第1次原典版を僅かに訂正した形で拙速に出版したことにある。

2010-10-04 08:31:58
高関 健 @KenTakaseki

HとNの相違点について論じられるのは、第7の打楽器の有無と第8の第3~4楽章におけるフレーズの挿入がほとんどである。Nは1937年頃からHの助手として研究に参加しており、Hの編集方針を熟知していた。その際Hに同意できなかった部分があり、そこを訂正した形で第2次原典版を出版した。

2010-10-04 08:33:20
高関 健 @KenTakaseki

N版を一見して判ることであるが、版下としてH版を使い、改訂部分のみが違うフォント(あるいは手書き)で書き足してある。拙速と判断する理由は、主に第4および第8交響曲で、改訂部分にのみ、私でも判断できるような多量の稚拙な誤植が確認できる。現在の増刷版では当然「訂正」されているが…。

2010-10-04 08:35:17
高関 健 @KenTakaseki

第8交響曲について。H版は1939年、1890年稿N版が1951年の出版であり、以来すでに60年が経過。1890年稿についての議論はその後ほとんど進んでいないのが現状。Nは1972年にようやく1887年稿を出版。私はこの出版はNの大きな業績として、評価できるものと考える。

2010-10-04 08:36:21
高関 健 @KenTakaseki

校訂報告について。Hの全集版として出版された第1刷大型スコアに掲載されていたが、限定出版だったため、現在ではベルリンの図書館などでしか閲覧できない。またNは結果的に校訂報告の出版に至らなかった。協会によれば、現在Hawkshawを中心に出版に向け準備中とのことである。

2010-10-04 08:37:11
高関 健 @KenTakaseki

余談になるが、戦前のブルックナー協会は限定版の全集の他に、スコア本編のみを出版。現在でも貸譜として現存する。Hによる前書きには、将来1887年稿を出版することを予告。しかし文中にナチス時代の固有名詞が使われ、これが原因で戦後の出版で削除。(貸譜ではその部分のみ破られている。)

2010-10-04 08:40:10
高関 健 @KenTakaseki

現在第3および第9交響曲については、新しい世代の研究者たちによる詳細な校訂報告が公開された。特に第3におけるRoederの報告は、第1~第3稿までの成立の事情が明らかになり、演奏の準備に大きく役立てられる。第8交響曲においても同様の優れた校訂報告を期待している。

2010-10-04 08:44:37
高関 健 @KenTakaseki

訂正。ABr8:1890N版の出版は1955年です。1951年は私の勘違い、失礼致しました。ところで、NのHに対する姿勢は出版された第5交響曲の校訂報告で明らかにされている。Nは巻頭にH版(初版)の校訂報告を全文掲載。その後にNが反論と新資料による新しい考証を展開している。

2010-10-05 08:34:15
高関 健 @KenTakaseki

Beethoven研究で大きな業績を残された児島新先生が著作の中で、「研究の成果をまとめた楽譜を出版しても、それを演奏家が一般に使うようになるまでに30年は掛かる。」と書いておられたが、JSBおよびWAM全集が進んで使われるようになったのはここ10年程のことと言って差し支えない。

2010-10-07 10:26:30
高関 健 @KenTakaseki

ABrにおいても、最初の原典版(第9交響曲のHaas/Orel)版が1932年に出版され、改竄版に完全に取って代わるまでにおよそ30年が経過した。ABrの場合、編集者の意見の違いから、2種類の異なる原典版が生まれることになったが、原因はどうやら残された自筆原稿にその原因がある。

2010-10-07 10:27:54
高関 健 @KenTakaseki

ABrの作品研究は現在ではいわゆる第3世代によって進められている。最近出版された第7交響曲の校訂報告では、自筆原稿の状態について、詳細に状況を知ることができるようになった。それによれば、完成した作品の上にABr自身の他にも多くの別人の筆跡による書き込みが多数残っている。

2010-10-07 10:28:39
高関 健 @KenTakaseki

第8交響曲については、成立の事情がさらに複雑で、1887年に一度成立したにもかかわらず、LeviやSchalk兄弟からの勧めを受け入れて、全面的な推敲が行われた。書き直しと言っても差し支えない。ここで問題なのは、ABrの推敲が楽章ごとに、異なる状態で残されたことである。

2010-10-07 10:29:36
高関 健 @KenTakaseki

ABr8:校訂報告が未出版の現在、Korstvedtの研究が最も新しく、私たち一般にも読みやすい。作品の成立事情、各稿各版の違いも解りやすく解説されている。1887稿の完成後、いち早く「芸術上の父」Leviに写譜を送ったものの、Leviからは難解と拒絶され作曲家は相当落ち込んだ。

2010-10-10 09:45:58
高関 健 @KenTakaseki

Leviによる拒絶の後、ABrはこれまでの作品を見直す「改訂の時期」に入る。Haasは「改訂の時期」はLeviやSchalkに強く改作を迫られたことが原因と断定して、結果的に第9交響曲が完成できなかったと批判している。この時期に改訂された作品群が「改竄版」の下敷きになっている。

2010-10-10 09:48:56
高関 健 @KenTakaseki

第8交響曲の改訂は第4(1888稿)、第3(1889稿)の改訂が終わった後、本格的に始められた。ABrによる改訂は楽章ごとに異なる状況で行われた。第1~第3楽章まではKopistの写譜の上に改訂を行っている。ただし第2楽章Trioだけは新たに作曲し直されている。

2010-10-10 09:49:37
高関 健 @KenTakaseki

最近の研究では、Adagioに中間的な1888稿の存在が明らかになっている。そして第4楽章だけは1887年の自筆原稿に直接改訂が加えられている。1887稿は第3楽章までが木管2管編成で作曲されており、1890稿で3管に増強するにあたり新しい写譜が必要とされたものと推定する。

2010-10-10 09:50:58
高関 健 @KenTakaseki

これに対し、第4楽章は1887稿ですでに3管編成で作曲されており、ABr自身は当初簡単な改訂を予測して、自筆原稿に書き加えていったものと想像する。しかし、結果的には多くのフレーズの削除を含む大規模な校訂となり。第4楽章の自筆原稿はかなり混乱した状態で残されている模様である。

2010-10-10 09:55:59
高関 健 @KenTakaseki

ABr8:第2楽章でTrioのみ新たに作曲と書いたが、ABrはTrioだけでなく第2楽章全体を、新しい五線紙に書き下ろした。訂正してお詫びします。第1、第3楽章は1887年稿の写譜の上に、第4楽章では自筆原稿に直接改訂を加えた。大掛りな変更部分では新しい五線紙に差し替えている。

2010-10-11 02:59:49
高関 健 @KenTakaseki

作曲家によって方法は異なるが、強力な自己批判による改訂を経て無駄な部分が省かれ、純度が高まっていく。ほとんどの場合は改訂を終えた最後の状態こそが、作品のあるべき姿となる。ところが、作曲家が他の意見を取り入れたり、従ったりした結果の改訂では、必ずしも作品が改善されるとは限らない。

2010-10-11 03:00:58
高関 健 @KenTakaseki

例えばWAM「パリ交響曲」では、第1、第2楽章に各2つの形態が残されている。第1楽章ではより速いテンポを目指し、純粋に技術的な問題についての改訂が行われ、これは大いに成功。ところが「難し過ぎる」という他人の意見を取り入れて作曲し直された第2楽章は、明らかに表現が後退してしまう。

2010-10-11 03:04:15
高関 健 @KenTakaseki

ABrの場合も1880年までに行われた、完全に自分の意思に基づく、いわゆる第1稿から第2稿への改訂では、明らかに作品の集中度が高まる。特に第3、第4交響曲では非常に成功して、均整のとれた形に仕上がっている。この時期にABrの作風は完成されたと考えられる。

2010-10-11 03:04:47
高関 健 @KenTakaseki

それに対して1888年以降に行われた「改訂の時期」では、作品の演奏を前提として改訂が行われている。例えば、第3および第4交響曲では明らかに演奏時間の短縮が視野にあり、それによりABr本来の形式感が損なわれ、結果バランスを欠いた構成になってしまった。

2010-10-11 03:05:42
高関 健 @KenTakaseki

第3交響曲のRoederによる校訂報告は、3種類のすべての稿について詳細に論じられている。1889年稿では第4楽章で、Schalkが書いた写譜にABrが変更を書き込んでいる部分がある模様だ。従って「改訂の時期」がABrの完全な自分の意思に基づくもの、と言いきれないのではないか。

2010-10-11 03:06:43
高関 健 @KenTakaseki

Haasは「改訂の時期」が、第8交響曲1887年稿に対するLeviの拒絶に起因すると考えた。たしかにABrはかなり落ち込み、自信を喪失した時間があったようだ。「改訂の時期」がLeviやSchalkの言うがままに行われたと判定する材料はないが、私も間接的な影響はあったと考えている。

2010-10-11 03:08:54
高関 健 @KenTakaseki

第8交響曲では第3楽章までは木管の3管編成への増強が改訂の一つの目的である。1887年稿と90年稿との比較により、特に第1楽章では、改訂された部分とされなかった部分がはっきりと判定できる。大きく改訂された部分についてはおそらくは新しい五線紙に差し替えられたと推定する。

2010-10-11 10:58:58
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