メソジスト談義2
- crape_myrtle_
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@anshin3104 それは彼自身が学んでいた、聖公会の伝統の中からの発見だったということは言えるかもしれません。義認とそれからはじまる聖化の歩みというのも、「キリスト者の完全」も。
2013-11-20 09:58:55@anshin3104 ウェスレーの「アルミニウス主義」はオランダのアルミニウス自体の考えではなく、聖公会の教理の中から導き出したもの、ということは言えると思います。たしか清水光雄だったと思いますが、ウェスレーはアルミニウス自身を読んでいなかったはず。
2013-11-20 10:00:40@anshin3104 ですが、ルターは読んでいましたし、モラビア派などの敬虔主義者との交流もありました。義認論についての論文はルターの考えに賛同する、という体裁でしたし、ウェスレーの新約聖書注釈は、モラビア派の影響が強い、というか種本としているそうですので、
2013-11-20 10:02:41@anshin3104 ですので、「ウェスレーはルターの信仰理解をほとんど知らない」というのは、やや言い過ぎであるように個人的には思えるのです。
2013-11-20 10:03:23@DogRuskin つまり、ウェスレーには「対抗」が無かったんです。対抗する何かが無かった。ルターもカルヴァンも良し悪しは別にして、「対向勢力」があったわけです。ウェスレーにはそれは無かったんですよね。
2013-11-20 10:05:26@anshin3104 このあたりは複雑ですね…。たしかに米国独立戦争と米国建国によって、米国に渡ったメソジストが聖公会から離れたプロテスタント教派として自己形成していったのは事実です。ですが、
2013-11-20 10:07:50@anshin3104 たとえばアイルランドのメソジストなどは聖公会に長く留まっていて、18-19世紀に非国教会派としての弾圧を受けなかった、ということもあったりしますね。アイルランドのメソジストは聖公会への親和性が高いです。英国もそうかもしれません。
2013-11-20 10:09:16@DogRuskin そうですね。ウェスレーの場合は「信仰復興」・・いわば当時のローチャーチに帰属する多くの労働者階級の人々への「信仰救済」運動がメソジスト運動であった、と理解することが出来るかと思っています。
2013-11-20 10:13:08@DogRuskin ですから、たしかウェスレー自身、按手を行って牧師(司祭)を派遣するというのは、本意ではなかった・・と思われるのですが、いかがでしょうか?
2013-11-20 10:17:08@DogRuskin そんな歴史的経緯を考えますと、メソジストは本来はプロテスタント教会、つまり宗教改革を紀元にする教会といえるかどうか・・ちょっと疑問視している今日この頃です。
2013-11-20 10:20:13@DogRuskin 今この時点で、メソジスト教会はプロテスタントではない!ということはできないと思います(^^;しかし、そうなるとですよ。「プロテスタント」と言う言葉は「ローマ・カトリック教会から出て来た、これ以外の教会」という意味合いに変わりますよね(^^;
2013-11-20 10:24:10ちょうど今、聖公会とルーテルのエキュメニカル文書 『共同の宣教に召されて 聖公会・ルーテル教会の対話とヴィジョン』 http://t.co/9g2ZbM29PH を読んでいるのですが、聖公会にも16世紀宗教改革の流れが入っていないわけではない、との公式見解のようですし…
2013-11-20 10:24:33@DogRuskin ええ。先日、ルーテル教会で行われた聖公会との合同礼拝式に出させていただき、本当に嬉しいやら驚いたやら、感動の時間でした。
2013-11-20 10:26:00@DogRuskin ですから、少なくとも、何かが共通しているという模索が両教会にあるのだと思います。その合同礼拝後に両教会の牧師・司祭が仰っていましたが、完全な一致というのは難しいと。でも、一致できるところがあるのだという希望を持とうと。
2013-11-20 10:27:21@anshin3104 @DogRuskin 大変興味深いやり取りを拝見させていただきました。対抗する何かがあることによって明確にされるものがあるのでしょうね。
2013-11-20 10:33:20@DogRuskin 今お話しさせていただいて、私が申し上げている意味合いからするとプロテスタントを狭義に捉えると、メソジストはプロテスタントとは言えないかもしれないが、広義にはプロテスタント・・・という意味合いなのかもしれないです。
2013-11-20 10:34:02@anshin3104 @DogRuskin たとえばローマ・カトリックには使徒継承という絶対に侵してはならないものがあって、ルターの改革はそこに踏み込まざるを得なかったために袂を分かつことになった。しかし国教会とウェスレーにはそれに当たるものはなかったのかも。
2013-11-20 10:34:04@acgoya @DogRuskin なるほど。教会の継承性という側面での見方ですね。確かに、ウェスレーは按手はしましたが、その他の指導はしなかった・・出来なかったというところだったと思います。たしか、最低限の継承として、ウェスレーが大切にして来た「聖餐」であったのだと。
2013-11-20 10:36:24@acgoya @anshin3104 これも難しい…。「使徒継承」をどのように理解するか、という問題は置いておいて、ウェスレーは、自分と英国国内の信徒は英国国教会39か条の信仰の範囲内に留めたのは確かです。 ですが米国メソジストのためには別の信仰箇条を作りましたから…
2013-11-20 10:39:15@acgoya @DogRuskin その意味で言えば、聖公会も使徒継承性を失っているわけですから、プロテスタントの理解を取り入れることになるでしょうね。
2013-11-20 10:39:19@anshin3104 @acgoya 「使徒継承」性は聖公会も主張するので…。 話がそれるので、ここではその細かな定義に関する議論は避けますが…
2013-11-20 10:42:39@DogRuskin @acgoya そうですよね。先にも申し上げました通り、一刀両断、短絡的にメソジストはプロテスタントではない!とは言えないし言うべきでも無いと思います。たしかにプロテスタント教会の一つとしてメソジスト教会も形成されてきましたから。
2013-11-20 10:43:46