2013年12月19日

佐藤正美Tweet_20131201_15

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佐藤正美 @satou_masami

成り行きに任せた やりかた だったけれど、そういう やりかた にしても、そういう日々に私が幸福だったことは、たぶん確かである。

2013-12-02 01:23:32
佐藤正美 @satou_masami

さほど遠からぬ所まで来ていた、それは認めても宜しい。また、師の中の師と云うべき人たちを仰いだまでは良かったけれど、私はその世界にどっぷり飛び込むことはしなかった。彼等の言説の中から私にわかった事だけを真似したにすぎない。モデル論を習得したなどとは、とても言えた義理ではない。

2013-12-02 01:23:57
佐藤正美 @satou_masami

論理は、理論という建築の骨組みとなって、まっすぐに立った明瞭性のある形式を表現している。本当の理論には、論理の立ちすがたが認められるものだ──仮定し、展開し、元に還り、そして「現実」との験証で終結する。ひとつの公理系とは、論理が理論の形を堂々と押し通している証拠である。

2013-12-04 03:22:36
佐藤正美 @satou_masami

「現実」にそむかぬように仮定を立てたうえで、論理を用いるということをするのだ。ロジシャンは、言葉という道具を論理規則に持ち替える、道具を握り直す。言葉をそっくりそのまま採用すると、それをあの強固な論理にかさねる。そして、言葉のいっさい、言葉の長い行列全体、その構造を形式化する。

2013-12-04 03:23:26
佐藤正美 @satou_masami

論理は、語(観念)を消す、と同時に物を消す。物は、普遍(不変?)の論理に即して、条件化される。アルゴリズムとは、そういう性質のものであろう。いっぽう、現実的事態のモデル(模型)は、事態を条件化する。プログラマとシステム・エンジニアとの反目の一因であろう。

2013-12-04 03:24:05
佐藤正美 @satou_masami

モデルを制作するのが目的ではない。人々に事業を見通させ彼等が営んでいる事の工夫を認識するためにモデル(模型)を以て事業を掴もうというのだ。

2013-12-04 03:24:48
佐藤正美 @satou_masami

1995年以後、仮にも「オブジェクト指向」的レッテルが貼られなくては時代遅れの技術とみなされる他なく、原論などというものは少なくとも実務界では認められなかった。私は、意味論を重視するDOAから離れたが、流派(DOA、OOA)というものを拒否する態度をとったという自負がある。

2013-12-06 15:36:16
佐藤正美 @satou_masami

モデル論をせっせと学習しながら、正直に言えば、学習しても仕様がない気がしていたし、無力感を覚えていた。学習の途上、或る時は、幸福になったり、社会の動向を眺めて不幸になったりした。「この人たちは原論を認めないんだ」と決めつけ、「それでどうしてモデルがわかるだろう」と思ったりもした。

2013-12-06 15:36:51
佐藤正美 @satou_masami

私は満腹で食事を拒む様な人物ではない──寧ろ、節制の地獄に堕ちた禁欲家である。「私は幸せにはならない」という強迫観念で、(仕事以外の)殆どの事を阻止する病人 [ 治ろうと欲しない病人 ] である。そして、竟(つい)には一人の厭世家が形成され、それに見合う経験のみが応ずる。

2013-12-06 15:37:48
佐藤正美 @satou_masami

ロジシャンは、現実的事態をひしひしと身に覚えながらも、「意味」をさしあたり示さない「物」というべきもの、さしあたり中身を欠いた形がそなえられている条件(成立条件、制約条件)に気づき、やがては「意味」(値)をそっくり拾ってくれるような「関係」(座標)を先にほうに見計らっている。

2013-12-10 06:35:59
佐藤正美 @satou_masami

「意味」は、モデル制作の結果たる「値の充足」にあるのではない。それらの値は真理条件の験証であり、物の存在確認(sense)である。「意味」は、数々の「関係」を読む判断の裡にある。構文論と意味論とが一つのモデルのなかに合体した構成(文脈)こそ、正しいモデルである。

2013-12-10 06:36:41
佐藤正美 @satou_masami

30才代の頃に私をうきうきさせ、その後で私を苦しめたモデルらしきものは、実はモデルではなく、記述的意味論を拭い切れていない事がわかってきた。「構文論が先で、意味論は後」こそモデルの要件だと考えるに至った。そして、記述的意味論に愛想をつかし、DOAからは絶対に訣別しようと決心した。

2013-12-10 06:37:14
佐藤正美 @satou_masami

拙著「論理データベース論考」は、SEたちが口をつぐんでいた事を暴いた無作法さと、そういう事に論理的決着をつけようとした焦りが混っている。今になってつくづくわかるのは、あの著作こそ、私が正にモデル論に向かおうとしてその基礎を書きえた書物だが、これを書いた事は妙に自信をつけた。

2013-12-10 06:37:48
佐藤正美 @satou_masami

はじめは理解できないけれども理解したい事を写す事から我々は始める。現実的事態を「形式」(モデル)に写像するのは、この写す事に依るのであって、理解という行為にはこれ以外のやりかたはない。こういうふうに形から中身に向かう時、形に支えられ、対象を見失う事をせず、考える様になる。

2013-12-10 06:41:08
佐藤正美 @satou_masami

証跡としての「情報」(帳票)は、空想的な一切の概念からきっぱり区別しておくべきだ。「事実」は、事物のほうにあるのだし、また証跡は、験証において、精いっぱい事物と調和を計っているという意味である。「情報」(言語)は、事物に対して手応えの確かな代替として対置する。

2013-12-12 21:22:15
佐藤正美 @satou_masami

まことしやかに言われているように、モデルを作る前に、頭の中に持っている理想の(あるいは、典型的な)お手本をあらかじめ見ているのだ、などと我々は言いそうになる──自分が作ってしまった観念を自分が観る、ばかばかしい、そんな事は作り話じゃないか。

2013-12-12 21:22:51
佐藤正美 @satou_masami

モデル制作の世界は実に魅力があるけれど、いっぽう恐ろしい毒を持っている。自分だけはそんな毒を免れていると思っていても、いつのまにか、この毒を口にしているのである。この領域で自分の思考などというものを信じたら、えらい目に会う──自惚れてしまうか、逆に覚束なさに陥る。

2013-12-12 21:23:24
佐藤正美 @satou_masami

ひとつの取引を思い描くには、そこに関与した人なり物なりを心に浮かべて、その取引がそこに為された事を見る他はない。そこには、大体は感じとれても、まだ確実にわかりかねる一種の制約束縛がある。論理は、そのような人・物のあいだの推理の因(よすが)を洗い出す事にほかならない。

2013-12-15 02:35:59
佐藤正美 @satou_masami

「論理データベース論考」──あのような大仰な書名については、若気の至りとしか言いようがない。しかし、あんな書名を付けてから13年が過ぎて、あれを読破した読者は10人もいまいと想像する。その本文のほうは──「ゲーデルの定理」(モデル論の原点)を読むための基本知識のまとめである。

2013-12-15 02:36:50
佐藤正美 @satou_masami

往時ハ スベテ 問ウ勿レ。書物はその中身を忘れた後で読み返すこと──そして、自分の為した仕事をやり直すこと。

2013-12-15 02:37:25
佐藤正美 @satou_masami

モデル論的には孤独を標榜し、俗を軽蔑していた私が、多くの人々の厚意(経済的・精神的な援助)に守られて学習に集中できるのを意識した時、私が素直な気持ちになったとしても不思議ではあるまい。

2013-12-15 02:38:06

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