治安維持法をめぐる「(誤)理解」――奥平康弘『治安維持法小史』(1977年)から
[book] 今日はこのへんからひとつ. / 奥平康弘(1977)『治安維持法小史』単行本 http://t.co/IIUqljy2Y5 文庫版 http://t.co/MPMZFbONRo
2013-12-12 20:29:58[quote] 「治安維持法が、たいへんな悪法であったことについては、ひとびとのあいだにほとんど異論がみられないようにおもう」(奥平康弘(1977:はしがき) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:38:05[quote] 「けれども、この法律が、どういう意味で、どういうところが、悪法であったというべきなのか、という点になると、かならずしも多くのひとびとの意見ははっきりしていないようにおもう」(奥平康弘(1977:はしがき)
2013-12-12 20:39:13[quote] 「いや、治安維持法が悪法であるのは、論証を要しない自明のことがらであって、いまさらこれを問うまでもないとする傾向が、あるようにさえみうける」(奥平康弘(1977:はしがき) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:39:49[quote] 「私もまた、治安維持法が、極めつきの悪法であると評価するのに、人後におちないつもりである。が、それにもかかわらず、私は、それがどんな意味で悪法であったのか、十分に検討を要することであるとおもっている」(奥平康弘(1977:はしがき)
2013-12-12 20:40:30[quote] 「『治安維持法』というばあい、そういう名前の法律を指すことには、だれも異論がないが、さて、それ以上になにを指すかという段になると、かならずしもはっきりしない」(奥平康弘(1977:5)) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:41:28[quote ]「例えばこういうことがある。最近、ある新聞の投書欄(『朝日新聞』、1976・2・4『声』欄)に、戦前の体験を語るつぎのような文章が載っていた。71歳の投書者はいう」(奥平康弘(1977:5))
2013-12-12 20:42:09[quote] 「『私も昭和8〔1933〕年4月末、当時の東京・深川区牡丹町の家で(夫と)長男と親子三人で寝ているところへ、カギをかけた玄関の戸を外からはずして泥ぐつのまま入ってきた三人の男に有無をいわせず洲崎署に連行された』」(奥平康弘(1977:5))
2013-12-12 20:43:10[quote] 「『私たちは消費組合員だった。夫は別の署に移され、長男は三日目に外に預けた。』〔と投書者は書いている。〕戦前には、このように逮捕状もなく、理由もつげずに、警察は市民の身体の自由を平気で奪ったものである」(奥平康弘(1977:5))
2013-12-12 20:44:17[quote]「この投書者も自分たちがなんで逮捕されたのかわからなかった。そこで、ひそかに警官のひとりに懇願*事故記録なるものを見せてもらったところ*『木場町三丁目付近をはい回中、住居不定をもって留置す、長男は迷子で保護、と毛筆で書いてあり、署長の印が押してあった』という」
2013-12-12 20:45:48[quote] 「投書者はこうして『(共産)党員でもない私たちの所に住居侵害をしておきながら被害者を浮浪人として留置するという治安維持法の姿』*を指摘し糾弾している」(奥平康弘(1977:5)) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:46:52[quote] 「昭和8(1933)年というと、治安維持法の適用範囲が拡大されて、共産党のみならず各種の『外郭団体』にも弾圧の手がおよぶようになる時期であった。たんに消費組合運動に従事したというだけで、身柄の拘束をうけ*尋問されるということは、大いにありそうなことである」ibid
2013-12-12 20:48:22[quote] 「理不尽な警察侵害に対する投稿者の正当な怒りに、現在のわれわれはだれしも同調せざるをえない。ただそのような抗議の正当性とは別に―重箱の隅をつっつくなといわれそうだが―投書者の誤解を摘示しておきたい」(奥平康弘(1977:6))
2013-12-12 20:49:28[quote] 「というのは、投書者本人は『浮浪人として留置するという治安維持法』が、自分らに対して適用されたと理解しているらしいが、じつは、治安維持法には浮浪人を留置させるむねの規定はない」(奥平康弘(1977:6)) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:50:23[quote] 「投書に出てくる事故記録の記載が正確なものであるとすれば、このご夫妻に適用されたのは、現在の軽犯罪法に該当する警察犯処罰令(明治41年内務省令16号)であったにちがいない」(奥平康弘(1977:6))
2013-12-12 20:51:04[quote] 「警察犯処罰令には『一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方二俳梱スル者』(1条3号)を30日未満の拘留に処すると定めていた。これを浮浪罪または徘徊罪といった」(奥平康弘(1977:6)) http://t.co/IIUqljy2Y5
2013-12-12 20:52:06[quote] 「投書者らは、親子三人、自分の家で平穏に寝ていたというのだから、本当は浮浪罪・徘徊罪を問う余地などありえない。ありえないことが、しかし、戦前の日本では、左翼取締りとの関係では、大いにあったのである」(奥平康弘(1977:6))
2013-12-12 20:53:00[quote] 「といっても、投書者の誤解は無理もないところがあるし、ある面では誤解といい切るのは正しくないかもしれない。警察犯処罰令の浮浪罪(徘徊罪)は、行政執行法(明治33年*の予防検束などとともに、その運用上、治安維持法と一体のものたる性格を与えられたからである」ibid.
2013-12-12 20:54:14[quote] 「浮浪罪(徘徊罪)は―予防検束とともに―本来の『治安維持法』を小規模な形で代位するミニ治安維持法、治安維持法のミニ版であった、といえる」(奥平康弘(1977:6f))
2013-12-12 20:55:04[quote] 「このこと、つまり、浮浪罪とか予防検束とか、それ自体は治安維持法と関係なく成立した法制度が、思想取締り・集団規制の道具の一環として治安維持法を補完し、これに代位するものとしてはたらくようになったところに、戦前日本の治安法体系の特徴がある」(奥平康弘(1977:7
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