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@paggpagg
アイヌ神謡集第七話。ここからが神謡集後半部。第七話も類話が多い。獲物を適切に扱わないと、二度と獲物が来てくれなくなる、という道徳観を説明する話。フクロウではなくオキクルミが使者を立てる話などもある。だが、その中でもこの出だしは秀逸。
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アイヌ神謡集第七話。シントコのふたを叩きながらフクロウが使者を求める歌を歌う。いわばウポポを歌っているわけだが、珍しい場面。するとすぐにカラスが名乗りをあげる。もちろんここでは両者とも人間の姿。
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アイヌ神謡集第七話。カムイモシリとアイヌモシリの位置関係は実はあいまい。カムイは自分の家では人間の姿をしている。この「家」は地上世界のイウォロ「猟場」の向こうにあるだけで、まだカムイモシリではない。カムイモシリははるか離れたところで、肉体を離れた魂だけが行くことができる。
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アイヌ神謡集第七話。クマのカムイモシリは山奥にあり、そこと人間の村を往還する。だが、クマの巣穴がカムイモシリではないことくらい、昔のアイヌ人は百も承知。同じくフクロウの巣(家)はカムイモシリではなくアイヌモシリにある、ととりあえずは考えるしかない。
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アイヌ神謡集第七話。さて、カラスやカケスは不真面目にも居眠りし、フクロウに殺される。使者に立つのはそれほど重要な責務。無文字文化だから当然伝言内容は暗記、立派な口上も述べなくてはならない。記憶力と雄弁、声のよさが重要になる。文字文化では「達筆」にあたる。
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アイヌ神謡集第七話。アイヌ伝統文化の価値観に「慌ててはいけない」「大物は後からゆっくり」というものがある。この話はそれを地でいく展開。使者に志願したカラスとカケスが失敗して殺され、本命のカワガラスが伝言を聞かされるまで、話の聞き手も何がテーマの神謡なのか分らない。
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アイヌ神謡集第七話。オリパッカネ<オリパク・カネ「慎み深い態度で」。オリパク「畏れ慎む」のは伝統的価値観において最重要の態度。カワガラスは恭しく入って来て座るだけ。それで使者志願であることが通じる。「沈黙を重んじる」文化でもある。
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アイヌ神謡集第七話。フクロウが言いつける「五つ半の談判」はソンコ エムコ エイワン ソンコ「談判が半分 で六つになる 談判」つまり「0.5で6になる=5.5」ということ。9もシネペサンペ<シネプ・エサン・ペ「1つ・で10(?)になるもの」と表す。これが「減数法的」と言われる数詞。
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アイヌ神謡集第七話。イワン「六」は「たくさん」も表す。日本語の「八」みたいなもの。トゥ~、レ~「二つの~、三つの~」という言い方も「たくさん」の意。この話では「五つ半」だから滅茶苦茶多くはない、ということ。ちなみに「六」に聖数的ニュアンスがないことは再三指摘されている。
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アイヌ神謡集第七話。この話に登場するユッコロカムイ「鹿を司る神」、チェプコロカムイ「魚を司る神」は変ったカムイ。通常の生物は個体レベルでカムイ。また位が低いと思われる生物には「トノ」というボスがいる。だが、鹿と鮭はそのどちらでもなく、管理するカムイが別に存在する。
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アイヌ神謡集第七話。鹿を司る神、魚を司る神が示し合わせて鹿と鮭を送り出さないことにしたため、人間たちが飢えている。そこで、二神に対しフクロウが文句を言うために使者を立てたのである。面白いことに、二神は天(カント)にいる。つまり鹿も鮭も天から来るのである。
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アイヌ神謡集第七話。さて伝言を先方に伝え、返事をもらって帰ってきたカワガラスが事情を述べる。事の起こりは人間が鹿と鮭を粗末に扱ったためである。鹿の頭骨を山に捨てておき(飾って送らない)、鮭を叩く棒が汚い(イナウのように美しくない)。その報復だという。
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アイヌ神謡集第七話。もちろん、適切に「送り」をすれば、鹿も鮭も喜んで管理者である二神の元へ帰る。持ち帰る飾りやイナウ(魚叩き棒)は二神の財産となる。彼らとしてもフクロウのとりなし(の使者)を待っていたはずである。
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アイヌ神謡集第七話。フクロウは人間に事情を夢で知らせる。「獲物を適切に扱わない報復である」と。それ以後は人間たちは獲物を適切に扱い、鹿を司る神・鮭を司る神との互恵的関係を維持することになる。フクロウがそれを見て安心し、神の国へ行く(死ぬ)ところでおしまい。
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アイヌ神謡集第七話。第七話以降はアイヌ口承文学の「わけのわからなさ」が全開となる。もちろん、伝統的価値観においては筋が通っているものもある。だが第七話自体、「なぜ鹿と鮭はカムイではないのか?」と疑問に思う人も多いだろう。
@paggpagg
アイヌ神謡集第七話。鹿と鮭は数が多いので、個体ごとにカムイ扱いをして送れない。だから「鹿を司る神」「魚を司る神」を思いついたのだ、という説明もできる。だが、ならばなぜウサギにトノ「首領」がいるように、クマに高位のクマがいるように、鹿のトノ、偉い鮭がいる、としないのか。
@paggpagg
アイヌ神謡集第七話。実は鹿がカムイ扱いされる話や、遡上する鮭の群れに「リーダーの鮭」がいるという伝承もある。後者はおそらく東北地方の「鮭の大助」伝承と関係があるだろう。そうなると「魚を司る神」たちもアイヌ民族の外に関連がないか、と探したくなるはず。
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アイヌ神謡集第七話。ニブフ民族の「アザラシと魚を司る海の神」に関する伝承。人々が獲物を適切に扱わず神が怒る。神がアザラシも魚も送り出さなくなり人々は飢える。ある猟師が神の元へ迷い込み(実は神の誘導)、「獲物をちゃんと扱え」と言われて帰る。以後人々は獲物を適切に扱いハッピーエンド。
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アイヌ神謡集第七話。第七話に登場する「鹿を司る神」「魚を司る神」はおそらくシベリア方面に広がる「動物を司る神」たちとつながる存在。だから、ここだけアイヌ民族の「動物をカムイとみなす世界観」が崩れている。
@paggpagg
アイヌ神謡集第七話。神謡集後半(第七話~第十三話)は前半の変奏曲。第七話と第八話は実に古典的、典型的な大作。宇宙の調和を描いた美しい話。だが第一話と比較するとカムイの側の描写の比重が大きい。組み合わせられる小品も、オキキリムイ本人からその妻や子どもに視線がずれる。
@paggpagg
知里幸恵『アイヌ神謡集』は青空文庫で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html。岩波文庫でも発売中。
猫屋レオ丸 @Leonidas0727
RT @paggpagg アイヌ神謡集第七話。さて、カラスやカケスは不真面目にも居眠りし、フクロウに殺される。使者に立つのはそれほど重要な責務。無文字文化だから当然伝言内容は暗記、立派な口上も述べなくてはならない。記憶力と雄弁、声のよさが重要になる。文字文化では「達筆」にあたる。
中路正恒(時代よりも強く) @mnnakajist
よく目をつけれられますね。このポイントは重要。RT @paggpagg アイヌ神謡集第七話。第七話に登場する「鹿を司る神」「魚を司る神」はおそらくシベリア方面に広がる「動物を司る神」たちとつながる存在。だから、ここだけアイヌ民族の「動物をカムイとみなす世界観」が崩れている。
@paggpagg
アイヌ神謡集第八話。レプンカムイ「シャチ」の話。第一話、第七話の主人公の正体について知里幸恵は「フクロウだろう」と断定はしていない。フクロウといっても「コタンコロカムイ」はシマフクロウ。今の登別市生まれの知里幸恵が知らなくても無理はない。だがシャチは知っていただろう。
@paggpagg
アイヌ神謡集第八話。レプンカムイ「シャチ」やキムンカムイ「クマ」は婉曲表現あるいは敬称だったはずだが、固有の呼び名は不明。クマの子には「エペレ」という呼び名もあるが、シャチは「タミペクル」「シハチャンクル、モハチャンクル」などやはり婉曲的な表現ばかり伝わっている。
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