知里幸恵『アイヌ神謡集』後半

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@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。オキキリムイの妹をからかった水棲動物が懲らしめられる話。類話も多い。第十一話までは(おそらく)男性の話だが、最後の二話は女性の話。この配置はやはり意図的だろう。

2010-10-18 14:16:28
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。神謡集は前半も後半も「大作+小品」という構成。第十二話と第十三話は後半の小品の最後にあたる。

2010-10-18 14:29:06
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。一般的には魚や海獣以外の水棲動物はあまりよい存在ではない。カエル、カニ、この話に登場するカワウソなどはいずれもアイヌ口承文学では基本的に悪い奴である。

2010-10-18 14:35:29
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。水棲動物といえばラッコ。虎杖丸(クトゥネシリカ)叙事詩に「黄金のラッコ争奪戦」のエピソードがある。多くの勇者が命を落とす元凶となった。

2010-10-18 15:05:00
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。カワウソは物忘れをする動物ということになっている。またその肉を食べれば人間も物忘れをする。また、ラッコを食べるとセックスしたくなるという伝承もある。少し変った動物たちである。

2010-10-18 15:10:27
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。この話は動物との異類結婚の話に分類されることがあるが、それは正しいだろう。オキキリムイの妹にちょっかいを出し(求婚し)て懲らしめられる話と連続性があるのは間違いない。

2010-10-18 15:21:51
@paggpagg

北海道のアイヌ民族を含む森林地帯の北方少数民族にとって、「火事」とは山火事のこと。火の不始末などで家が燃えても外に出ればすむ。また集落においても、延焼しないように家と家の間は離してある。というわけで家の出火を何よりも恐れるのは、基本的に家屋が隣接している都市民。

2010-10-18 15:33:23
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。この話のリフレイン「カッパ レウレウ カッパ」というのは「ペッチャンコ くねくね ペッチャンコ」というような意味。カッパ「複数のものをペチャンコにする」はカワウソの頭が平たいこと、レウレウというのは身体を動かして地面を這いずることだろう。

2010-10-18 15:40:25
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。カワウソはサマユンクルの妹に「(お前は)父がいるか、母がいるか」と呼びかける。兄妹は孤児なので、妹は怒って犬たちをけしかける。カワウソは水中に逃げる。次にオキキリムイの妹に対して同じことをする。オキキリムイの犬たちは水中まで追ってカワウソを引き裂いてしまう。

2010-10-18 16:03:20
@paggpagg

アイヌ神謡集第十二話。妹たちが犬をけしかける時の呼び声が日本語文では「ココ」だが、アイヌ語文では「チョ チョ!」となっている。日本語で犬をけしかけるときに「ココ」と言うのかどうか私はよくしらないが、アイヌ語で犬を呼ぶ声はこれ。

2010-10-18 16:10:09
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。ピパ「沼貝」の話。「不徳が懲らしめられる」部分もあるので、第一話ほど寛容ではない。だが「徳が報われる」内容だからこそ、最後に〆として配置されているのだろう。第一話が冒頭で第十三話が最後という配置には、知里幸恵の思想がはっきりと表れている。

2010-10-19 13:48:35
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。ピパは食用にもする。ここでは雑穀の穂積みに沼貝の貝殻を使用する起源譚。もちろん起源譚といっても、話の焦点自体は「起源」にはない。沼貝が雑穀作りに影響を及ぼす、ということのほうが話の筋としては重要。

2010-10-19 14:08:57
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。山の沢(?)で干上がったピパ「沼貝」たちが泣いていると、通りすがりの女が踏み潰す。だが後に来た女は湖に入れてくれた。先の女はサマユンクルの、後の女はオキキリムイの妹。沼貝は前者の雑穀を枯らし、後者の雑穀を実らせる。それ以来人間は沼貝で穂積をするようになった。

2010-10-19 14:13:49
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。沼貝が雑穀の出来を左右するのは、穂積みに利用される、つまり関係が深いから。だけど、じゃあ他のことには影響力を及ぼさず、雑穀の出来だけ左右することになっているのか、といえばそうでもないはず。

2010-10-19 14:21:42
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。沼貝と雑穀の関係は、例えば川の神と川の関係とは違う。雑穀には雑穀の神が考えられているから。「完全に厳密な矛盾の無いカムイ世界」を考えるなら、沼貝はサマユンクルの畑が枯れることになるよう、雑穀の神に頼んだのだろう。

2010-10-19 14:24:36
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。アイヌ伝統文化の世界観においては、「世の中のことはカムイたちの話し合いで決まる」と考えられている。それはこうした話の背景に想定される沼貝と雑穀の話し合いなどを指す。

2010-10-19 14:27:16
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。こうした「カムイたちの話し合い」に人間は直接参加できない。カムイは人間の夢に現れて対話の場を設けることができる。だが、人間が好きなカムイの夢を見ることはできない。こちらから指名してカムイに意思を伝えためにはカムイノミをするしかない。

2010-10-19 14:34:29
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。人間とカムイの連絡方法。カムイ側からの夢に対し、人間側からはカムイノミ。だが人間の言葉はカムイには通じない。火のカムイは人間の言葉を知っているので、他のカムイたちに通訳してくれる。だから、カムイノミはまず火のカムイに通訳をお願いするところから始まる。

2010-10-19 14:38:13
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。話の中では語られていないが、この話でもピパ「沼貝」は事件後にオキキリムイと話し合い、あるいは(オキキリムイが人間的なものとするならば)夢で話をしたはずである。そして「私を穂積みに使うように」と告げた。

2010-10-19 14:39:59
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。この話に限らず、一つの「語られたもの」の背後には、当然そうあるべき事柄が隠されている。直接語られていないが、分るように示されているものがある。それらを付け足したり、あるいは自明の部分をさらに省略したりするから、話は語るたびに少しずつ違う。

2010-10-19 14:42:21
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。「口承文学」「口頭伝承」はそういう「自明な部分の付加・省略」によって変化する。どこまでが「自明」かは必ずしも明確ではないから、話が大きく変化することもある。だが「どこで変ったか」はこれまた決定できない。類話群はしばしば切れ目のつけられない連続体だからだ。

2010-10-19 14:46:13
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。物語を変化させるのは「記憶ミス」ではなく、「物語の伝承」「語りの生成」のシステム自体。例えばこの話で「サマユンクルとオキキリムイ」という名前が自明として省略されれば、無名の「徳のある女」「不徳の女」の話になる。散文で語られれば、パナンペ話になるかもしれない。

2010-10-19 14:51:21
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。つまりアイヌ民族の口頭伝承の昔話の場合、ストーリーに則っていて、矛盾が無ければパーツ(物語要素)の入れ替えは自由に行われる。だが、記憶されるストーリーは語られたものからフィードバックを受けるから、理論的には物語はいくらでも変容する。

2010-10-19 14:54:59
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。この話のサケヘ(リフレイン)は、「トヌペカランラン」の意味は今ひとつ分からない。「~ペカ ラン ラン」は「~に降る降る」だけれど、「トヌ」はよく分らない。まさか、トヌプ(?) ペカ ランラン「湖の原(?)に降る降る」なのか。遠野アイヌ語説が喜びそうだ。

2010-10-19 15:22:19
@paggpagg

アイヌ神謡集第十三話。知里幸恵は意味が完全にとれるサケヘ(リフレイン)には日本語訳をつけている。この話のサケヘにはない。つまり、知里幸恵にも意味は分からなかった。

2010-10-19 15:29:03
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