まとめの限定公開に「リンク限定」が追加されました。URLを伝えてまとめを共有しよう!

友達の良いところを伝えよう的な小学校の授業で、教師がとりがちな対応

努力をほめるのに才能をほめないという教師がいるが、おかしいと思う。
人文 教師 小学校 教育
7270view 0コメント
1
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
なにか人に迷惑をかけたとき、「わざとじゃないもん!」と強気に出る子っているけど、世の中、わざとじゃなくても謝るのが当然だよね。電車が遅れて会社に遅刻したとしても、「遅れて申し訳ありません」って謝るよね。「電車のせいだもん」と言って堂々とされても困るよね。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
東電が「わざとじゃないもん、地震と津波のせいだもん」と言えないのと同じで、どこかに必ず、人為的過失というのは存在するんだからね。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
人為への責めや人為への高評価はいつでもどこでも存在する。「それはあなたの過失の結果だからあなたの責任だ」「それはあなたの努力の成果だからあなたは素晴らしい」。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
でも、人為の及ばない「自然」(=意図的になにかしたわけではないが、そうなっている、そうなった)への責めや高評価は、あまり存在しない。まあ「自然」を責めてもしかたないのだが、「自然」を高評価するのは、悪くないと思う。たとえば、天賦の才。教師って、天賦の才を褒めるのを嫌うんだよねぇ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
あの子はあまり特別な努力をしていないように見えるが、もともと頭がいい。もともと体力がある。もともと運動神経がいい。もともと音感がある。…そういうのを、教師は、褒めたがらない。「がんばってそうなった」ときだけ、褒めたがる。でも私は、それはおかしいと思う。先天的才能も褒めて当然。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
低・中学年なんかは、よく教室で、「友達のよいところを書いて、わたしてあげよう」みたいなことを、やらされる。そのとき、「◯◯くんは、サッカーが上手です」「◯◯ちゃんは、頭がいいです」とか書くと、「うーん、あのねぇ、そういう内容じゃなくてね…」と否定する教師は多い。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
いや、「否定しないこと」が大事なのではなく、「肯定すること」が大事なんですよ。「ほかには?」なんて言う必要なし。 RT @tsunderep 「そうだねー。他にはないかなー?」と言えば、否定しなくて済むのに、と思うのです。 RT @FukushimaKokugo …と否定する教師
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
「お友達のいいところを発表しよう」みたいな授業自体、私は好きじゃないが、もしやるのなら、「◯◯ちゃんのいいところは、声がキレイなところです」などといった天賦の才をほめる言葉を、ちゃんと肯定してあげることだ。「そうだね、声キレイだよね」と。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
そういうことをなぜ教師が忌み嫌うかというと、「声がキレイ」とほめることが、暗に「声がキタナイ」子を批判することになる、といったおかしな論理を持っているからだろうな。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする