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「敗戦」をのりこえる―平石直昭「理念としての近代西洋」(1995年)

 1945年8月15日、いわゆる「玉音放送」をきっかけに、日本のひとびとは戦争の終結を知ることになります。それとともに、彼らは敗戦と日本社会の復興に向き合うことになりました。  以下では、とりわけ後者の復興について考えてみましょう。この点に関して重要な議論を提起している、平石直昭氏による「理念としての近代西洋」という論考からの引用の抜粋です。 参考文献 続きを読む
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dabitur @dabitur

[quote] 「『このことは戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのバカらしきや、さては町会、隣組、警防団、婦人会など民間の組織がいかに熱心に自発的にだます側に協力していたかを思い出せばはっきりする』」〔臼井吉見〕(平石直昭(1995:64f))

2013-12-05 02:17:04
dabitur @dabitur

[quote] 「『戦争の期間を通じて、誰が一番直接に連続的にわれわれを圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかといえば、近所の主婦であり、大工であり、小商人であり、隣組であり、百姓であり、小役人であり、労働者であり、学校の教員であり、すべて身近かな人たちだった』」〔臼井吉見〕ibid

2013-12-05 02:18:29
dabitur @dabitur

[quote] 「『これらはそのメンタリティーにおいて、ことごとく軍であり、官だった。一億官僚だったと思う。国民同士がたがいに監視し合い、密告し合い、苦しめ合った。新聞や雑誌やラジオがそれを助長する役割をはたした』」〔臼井吉見〕(平石直昭(1995:65))

2013-12-05 02:19:18
dabitur @dabitur

[quote] 「『だから、これまで奴隷状態を存続させた責任を、軍や警察や官僚にのみ負わせて、彼らの跳梁を許したばかりか、進んでそれを手伝った自分たちの罪と愚かさを反省しなかったら話にならないと思うのです』」(平石直昭(1995:65))

2013-12-05 02:20:12
dabitur @dabitur

[quote] 「「『これをぬきにした言論にはだまっていられない反発を感じましたね。戦後二十年目になるが、われわれのなさけないメンタリティーに変りはないと、ぼくはみています』」〔臼井吉見〕(平石直昭(1995:65))

2013-12-05 02:20:47
dabitur @dabitur

[quote] 「「このように語っている臼井が、かつて魯迅の提出した『暴君治下の人民は、多く暴君より更に暴である』というそれと、同じ問題を出していることは明らかです(竹内好『魯迅』一九四四年初版、参照)」(平石直昭(1995:65))

2013-12-05 02:21:34
dabitur @dabitur

[quote] 「敗戦後の臼井は、『近代の出発にあたって、すでに近代の限界を知らされてゐるわが国の不幸な宿命』をよく承知していましたが、その上で、『日本社会』がこれから『個人を誕生させねばならない』とのべています」(*『展望』一九四七年四月号*『中央公論』一九五○年九月号など)

2013-12-05 02:22:39
dabitur @dabitur

[quote] 「上に引いた〔回想の〕一文とこうした主張を重ねるとき、『近代的個人』という彼の理念が、どんなタイプの人間に対置されていたのかよく理解できるように思います。彼の念頭には、戦争中まさに『身近かな人たち』からうけた抑圧の記憶が、黒々と横たわっていたのでした」ibid.

2013-12-05 02:23:37