- toshiyuki83
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@toshiyuki83 評価不可能を目指すと、「評価できないようなものを目指した物」という評価をされる。本当に評価不可能なものは天然でしか存在しないと思う。松本人志の映画が、評価不能を狙って評価から逃げただけになったような。
2013-12-05 00:02:18@ELPACHOPAMYOLE 評価というか、言語による論評を考えていて、表現を言語にできた時点で、それは言語にできるレベルになるから、言語に変換不可能なものを作りたいということなんだよー
2013-12-05 00:03:29@ELPACHOPAMYOLE 体験の定義がわからないけど、音楽でも映画でも、言語に変換不可能なものはあると思う。ただ「すごい」としか言えないようなもの。
2013-12-05 00:11:25@toshiyuki83 うーん、僕の中でもまとまってないのだけど、本人の一部になってしまえば評価するのが難しくなるので、作品に触れた人が「自分の体験」として吸収してしまうような形のものだと「すごい」としか言えなくなるのかなぁ、と。
2013-12-05 00:21:44@toshiyuki83 現代アートの「普段持っていない視点を相手に持たせる」っていうのも、疑似体験だと思う。でも現代アートは客観性を保って、分析したり評価することが体験の一部だったりするので「評価不能」からは一番遠い気がする。
2013-12-05 00:25:04@ELPACHOPAMYOLE 現代アートはそういう役割があるんだね。勉強不足で知らなかった。教えてくれて、ありがとう。体験させることが客観性か…それって逆説的とかじゃなくて、本気でだよね? それで評価不能からは遠いかな…難しい話だな…
2013-12-05 00:29:34@toshiyuki83 現代アートの話は私の認識に過ぎないので、専門家の意見はまた違うのかもしれない。でも何を表すためにどうしている、みたいなロジックはすごくシッカリしているよ。
2013-12-05 00:31:20@ELPACHOPAMYOLE うん、そうか。何を表すために体験させるということがロジックがしっかりしているってことだよね?
2013-12-05 00:33:08@toshiyuki83 伝えたいメッセージや体験させたいこと、つまり目的がしっかりあるので、その目的のための方法はかなりキッチリ作りこんである(のが、いい作品と呼ばれる)。
2013-12-05 00:37:53@ELPACHOPAMYOLE うん…でも教訓めいて説教臭さがあるのは陳腐なような気がする…これは人の趣向だけど、僕は十人十色の感想があるようなものを作りたいなー
2013-12-05 00:41:17@toshiyuki83 うん、問題意識を持たせるまでが作品の目的だから、感想とか結論は人によって違って良いと思う。「考えたことも無かったからこれから考えてみよう」っていうのが。
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