DJネグリジェによる浜松クラブサーガその1
同じ理由でスピードガラージもそれと知らずに買ってたんじゃないかな。後になってスピガラを集め出した時、知ってる曲がいくつかありました。キム・イングリッシュ「ナイトライフ」なんかも既聴感があったな。しかし、スピガラって略し方はスピタモみたいでいいやね。
2010-10-18 13:17:31やっぱ『アドリブ』や『remix』が特集組んでから、あと、たしか若杉さん仕事のA6サイズくらいのフリーペーパーとか、あのあたりからじゃないですかね? RT @zookie_xlntz: 俺も気付いたら持ってた感じです。意識して買ったのが何か思い出せず…
2010-10-18 13:32:432stepのコンピ『サウンド・オブ・ザ・パイレーツ』には一発でKOされた。どの曲にとかじゃなくて、全部にやられた。レコから立ち上る世界観に圧倒された。そこにはR&B、ハウス、ヒップホップ、ドラムンベース、レゲエなどダンスミュージックのありとあらゆる要素が圧縮陳列されていた。
2010-10-18 14:01:44そっからはもう2stepのレコバカ買いですよ。地元のレコ屋→ハイタイムスやロッキン、オスギのイケヤにもロックドオンあたりのブツがポツポツと入荷し始めた。通販は東京のHOT WAXやテクニーク、HMVも利用した。お金がいくらあっても足りないから、手持ちのレコを売り始めた。
2010-10-18 14:08:03けっこうプレミアの付いたサントラやソフトロックのレコが次々と得体の知れないホワイト盤に化けた。「タブー」は辞めたが、R&Bのイヴェント「HOT WAX」(レコ屋とは別物)はまだ続けていたので、そっち系のは売らずにいた。R&B DJではモテてたので辞められなかったのだ。
2010-10-18 14:16:04「HOT WAX」はいま思い出してもいいパーティーだった。アトムさん、イサオ、俺の三人は、80年代のダンスクラシックや90年代の胸キュンR&Bで、フロアのギャルたちを片っぱしから悩殺していった。テヴィン・キャンベル「キャン・ウィー・トーク」がまだ有効だった時代の出来事です。
2010-10-18 14:22:18初めて2stepを投下したのも「HOT WAX」だ。クレイグ・デヴィッドあたりならR&B好きにもいけるだろうと踏んだ。結果は…まったくダメだった。当たり前だ。BPMが早すぎる。俺のガラージDJとしてのデビューは、ほろ苦いものになった。
2010-10-18 14:32:23前にUKガラージ耳を養うなら、ひと通りくらいUSガラージも試食するのも大切だと呟いた。もひとつ言うなら、ソウル/ファンクのつまみ食いも不可欠だろう(本当はどっちも暴飲暴食してるくらいが理想的)。なぜなら、UKガラージのDJの多くはハウスやソウル/ファンク畑の出身だからだ。
2010-10-18 14:50:35いや待て、ドラムンベース出身者も多かったぜ!という声が聴こえてきそうだが、ここではドラムンは90年代のファンクという捉え方で手打ちにしてもらえないだろうか。
2010-10-18 14:57:15ドラムンだけではない。レアグルーブ以降、UKで生まれた音楽のスタイルや運動、例えばクラブジャズ、グラウンドビート、ブリストルサウンド、UKソウル等々、要するに90年代に荏開津広先生が雑誌で取り上げてきたような音楽は、すべて90年代のソウル/ファンクというくくり方ができる気がする。
2010-10-18 15:08:44@djnegligee その辺りは人それぞれ解釈ありますよね。僕は音響ありき、D&B以降のサブベース体験後の非ハウス人によるハウス的何かがUKGやファンキーだと思ってます。UKはスタイルが拡散すると、ブラックミュージックに戻るために定期的にハウスに回帰するのかな~と。
2010-10-18 15:30:09な〜る。トッド・エドワーズは本物でもジェレミー・シルベスターはまがい物的な。 @AGOxlntz: @djnegligee USアコガレ。でも勘違い、みたいな。初期のUKGやファンキーってまだ素直にハウスですもんね。
2010-10-18 15:44:02UKガラージの有名DJチーム→タフ・ジャムの二人などは、レアグルーヴとセカンド・サマー・オブ・ラブの洗礼をモロに受けた世代だろう。そんな人たちが中心となってUKのガラージシーンを牽引していったわけだから、そりゃハウスからファンクからレゲエからのごった煮になろうってもんだ。
2010-10-18 15:40:32てめぇの話に戻します。そんなわけでR&Bのパーティーで見事に不発だった2stepですが、すぐにリヴェンジの機会が訪れます。
2010-10-18 15:50:082000年11月、浜松初のシネコン→ヴァージン・シネマズ(現TOHOシネマズ)がプラネット・カフェでオープニング・パーティーを行うことになった。イヴェントを仕切るアトムさんの「ヴァージン=UKだから2stepだろう!」という鶴の一声で俺の参加が決定。今度はガラージDJとしてだ。
2010-10-18 15:59:46同じ頃、プラネット・カフェで「ZEN」というイヴェントを主宰していたHucka(以下ハッカ)さんが2stepをかけ始めていた。ハッカさんは元々ドラムンのDJだが、まさに先ほどのアゴくんのリプライ的な経緯で2stepに注目したのだろう。彼もレアグルーヴとSSOLの洗礼を受けていた。
2010-10-18 16:24:06つぶやきに2step、UKガラージまたは単純にガラージ、略称のUKGなどが混在していますが、基本的には全部おなじ音楽の傾向を指しています。2000年頃は2stepの呼称が一般的だったので、当時のことをつぶやく時は2stepの呼称が多めに出てきます。
2010-10-18 16:27:17ハッカさんとは互いが2stepをやるようになってから知り合った。@eraguruさんが2000年10月に開設した日本初の2stepサイト「2step:REWINDS!!!」のことは彼に教えてもらった。そこでは東京、静岡、名古屋、滋賀、大阪、兵庫…全国のDJたちがクダを巻いていたw
2010-10-18 16:43:10「2step:REWINDS!!!」のBBSに初めて書き込みしたのは2000年の11月に入ってからだったと思う。ヴァージンシネマズのパーティーと前後して新しく立ち上げた「Step × Step(ステップ・バイ・ステップ、以下ステステ)」の告知をさせてもらった。
2010-10-18 16:51:34ステステを立ち上げる時、俺は企画書とMIX CDを作ってプラネットのマネージャーに直談判しに行った。そんなことは後にも先にも一度きり。大体、俺がMIX CDを作ること自体激レアだ。それだけ突き動かされる何かがあった。
2010-10-18 16:58:59ステステのメンバーには、プラネットのスタッフだったジン、「ZEN」でプレイしていたアキに声をかけた。ジンはハウスでアキはドラムンのDJだが、そのプレイぶりが気に入っていた。2stepのDJは俺だけ。ハッカさんを誘わなかったのは何でだろう?別イヴェントを立ち上げる予定があったとか。
2010-10-18 17:08:14情に厚い俺が捨て犬のオスギを拾わなかったのも謎と言えば謎だ。たぶん、ヤツはまだ2stepに目覚めてなかったんじゃないか。
2010-10-18 17:23:27