DJネグリジェによる浜松クラブサーガその1
あ、もひとつ訂正。多いに→大いに、ですね。この一文は大切なのでも一回つぶやこうか。只今絶賛つぶき中の俺のDJ遍歴とUKガラージに一体何の関係があるのか?と疑問に思う人がいるかもしれませんが、もちろん大いに、肉体関係以上に深い関係があります。なので安心して読み進めてください。
2010-10-17 19:36:45モテキの話やっぱ消したw寄り道しないで先を急ぎましょう!「tabou」はフライヤーの人選からも分かる通り、最初は本当におされでラウンジーなパーティーでした。ちょうど、ディミ、ブシェミ、ウルスラ1000なんかが売れてる頃だから、ハウスDJでもその手の音源は何枚か持ってた。
2010-10-17 20:10:10フロアに全然人がいないのは(自分がブースに立つ時)ちょっと寂しかったけど、でもプラネットのサロンにはだんだん人があふれるようになって、4回目→2000年の2月には48人を集客した。これは、当時の平日としては信じられない数字だったんだよ。
2010-10-17 20:13:11あの頃俺はもう30代後半だったけど、毎晩のようにプラネットに顔を出した。パーティーのジャンルを問わず、とにかく店にいるお客さんに営業しまくった。若いDJたちにも顔を売って、うちのイヴェントにも遊びにきてくれとお願いした。よくあんだけのエネルギーがあったよなぁ。
2010-10-17 20:23:33イサオもしょっちゅうプラネットに来るようになった。島影とアーチは、毎日のようにチョイス!とプラネットをハシゴしてたんじゃないか。オスギーだって、いまよりはマメに顔を出した。自分の店でも熱心に営業してくれてたはずだ。とにかく、みんな異常にテンションが高かった。
2010-10-17 20:38:012000年3月、「tabou」を片仮名表記の「タブー」に改め、パーティーのコンセプトも一新することにした。店内に貼り出したフライヤーのキャッチコピーは「タブー解禁」。つまり、フロア解禁、DJたちのアゲアゲプレイも全面解禁した。店長はリョウタからイマちゃんに代わっていた。
2010-10-17 20:51:42フライヤーは、タブーのロゴが大きく入ったステッカー式のものを作った。部数は200とか300とかそんなもんだったが、本当にあっという間にハケた。タブーのプリクラシールも作ってお客さんたちに配った。イマちゃんに頼んでゲスト枠を設けることにした。お客さんがどっと来た。
2010-10-17 20:59:42タブーのDJ全員分の名刺も作ったな。アイロンプリントでタブーロゴのTシャツも作った。とにかくお客さんが来そうなアイディアは片っぱしから試した。正直、音楽の話はあんましなかったな。その頃のタブーは、誰がDJでも最後には必ずベースメント・ジャックスがかかるような展開だったw
2010-10-17 21:04:14たまに、若いDJから「どうしたらお客さんが来ますか?」と聞かれる。俺の経験から言えるのは、とにかく箱に顔を出しまくって、お客さん一人ひとりに営業すること。つまんないけど、それが唯一の答え。ネットやメールでお客さんが釣れた試しはない。いや少しはあるけど、ここではない!と言っておくw
2010-10-17 21:23:32ずいぶん偉そうなことを言ったが、実際いま俺はほとんどクラブに顔を出していません。俺の論理に従うなら、クラブ以外での営業はやっても無駄だから、俺はまったく営業をやっていないことになる。営業しないDJはブースに立つべからず!その通りです。謝ります。偉そうなことを言ってすいません。
2010-10-17 21:31:59「タブー」では島影がよく大沢伸一監修『サクラヒルズ・ディスコ3000』の1曲目をプレイしていた。あのコンピに収録されてたテイさんの「ハッピー2000」で初めて2stepを聴いたと思う。テイさんはたしか『Remix』誌で99年のベストディスクにすべて2stepのお皿を挙げてたはず。
2010-10-17 21:49:26違うな、初めて聴いた2stepはテイさんのじゃない。99年に出たベースメント・ジャックス「ビンゴ・バンゴ」の12インチに「ジャンピン・シャウト(スタントン・ウォリアーズ・ミックス)」が入ってる。これが最初だ。ただ、その時は2stepやUKガラージという言葉を知らなかっただけだ。
2010-10-17 22:12:41「タブー」はどんなに集客が良くても週末への昇格を果たせずにいた。勢いだけで音楽的な売りに欠けることも理由のひとつだった。よそでは聴けない、何か新しい音楽的な目玉が必要になった。何の気なしに「誰か2stepやんない?」と聞いてみた。誰も手を挙げなかった。俺がやるハメになったw
2010-10-17 22:22:56多少プロセスを省いてますが、俺が2step掘るようになったキッカケは大体そんなところ。早い話がいきものがかり…じゃなくて行きがかり上。天からお告げがあったわけでも、雷に打たれたような衝撃的な楽曲との出会いがあったわけでもない。劇的じゃなくてすいません。生まれてきてごめんなさい。
2010-10-17 23:07:32とりあえず、最初はお手軽にコンピからだろうということで、音楽誌『アドリブ』の2step特集とかで調べて、アナログ2枚組の『サウンド・オブ・ザ・パイレーツ』を買いました。最初に買ったのがこれで正解でした。アゴくんも書いてた通り音がいいし、それに何より選曲が抜群だった。
2010-10-17 23:22:22その前に、ブリストルの盤(名前忘れ)買ってませんでした? RT @djnegligee 99年に出たベースメント・ジャックス「ビンゴ・バンゴ」の12インチに「ジャンピン・シャウト(スタントン・ウォリアーズ・ミックス)」が入ってる。これが最初だ。
2010-10-17 23:36:48@osugxxx そのへんは正直記憶が錯綜してる。ただ発売年から言って、最初はジャックスあたりだと思うよ。スピガラは実はけっこうオンタイムで聴いてたことが後になって分かるんだけど。
2010-10-17 23:45:22『サウンド・オブ・ザ・パイレーツ』から数曲をクラブより先にラジオでかけた。当時まだ高校生で俺の番組のリスナーだった(いまはDJの)KILI-5がその時たしかスタジオに遊びに来ていて「2step流行りますか?」みたいなことを聞いてきた記憶がある。流行るかどうか俺の方が知りたかった。
2010-10-17 23:52:08結局「タブー」では2stepかけなかったんじゃないかな。理由は書かないが、2000年の夏が終わる頃、俺とオスギーが「タブー」を辞めることになったからだ。念のためだが、喧嘩別れとかではありません。その後「タブー」は島影が頭に立って平日の看板パーティーとして不動の地位を築いていく。
2010-10-17 23:58:54俺は「タブー」を辞めてもまだ「HOT WAX」があったから良かったが、オスギーは突然飼い主に捨てられた犬のような気分だったろう。
2010-10-18 00:01:43そうか一応書いておこう、オスギー(@osugxxx)はもともとギタポ、ロック系のDJで、浜松を代表するロック系イヴェント「WAKE-UP!」のオリメンでもあります。本人の申告によると「タブー」を辞めた後も「WAKE-UP!」ではプレイしていたようです。いつ、なんで辞めたんですか?
2010-10-18 00:31:07壷焼き再開します。まずは昨日の分の訂正とリプライ返しから。カタカタの「タブー」→カタカナの「タブー」です。あと「tabou」が「タブー」になったのは2000年の3月と書きましたが、2000年1月のフライヤーからカタカナになってました。
2010-10-18 12:50:43初めて聴いた2stepは熟考したがやっぱり定かではない。「タブー」をやってる頃は完全に耳がUKに向いてたから、99年頃に買ったUKハウス皿にその手のリミックスが入ってた可能性は高い。いずれにしても既出のジャックスか同時期のお皿だろう。
2010-10-18 12:55:39