10/13日のfj197099さんの呟き

アメリカの核管理と 100年前と現在の共通点?
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fj197099 @fj197099

オバマ政権下で初の臨界前核実験 「核兵器の安全性維持」が目的 http://bit.ly/9aCu7D …昨年オバマ大統領が「核なき世界」方針の表明でノーベル平和賞を受賞したこととの整合性を問う向きもあろうが、核兵器の安全管理の為に未臨界実験はある程度止むを得ない事ではあるのだ。

2010-10-13 18:09:29
fj197099 @fj197099

米国の核実験は1992年の地下実験を最後に事実上停止されている。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准には否定的だが、実際には核実験を行ってはいないのだ。その代わりに安全性を維持するため、未臨界実験は度々繰り返している。これは核兵器を爆発=臨界までは到達させない実験である。

2010-10-13 18:12:25
fj197099 @fj197099

実は米国の核兵器は老朽化が激しい。多くの核弾頭はせいぜい1980年代までに製造されており、20~30年以上の歳月が過ぎている。故に安全管理上の懸念が生じている訳だが、米国はLEPと呼ばれる兵器延命措置を施すことで対処してきた。弾頭再設計をすることなく延命を可能とする措置である。

2010-10-13 18:20:57
fj197099 @fj197099

だがブッシュ政権期にLEPでは延命措置に限界があるとして核弾頭の再設計も含めたRRWと呼ばれる新たなプログラムを導入すべきだとの主張が行われた。オバマ政権はそれは新しい核弾頭を製造することになるとして受け入れなかった。それでも核兵器の安全管理の問題は残り続けているのである。

2010-10-13 18:23:15
fj197099 @fj197099

故に米国は定期的な未臨界実験を通じて核弾頭の安全管理を継続する他はないのである。未臨界実験をするな、というのは米国に現有の核兵器を安全管理の出来ないまま放置せよ(その過程で安全上危険なことも起こる)というのに等しい。核廃絶論者はともかくとして、米政府には受け入れられない話である。

2010-10-13 18:26:20
fj197099 @fj197099

そもそも昨年四月のオバマ演説にせよ今年四月の核態勢見直し(NPR)にせよ、その中には世界に核兵器がある限り、米国は効果的で安全性の高い核戦力を維持すると書いてある。未臨界実験をオバマの核廃絶へ向けたコミットメントへの「裏切り」と見るのは、そもそもオバマを誤解しているのである。

2010-10-13 18:31:18
fj197099 @fj197099

様々な方面で応用の利きそうな警句をふと思いついたのでご紹介したい。「被害者となる権利の独占を主張する存在が最大の加害者である。」・・・対人関係から国際関係まで応用範囲は広そうである。実際、世の中そういう個人や集団が余りにも多いのである。

2010-10-13 20:10:35
fj197099 @fj197099

まだはっきりと考えがまとまっている訳ではないが、1990-2010年を1919-39年の「危機の二十年」に対比させることは可能なのだろうか。実は二つの時代には似通っているところが多いように思うのだ。この類推がうまくゆくとすると、未来は決して明るくないという結論が導かれるのだが…。

2010-10-13 21:24:03
fj197099 @fj197099

どちらの時代もそれまでの対立の終結から出発している。1919年は第一次大戦の終結の結果としてヴェルサイユ会議が開かれた年、1990年は冷戦終結の結果としてドイツ統一(と東西の宥和)が図られた年だ。どちらの20年も対立の終結から新しい平和な時代への希望から出発している。

2010-10-13 21:26:39
fj197099 @fj197099

どちらの時代も対立の終結の結果として集団安全保障の強化が図られている。1919年には国際連盟が創設され、新たな集団安全保障の取組みがスタートした。1990年には湾岸危機を契機に長い間機能不全だった国連安保理の集団安全保障システムが機能し始めた。湾岸戦争がそれである。

2010-10-13 21:29:03
fj197099 @fj197099

どちらの時代も軍備管理面における多国間協力への期待が高まりを見せた。第一次大戦と第二次大戦の「戦間期」にはワシントンやロンドンの軍縮条約が結ばれ、パリ不戦協定などの取組みが為された。冷戦後には同じく核軍縮や核不拡散などの取組みが為され、通常兵器やミサイル等でも協力が行われている。

2010-10-13 21:32:54
fj197099 @fj197099

どちらの時代も多国間主義はやがて単独主義に取って代わられた。戦間期には1931年の満州事変に始まって伊のアビシニア侵攻、独のラインラント進駐等があったが国際連盟は満足に対応できなかった。冷戦後は米国のイラク戦争、ロシアのグルジア侵攻等に対して国際連合が満足に対応できていない。

2010-10-13 21:35:46
fj197099 @fj197099

どちらの時代も深刻な金融危機を経験し、近隣窮乏化政策等の経済のブロック化の弊害に直面している(しつつある)。戦間期には大恐慌の影響があり、第二次大戦の遠因ともなった。現代では世界金融危機の影響で国際経済政策(特に為替面)における協調が満足に機能しなくなっている。円高はその一例だ。

2010-10-13 21:39:18
fj197099 @fj197099

そしてどちらの時代も時間が経つにつれて国際機関等での発言力と国家のパワーの間に乖離が生じ、「現状」を構成する秩序に対する「不満足」国家=現状変革国家の台頭が目立つようになっている。戦間期のそうした国家の代表例はドイツと日本であったが、現代のそうした国家の代表例はロシアと中国だ。

2010-10-13 21:41:32
fj197099 @fj197099

共通点はここまで。後は類推が妥当なのかどうかだ。戦間期の場合、蓄積された国際システムの矛盾は最終的には大国間戦争という形で解消されざるを得なかった。現代でも「不満足」国家による国際秩序への挑戦は観察できるが(中国の拡張姿勢はその例)、問題は矛盾が平和裏に解消できるかどうかだ。

2010-10-13 21:45:08
fj197099 @fj197099

過去と現代では大国間戦争を抑止する核兵器の存在がある、グローバル化=相互依存のレベルが違う、国際社会の制度化が進んでいる、等の数多くの相違点もある。だから矛盾の蓄積は結局は大国間戦争に至るとする決定論に組するつもりはない。しかし戦間期との共通点を無視するつもりもないのだ。

2010-10-13 21:47:33
fj197099 @fj197099

E.H.カーが『危機の二十年』で主張したのはユートピアニズムに溺れリアリズムを軽視する事の過ちであった。「油断」こそ同書の中心的主題だ。「平和」とは景気のバブルのようなものだ。その最中にいる人間には危険性が分からない。現代が「危機の二十年」ではないという保証がどこにあるだろうか。

2010-10-13 21:52:25