@usmmmask 関心事の真相を明らかにするために文書が必要だと言ってくれるのなら分かるんですが,歴史学ってそういうものなのかなと。文書が出てこなくなってしまうような社会状況そのものを研究対象とするんだと思っていました。
2013-12-07 00:13:41@WalBeef 史料を掘り起こすのも国史の方の重要な役目に見えます。史料の出てこない社会の形成過程を公開史料だけで描く社会制度史ということですか?
2013-12-07 00:20:04@usmmmask 結果として残された史料を探し出すのは宜しいと思います。しかし,これから残すか残さないかという話をしているときに,後世の歴史研究のために残せと注文することは,歴史学者が自分にとって研究しやすい形に歴史を加工しようとしているような印象を受けます。
2013-12-07 00:29:37@WalBeef 基本的に後世への説明のために文書を残すのが基本線というのが公文書の管理に関する法律以降の流れのはずですが、史料を残すのは後世歴史家のための歴史の加工と見るのと、史料を廃棄するのは現世代の執政担当者のための歴史の加工と見るのとは同程度に成り立ちそうです。
2013-12-07 00:43:02@usmmmask 同程度に歴史の加工だと私も思います。そこで出てきた最初の私の疑問が,歴史家はそれを望むのか?ということなのです。
2013-12-07 00:52:11@usmmmask 私が問題としているのは,原敬の例に引き直すと,これから日記を書こうか書くまいか迷っている原敬に「後で読みたいから,書いてください」と歴史家が言うのですかということです。その上で,史料を残すと決めることが(史料が写すべき)現実へ与える影響を気にしています。
2013-12-07 01:07:52@WalBeef その懸念は共有出来ますが、原敬は死後すぐに広まるとまずい秘密と自覚しつつ残すつもりで私的に書いており、埒外では。問題は相対的に公的な秘密文書でしょうが、公報資料以外を見つけるのが期待できないのよりは、多少歪曲されても意思形成過程らしきものがあるほうがマシかと。
2013-12-07 01:18:52@usmmmask その多少の歪曲を正当化する理屈を歴史学は備えているのでしょうかね?人文・社会科学一般の,観察者が観察対象の中にいて観察しながら観察対象に影響を及ぼしてしまうことが不可避であるという性質を思いつきますが,それとも違う話ですよね……。
2013-12-07 01:28:23