都築潤さんによる、コンピューターで絵を描くことについての話
例えばこのような解釈が、デジタルを通過した今だからできるというのも、たいへん面白いのです。トークの話題には出ませんでしたが、私はポロックはリニア(線的)である、だからこそ何も描いていない画面を空間として捉えた、その結果画面のすべてを埋め尽くさねば物質に近づけない…
2010-10-28 00:58:59そうでないとパスをグループ化しドラッグして簡単に動かせてしまうからだ。こうした強迫観念がドロッピングで画面を覆い尽くす行為に走らせた。といったような強引ともいえる解釈にリアリティを感じたりしています。これらは例ですが、いずれにせよ今まで自分が当たり前に考えていた…
2010-10-28 01:07:13ドーイングとペインティングの関係というか、関係の無さ。ひいては絵というものの今までの認識に対して、疑いの目を向けざるを得ない事態となってしまったのでした。ニューエイドスの、絵というもの正体を探る試みはこの先も続けます。けど…
2010-10-28 01:20:17今は予想もしなかった場所にきています。そこには話の筋道のようなものが見当たらないので、今の自分の頭脳では言葉にできません。さて絵の内側の話から、絵を取りまく外側の話にうつりましょう。
2010-10-28 01:30:32梅津先生のボリュームグラフィクス研究というインサイダー情報を得て、中ザワヒデキ氏の芸術特許という有価証券作品を購入し予想通り配当金をせしめた私は、世界的な好景気にも後押しされ、インタラクティブデザインの分野でガッポリいこうと企てていました。絵のことはどうでもよくなっていました。
2010-10-28 01:41:09いや、どうでもよくなってはいません。企業の財布が緩いうちに大きめの展覧会を打とう考えたのが実はニューエイドスという展覧会でしたが、この計画が景気の動向もあやしくなり始めたこともあって頓挫します。不景気になるとまた絵のことを考え始めました。
2010-10-28 01:49:57数年前に読んだ「コモンズ」(この本については自分が語るまでもありません)の時から頭から離れなかったネットでの作品データの配信をクリエイティブコモンズと絡ませて何かできたら、先取り感があってかっこ良いのではと考えていました。著者来日のときにはICCに行きましたが入れませんでした。
2010-10-28 02:00:58ドローイング=ベクター・線・形・イデア論・観念・本質…。ペインティング=ビットマップ・点・色・原子論・物質・現象…。こーんな感じで、絵についての二項対立が波紋のように広がって、その相似形のリングの一つ一つがいろんな場所に散在しているような…
2010-10-29 03:56:15…いや、同心円上に大きく広がっていくような、それとも全てのリングは同じスケールでぴったり重なっているけれども、見方を変えるたびに無数の相貌を見せているだけなのではといったような、そういうホワホワした感覚でずいぶんな時間が経ちます。
2010-10-29 04:04:51まず絵のことで説明します。一つのモノを見ているとしても、実はそこに二つの世界がぴったり重なっています。一つは形の世界でもう一つは色の世界です。二つの世界は比較しようのない位相の違う世界なのに、あたかもそこに一緒にあるように感じられます。
2010-10-29 04:17:46形の世界をドローイングで記述し、色の世界をペインティングで表現します。それを一枚の紙に一種類の絵具で描けてしまいます。いや、描けてしまうなどとは考えません。それが普通の描くことなんですから、そういう感覚にはなりませんでした。線で描いて色を塗るというような段取りで普通に描きます。
2010-10-29 04:25:39ところがこれがまったくの間違いだった、ということをデジタルが教えてくれます。あんたが今まで引いてきた線は実は色なんだよと、アドビのIllustratorが言うわけです。アプリケーションごときに言われるんです。じゃあ線って何かというと、パスだったのかあ、と判明します、が…
2010-10-29 04:31:45パスではありません。アートワークです。プレビューとアートワークのあのアートワークです。最近はこの名前なくなったんでしたっけ。アートワークで分らなければ、レイヤーウィンドウの目のマークの、目玉が白くなった時出てくる、いくら拡大しても太くならない、あれです。
2010-10-29 04:42:39線=形と認識できるように黒く引かれているけれども、実は目で認識はできませんよ、拡大しても細いままだし、アートワークなんて呼び名も描いたという痕跡を示しているようなもんでしょ、だからこれさえも仮の姿で、ホントはあなたの頭の中に観念、情報としてあるだけなのよ。というところまで…
2010-10-29 04:50:50…Illustratorが教えてくれました。そして大きな虚脱感におそわれました。つまりVERVEで描いた絵も今回のニューエイドスの絵も、線で画素を構成したのではなく、デジタル世界でも線は色だったのです。人の目に認識できる限りそれは色=物質です。
2010-10-29 05:02:33線は頭の中、つまりこれから物質として出現しますよという可能性の中にしか存在しないのだと、東洋人の私はこれでやっと分りました。ではなぜVERVEの作品を再び展示したのか、この理由が今度は絵の外側の、デザインやイラストレーションの話に繋がるのですが…
2010-10-29 05:07:37あっと、その前にこれを言っとかねば。さっき、一つのモノを見ているとしても、実はそこに二つの世界がぴったり重なっています、と言いました。これをモノが存在する以前、絵の話でいうとモノを描く前の白紙の状態をイメージしましょう。
2010-10-29 05:22:51形の世界はイラレの画面、そこには何も無い空間です。色の世界はフォトショの画面つまり白色で埋め尽くされています。これがぴったり重なっているということです。ここから私の絵の問題は一気に脱構築に向かいます。以上です。
2010-10-29 05:23:55話をもどします。ドローイングとペインティングの二項論の波紋は、絵の問題から離れて、それはそのままデジタル世界と現実世界の関係に相似します。デジタル世界はマルチメなので、絵も音も言葉もデータファイルですし、そのデータファイルもハードディスクもインターネットも、観念=情報=…
2010-10-29 05:30:54…これから物質として現実世界に出てくるかも知れないその原因=エイドスです。現実世界への出現の仕方はディスプレイとプリントアウトです。これらは情報に物質性を与えて人に見えるようにしたものです。つまりエイドスに物質を与えて生成したわけです。
2010-10-29 05:38:07ではデジタルがなかった時代にはエイドスがなかったのか?ありました。グラフィックデザインや文字やイラストの話でいうと、それは版下と呼ばれていました。絵画でいうとアイデアスケッチに近いです。これらはドローイングでつくられます。そういえばアイデアはイデアです。
2010-10-29 05:42:53絵の問題だと思っていた二元論の話は、ドローイングとペインティングから飛躍をとげ、一気にビットとアトムというきわめて現在的な問題に相似します。飛躍の穴埋めはめんどくさいのでしませんが、ここからは菊地氏と私の本職の問題となります。トークの中身がどうなるか今は眠いので分りましぇん。
2010-10-29 05:53:32