放射能観の歴史――ヨウ素被曝の退避基準(読売新聞1967年)

 日本のひとびとは放射能をどのようにとらえてきたのでしょうか。今回は、原子力施設事故のさいの退避基準の歴史の一端を見てみましょう。  以下は、非核三原則で有名な佐藤栄作政権(1964-1972)下の放射線審議会の答申の報道です。
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dabitur @dabitur

[quote] というわけで、今日はこのへんをひとつ。ヨウ素被曝の退避基準の話。 / 読売新聞1967年3月21日朝刊「放射線の退避基準-原子力施設の災害 審議会できめ答申」   http://t.co/sNnS5MeBhh

2013-12-01 20:57:41
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dabitur @dabitur

[quote] 「放射線審議会(木村健二郎会長)は二十日の第二十一回総会で災害対策基本法にもとづき、原子力施設などの災害が発生したとき、公衆の退避を必要とする放射線レベルをきめ、佐藤首相に答申した」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 20:58:15
dabitur @dabitur

[quote] 「原子力などの施設は、あらゆる事故を想定して二重、三重の安全装置が設計され、原子炉内の核燃料が、全部溶け出すようなケースはゼロとされている」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 20:58:49
dabitur @dabitur

[quote] 「だが、航空機が原子炉に衝突して、圧力容器まで破壊されるような、起こりえない事故が起こった場合には、周辺住民を一定の放射線レベルによって退避させなければならず、国や地方自治体は毎年『防災業務計画』をつくり、地震や台風と同様に計画を立てなければならない」ibid.

2013-12-01 20:59:52
dabitur @dabitur

[quote] 「同審議会は首相の諮問を受け、三十九年〔1964年〕三月いらい、災害対策特別部会(塚本(略)部会長)をつくり、国がきめる退避基準を検討していたもので」(読売新聞1967年3月21日)。

2013-12-01 21:00:55
dabitur @dabitur

[quote] 「(1)全身の外部被ばくに対しては二十五ラド〔250mSv相当〕(2)ヨウ素による甲状センの内部被ばくに対しては、百五十ラド〔1.5Sv相当〕が適当であるときめた」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 21:02:04
dabitur @dabitur

[quote] 「茨城県や福井県などの原子力施設をもつ地帯では、地域別の交通事情を考えて、さらにきびしく、低い値を設定するようにすすめている」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 21:02:34
dabitur @dabitur

[quote] 「1ラドは生体が放射線を吸収した場合の単位で、1レントゲンの放射線を浴びたときの1レムにほぼ等しい。健康診断のときのエックス線間接撮影(胸部)の被ばく量は1ー2レントゲン」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 21:03:57
dabitur @dabitur

[quote] 「前期の放射線レベルは、現在の医学的見地から、一度に人間が浴びても障害を起こさない最大の線量とされたことになる」(読売新聞1967年3月21日朝)

2013-12-01 21:04:25