20代オタ女子だけど、女手ひとつで育ててくれた母が倒れた

2012年9月16日、56歳の母は倒れた。 闘病と、駆けずり回りと、2年間のまとめと、プラスアルファ。 2014年9月「それから」と「参考書籍」を書きました。 2015年10月本編加筆修正。筆者メインの「つづき」→ http://togetter.com/li/874526
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perori @_epep_p

@tos そう考えると夏場の頭痛を「とりあえず熱中症」と片付け、そして熱中症だとしても熱射病(真夏に多発する頭痛)レベルだと勝手に判断してまともに取り合わない会社、それと「夏の頭痛はとりあえず熱射病」な社会の風潮にキレそうになりました。もう3年経ってるけど労災とれないかな……

2015-10-15 02:19:32

書き足し終了

perori @_epep_p

毎日、ICUの母の元へ通います。朝昼夜その3回の10分程度しか面会できません。節約のため朝6時起きで2駅離れた病院まで坂道激チャリ。ちょっと面会して、時間つぶして出勤の毎日でした。 母の意識は段々と、薄皮を剥くようにしてハッキリしてきました。 それが嬉しくて毎日行きました。

2013-09-16 03:42:54
perori @_epep_p

@tos 仕事のシフトをなるべく早番(9:30~)にしてもらい、6時から30分ほどのICU面会を終えるとICUの横にある家族待合室(通常の待合とは違い、食卓テーブルとソファーのある個室風の所)が誰も居なかったので、そこで仕事時間まで丸くなって寝てました。毎日。今思うとごめんなさい

2015-10-15 02:30:42
perori @_epep_p

倒れて4日後に誕生日の母へ「プレゼント、なにがいい?」と聞くと私の手首のブレス握って「パワーストーン…」「パワーが、ないから…」と呻きました。 高血圧に良い石と誕生石と、私のブレスから移植で。 でも後日、聞いたらその記憶はないとの事。(2週間バサッと覚えてない

2013-09-16 03:45:41
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ICUから移された後も、毎日休憩の合間やら出勤前に会いに行きます。飯は移動中に食います。 そんな時に医者から「左半身の後遺症は残ります。出血で脳細胞このあたりグチャグチャになってます。室内は杖で歩く程度になっても、手は到底難しいでしょう」

2013-09-16 03:46:53
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この時にはじめて現実を受け止めて大泣きしました。もう、戻れないと。 けど、母は日に日に起き上がるようになり、右手はしっかり動くので文字をすらすら書き、食事をし、オムツも外れて車椅子にまで乗るようになりました。 けれど、大好きな手芸をするための、左手は、一切動きませんでした。

2013-09-16 03:48:08

ぐちゃぐちゃって言われたのが本当きつい。

perori @_epep_p

@tos 母がICUを出ても一般病棟ではなく、勝手には外に出られない病棟? に1ヶ月ほど居ました。あるとき「病室とは違う風景を見たい」と言われて「前よくココで寝てた」と家族待合室に車椅子で連れていきました。窓は少し高い位置にあって、車椅子の母は空しか見ることが出来ませんでした。

2015-10-15 02:35:54
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@tos 私が支えてあげられればよかったんですが介護を知らず、母と私は体重が同じ位で。杖も装具もなく。他に人も居ず「空しか見えないねぇ」「……見えないねぇ」と。まぁ母はこの事覚えてなかったですが。私だけの虚しい思い出です。 pic.twitter.com/1RuApTgkjZ

2015-10-15 02:43:47
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@tos 母がICUを出て面会時間自由になってから毎日昼晩面会しました。雪が降って自転車が難しくなると、昼の50分休憩は順番さえ守れば好きなタイミングで入れるのを生かしバスの時刻表をポケットに忍ばせ、時刻数分前に休憩開始。3分で飯を買いバスに飛び乗り病院に行き、タクシーで戻る。

2015-10-15 02:52:35
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@tos 病院は駅ビル職場のバスターミナルから乗車7分の距離にあり、飯は最小限にしタクシー代に回しました。中抜けだとバレないよう真冬の北海道にコート無しで。 その約30分間と仕事終わってからの2回。毎日私が来るのを楽しみにしていて何より家族の存在が励みになると言われて通いました

2015-10-15 03:04:39
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@tos 休みの日(平日)には市役所やら色々な外回りをタイトスケジュールぎっちりにして回ります。それでなんとかして開けた別の休日は母の病室で「その病院食うまそう。うん、弟の作る飯より健康的で良いわ…」と病院食ageしたりしてました。後にこのタイトスケジュール癖が悲劇の元に。

2015-10-15 03:16:27
perori @_epep_p

その間も私は休みの度に市役所やら病院やらに手続きで動き回ってました。 弟の保険の扶養を私にうつすため。介護保険の適用のため。障害者手帳の取得のため。何か色々マジ面倒くさくて本気で1本化してくれと切実に思いました。

2013-09-16 03:48:58

介護認定は3(一年後、2へ下がった)。
身障者手帳は1級になりました。市役所で、タクシーチケットもらった。(他、ガソリン代補助or地下鉄・バスのカードが選べるようです。札幌市では)

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好きな人が栄養たっぷり野菜スープを大量生産してジップロックに詰めて冷蔵してくれました。暫くコレで身体持ちました。

2013-09-16 03:49:36
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10月。誕生日の日に「何もできなくてごめんね」と。泣きました。 好きな人に可愛い赤いコートを貰いました。肉食いました。 倒れる数日前に飛行機のチケットを取ってしまっていたスパーク遠征にはきっちり参加しました。ホモ補充ヲタ補充大事。一泊2日だけど行ってこいと母から許可が出たので。

2013-09-16 03:50:39
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  帰りに初めての浅草寺でおみくじを引いたら、凶でした。人生で初めて凶でした。泣きました。浅草の写真をたくさん撮り、おみやげのポーチを買いました。 http://t.co/mjEUiwyfJR

2013-09-16 03:51:28
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11月。母の会社は退職しました。退職祝い、というかプレゼントとしてNexus7をプレゼントしました。あのデカいスマホというかタブレット。 あれなら、覚えればネットも出来るし浅草の写真も見れる。ゲームで暇潰しも出来る。(なめことネットスーパー専用機となりつつありますが)

2013-09-16 03:52:45

中でも好評だったのが、雑誌アプリ「flipboard」https://play.google.com/store/apps/details?id=flipboard.app&hl=jaで、家の生活実況アカウントを作って家の様子や見学した施設を写真で載せるのが良かったみたいです。

perori @_epep_p

12月。東京から友人達が来ました。 小樽のオルゴール堂で母へオルゴール買いました。 母の好きな街なので、いつか連れて来られたらいいなと。 あと千羽鶴を貰いました。 本当にグラデーションが綺麗で綺麗で、見た瞬間に泣き崩れました。病室に飾ると褒められました。綺麗で。母も喜んでました。

2013-09-16 03:57:52
perori @_epep_p

1月。母も最初のうちはそれなりに気丈でしたが、徐々に現実を受け止めて暗くなってきました。 だって、退院したって、階段登れない体だから帰れない。 引越を決意しました。 当時の家は水道管が凍ること2回、他水道トラブルにまみれた家だったので。オラこんな家いやだ。

2013-09-16 04:01:09
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