小野憲史、井上明人、ゲーム雑誌の歴史を語る
そういった小学生や中学生が持っていた会話の流れに沿って、ゲーム雑誌の記事というのは形成されていたと思います。今思うと、かなりノリノリな感じでしたね。パソコン雑誌でさえ、そういった軽いノリだった時代ですね。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:30:113つぐらいに分かれると思いますが、一番大きなムーブメントになったのは、たぶん1985年に、マリオの攻略本が「売れまくる」ことに徳間書店が気づいて、その後にファミマガが雑誌として波にのりはじめたときではないでしょうか #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:30:59まる勝ファミコンとかですね。^^ RT @kono3478 ちなみに、皆さんよく読んでいたゲーム雑誌はありますか? #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:32:09はじめて自分のお金で買ったのが91年頃で、小学五年生のころですね。そのときは、僕がクラスのなかで「ゲーム博士」的な感じでした。ゲーム雑誌からの情報「も」仕入れている小学生は、クラスの中では稀少価値だったと思いますw #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:32:48そうですね。もともとみんなで、わいわいとゲーム攻略情報を話す文化があって、そこに、ゲーム雑誌「も」あるという位置づけですね。 RT @hiyokoya6 ゲーム雑誌からの情報「も」仕入れている小学生は、クラスの中では稀少価値だったと思いますw #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:34:20私はゲーム雑誌を買わない子供でしたが、友達がファミマガ買っていたのでそれを読んでました。ウル技50+ウソ技1は好きだった。ファミ通は当時、微妙に主流を外していたイメージ。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:35:03個人史になってしまいますけれど、小学生の頃は、僕がクラスの中の「ゲーム情報」をすべて知っていて、すべてのゲーム情報のハブ的存在だったから、そこまでゲーム雑誌に頼らなくても、情報量を持っていたのですよね.ゲームがものすごいコミュニケーションのネタだった。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:35:22中学にはいって、私立になってしまって、誰とゲームの話をすればいいのかわからない。「ひきこもりゲーマー」になったところで、ゲーム雑誌がありがたかった、ということがありました。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:36:30派手は表紙だったし、そういえば、当時、CMで、よくゲーム雑誌の宣伝していたましたよね。それがきっかけだったかな。今から思うと不思議だな。雑誌の宣伝をTVでするなんて。 RT @kono3478 三宅さんはまる勝ファミコンですか。角川ですね。#DigraJ_1002p
2010-02-16 00:36:51ありがたいというのは、一人でも情報を集められる、ぐらい情報が濃かったということですか? RT@hiyokoya6 誰とゲームの話をすればいいのかわからない。「ひきこもりゲーマー」になったところで、ゲーム雑誌がありがたかった、ということがありました。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:38:04@matakimika さんがいま、友人知人がいちばんのゲームソースで、いまだにゲーム雑誌はさほど…という発言がありましたが、ハブ的な人間になれると、確かにぜんぶ情報あつまってくるんですよね。むこうから。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:41:02#DigraJ_1002p UStreamサーバーが非常に重たく、また、オーディオラインもなぜか放送できないため、読み上げ放送は中止しました。ごめんなさい。
2010-02-16 00:41:06ゲームを買い始めたのは学生になってからで、それも月に1本とかだったから、店頭で死ぬほどパッケージの裏を見て決めてましたw #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:42:29ゆっくりとした展開で紐解いていく感じですねw ファミ通のクロスレビューとか、売上ランキングとか、当時はすごく参考にしてましたね。僕は「何を買えば良いのか」という情報がなかった。そのときは特に大きかったですね。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:42:39少なくとも、ひきこもりゲーマーにとっては、「なくてはならない存在」だったと言っていいと思います。何を次に買えばいいのか、わからない、という状況に対するソリューションを与えていたわけですから。まあ、広告媒体だったり、クロスレビューのバイアスがあるにせよ。 #DigraJ_1002p
2010-02-16 00:43:48なるほどー。とすると、ゲームに関する言説は、ずっと、享受するというか、受け取る一方の時代でしたね。それも、微妙に遠い情報などもあって、そういった意味で、ゲーム雑誌がセントラルな時代だったのかもしれません。 #DigraJ_1002p
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