- neko_yamashita
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今朝の朝日新聞朝刊オピニオン欄「今こそ政治を話そう」コーナーに、長編エッセイ「『宗教国家』日本」を書きました。
2013-12-25 11:57:22抜粋:わたしが強く感じるのは皆絶対に傷つかないアイデンティティーを渇望しているんだなということである。ナショナリズムは、それを信奉する人にアイデンティティーを与えてくれる/朝日オピニオン欄 http://t.co/SAFLzxwOem @neko_yamashita @TA4AD
2013-12-25 12:11:30抜粋:(同調圧力で)はみ出し孤立し攻撃のターゲットになるぐらいなら自分であることをやめて「日本人」に加わり、その中に溶け込んで安心を得たほうがどれほど楽なことか/今日の朝日オピニオン欄 http://t.co/SAFLzxwOem @neko_yamashita @TA4AD
2013-12-25 12:12:39抜粋:「日本人」」信仰は、そんな瀬戸際の人たちに安らぎをもたらしてくれるのである。安倍政権を支えているのも安定を切望するこのメンタリティーだろう今日の朝日オピニオン欄 http://t.co/SAFLzxwOem @neko_yamashita @TA4AD
2013-12-25 12:13:08抜粋:もちろん、このように有権者が自ら主体を放棄した社会では民主主義を維持するのは難しい。民主主義は自分のことは自分で決定するという権利と責任を原則とした制度だから。/朝日オピニオン欄 http://t.co/SAFLzxwOem @neko_yamashita @bcxxx2
2013-12-25 12:14:34(寄稿 今こそ政治を話そう)「宗教国家」日本 作家・星野智幸 - 朝日新聞デジタル (http://t.co/t0mZPLrraz) http://t.co/5ES19lrDa5 ①今年の年頭に私がまず購入した本は、ネルソン・マンデラの自伝や評伝だった。
2013-12-25 15:19:24②昨年末の総選挙で自民党が圧勝し、安倍政権が誕生した時点で、これからの長く息苦しい時代を覚悟し、そのような境遇下で平常心を保ちながら生き延び、時代を取り戻したマンデラの生き方に学びたいと思ったのである。
2013-12-25 15:20:46③だが、人種差別政策のもとで27年間も収監されていたマンデラに学ばねばならないと感じるほど、日本社会の今後を暗く感じるのは、政権だけのせいではない。それは数年前から始まっていた。
2013-12-25 15:21:26④年賀状のやり取りぐらいで長らく会うことのなかった、子ども時代や社会人時代の旧友たちと久しぶりに会うということが、その頃続いていた。20年ぶり30年ぶりともなると、白髪は交じり、ふくよかになり、互いに外見はすっかりおじさんおばさんなのだが、話せば性格も声佇まいも昔のままである。
2013-12-25 15:22:43⑤「変わらないなあ」と笑い合っていたら、落とし穴があった。 話題が例えば韓国のことに及ぶとそれまでとうってかわって態度が硬くなったのである。侮蔑的な口調で嫌悪を表明する。日本に対する態度を批判しながら次第に激高し、中国についてもなじり始め、日本はもっと国防に力を入れるべきだと言い
2013-12-25 15:23:53⑥、特攻隊や戦没者への感謝を口にする。スポーツでの「日本人」の活躍を涙を流さんばかりに礼賛する。そこには私の見知らぬ友人がいた。二重の意味で友人がそのようなことを口にしていることに驚いた。若い時分にはナショナリスト的な考えなどまったく持っていなかったどころか政治に関心がなかった。
2013-12-25 15:25:19⑦政治的な話題を取り憑かれたように語る姿は、見慣れぬものだった。それ以外は、以前の友人と何も変わらないのに。 そして、このような友人は一人二人ではなかったのである。男女を問わず、同様の体験が短い期間に何度も連続したことに、私は打ちのめされた。
2013-12-25 15:26:37⑧共通するのは、若いころはどの友人も政治に無関心で、リベラルでも保守的でもなかったことだ。友人だけではない。私が若かった1980年代は、誰も政治の話などしなかった。 政治や社会のことを話題にするような人間は、冷たい目で見られ、「ネクラ」として退けられた。
2013-12-25 15:27:49⑨新聞を読むのが好きだった私は、それなりに政治に関心を持っていたけれど、話のできる相手はいなかった。選挙に行くのも、友人の中で私だけだった。 学生時代から社会人にかけての二十歳前後には、そんな自分は少数派だと自覚していた。
2013-12-25 15:28:55⑩恥ずかしい話だが大学入学時には高野悦子「二十歳の原点」を読んで自分もこんな学生運動をするんだろうかと時代錯誤に想像し、実際に声をかけてきたセクトの人と話してみたこともある。しかしその会話に惹かれるところは何もなく、自分の思い描いていた学生運動のイメージは幻想であることを知った。
2013-12-25 15:31:05⑪一人暮らしのアパートに、夜中宗教セクトが訪問勧誘に来ることも多かった。中にはオウム真理教もあったかもしれない。若い女性が「人生について語り合いませんか」と明るく呼びかけてくるのである。「この世の中に違和感を覚えませんか」「自分が生きる意味や目的を考えたりすることはありませんか」
2013-12-25 15:32:46⑫一度だけ、長々とインターホン越しに話してみた。やはり失望に終わった。政治セクトにも宗教セクトにも共通する特徴は、ものの言い方がきわめて独善的なことである。社会への批判については共感する部分があったとしても、自分たちの言い分を主張するときの、世を軽蔑し自分たちを優越視する態度は、
2013-12-25 15:34:49⑬とても受け入れられるものではなかった。自分たちの正義を疑いもせず絶対視し、批判者は敵だと見なす攻撃性を隠さない。彼らが口にした言葉は教条的に教え込まれた言葉で、公式のマニュアルに従った物言いだった。信奉しているイデオロギーや教義を、まるで自分の言葉であるかのように述べていたが、
2013-12-25 15:36:02⑭実際には外から与えられた言葉に合わせて自分を作り替えただけだ。わかりやすく言えば、一種の洗脳状態にあったのである。もちろん、かれらからすれば、私のほうこそが社会の通念に洗脳された状態にある、と見えただろう。
2013-12-25 15:38:12⑮久しぶりに再会した友人たちが政治や国防を語るのを聞きながら、私の中にセクトの人たちと話したときの感触がよみがえってきた。どこかダブるのだ。友人たちはあの時代、宗教や政治のセクトを白い目で見る側にいた。自分がそれに引き寄せられる可能性など微塵(みじん)もないと信じて疑わなかった。
2013-12-25 15:39:14⑯そんなかれらが今、まるでセクトの人間のように語る。主張の内容こそ異なれど、価値観を共有しない他者(中国や韓国)を軽蔑し、自分たち(日本人)を優越視し、自分たちの考えを絶対化して信奉する姿は、そっくりである。
2013-12-25 15:40:13⑰ 違う点があるとすれば、かつてのセクトは少数派であり、社会から敬遠されていたが、今、旧友たちのような主張をする人はどこにでも普通にいるマジョリティーであり、共感されることのほうが多いことだろう。だから、自分達を異端だとは感じないし、「普通の人が当たり前のことを言っているだけだ」
2013-12-25 15:41:01⑱という気分を失うこともない。だが、この世界観を共有しない外側の人から見れば、このマジョリティーは「日本人」を信奉する緩い宗教集団だと映りかねない。
2013-12-25 15:42:00⑰それにしても不思議に思う。あれほど政治や社会を熱く語ることを毛嫌いし冷淡だった人たちが、今にしてなぜ、こうもナショナリズムに入れ込んでしまうのか。さまざまな理由が複合する中で、私が強く感じるのは、みんな、絶対に傷つかないアイデンティティーを渇望しているんだな、ということである。
2013-12-25 15:42:44⑱ナショナリズムは、それを信奉する人に一つのアイデンティティーを与えてくれる。「日本人である」というアイデンティティーである。このアイデンティティーの素晴らしいところは、決して傷つかないこと。日本社会の中で生きている限り、日本人だという理由でバッシングを受けることはない。
2013-12-25 15:43:27