藝術の宗教学 【プロトタイプ】
仮に、駅前や広場など、街中に林立している「人形(ひとがた)」としての「彫刻」の一つ一つに「念」が宿っているとしたら、とてもではないが、「怖く」てその近くを通る事など出来ないだろう。
2010-08-12 06:27:28この時期、「プリミティブ」な「形」の茄子や胡瓜の動物に「霊」は乗せられても、「彫刻」の動物に「霊」が乗る事はまず無い。「盆送り」に「彫刻」の馬が使われる事は無いし、「彫刻」の馬には「霊」は乗りたがらないだろうとも。
2010-08-12 06:30:14「仏像」が美術館で展示される場合、「魂抜き」や「御霊抜き」で、「魂」を抜いて、「彫刻」にする儀式が欠かせない。仏具店に並ぶ「仏像」も然り。「仏像」が「彫刻」になるのが「昇格」なのか「降格」なのか、美術館で見る「阿修羅像」が、「美術」に「昇格」したのか「降格」したのかは判らない。
2010-08-12 06:33:58そう言われちゃうと、返す言葉がないです… 迷惑にならない程度に、こっそり(心からの尊敬をもって)やりますから、やらせてほしいですww RT @Rythin7: 積み重ねられた経験と修行に裏打ちされ、高度な域に達しているとしか思えない美的な直感[…]
2010-08-24 07:25:03生と世界内存在の<現出Erscheinen>と<輝きScheinen>の結果が<美schön>として現れ出るのである。<美>は結果にすぎず、芸術作品の主眼は、生と世界内存在の<真実>の把握と表現にある。」『芸術の哲学』(二七頁)。宗教と芸術について、一から勉強し直す必要性を痛感
2010-08-27 22:35:44僕は視覚芸術の宗教哲学なるもの数年前から考えつつ、全く手がつけられてないので、学ばせていただきたいので是非ともどんどん動かしてほしい! @mittsko: 《芸術の宗教学》 は ちょっとずつ動きそうな感触…
2010-09-11 11:11:56了解です。力づよいです RT @ks_sato: 僕は視覚芸術の宗教哲学なるもの数年前から考えつつ、全く手がつけられてないので、学ばせていただきたいので是非ともどんどん動かしてほしい! @mittsko: […]
2010-09-11 11:16:55フムフム… RT @pettazzoniano: @mittsko まず、美学が「対象が曖昧」、「時代遅れ」とされてしまいました。宗教学は、深く考察することなしに、それをそのまま受け入れたのですね。イタリアを見る限り、美学(Estetica)は人文学の柱の一つなのですが。。。
2010-09-11 11:24:10キタコレッ! RT @ks_sato: 宗教哲学が美学と接点を持つ一つの有力な場は想像力だと思うのだけれど、その接点を曖昧なままに表現するのに使われるのが、《詩学》という語なんだろうと思います。思想家たちにおける詩学概念の語用分析はやらなーあかんなぁ…
2010-09-11 11:34:32「美は聖である。だが聖は、絶対的に、専断的に、美ではない。それはそれ以上である。<聖なる>というのは、究極的な言葉である。<美しい>というのは究極から二番目の言葉である。」 G・ファン・デル・レーウ 『芸術と聖なるもの』より。はい、必読でした。
2010-09-13 23:14:14@mittsko レーウは学を荒らすだけ荒らして、いなくなりました。良い意味でも悪い意味でも自分のことだけを考えていたのですねww
2010-09-13 23:37:48@mittsko ええ。一番の問題は「宗教現象学は<現象学>ではない」という認識でした。実はそれは正しいのですが、なぜか「宗教現象学者」たちは、自分たちの方をフッサールより上位に置いたのです! 失敗でした。。。
2010-09-13 23:42:47@pettazzoniano 「フッサールより上位に置いた」 ← えっ、そうなんですか? それは重症だなぁ… どうしましょうか…(泣
2010-09-13 23:45:21@mittsko ええ、そうなんですよ。フッサールの厳密な適用が困難だったものですから、ある意味で開き直ったのです。だから宗教現象学と現象学は異なるというのは正しいんですw。ここに一つの突破口があるかもしれませんし、ないかもしれません。
2010-09-13 23:47:57@pettazzoniano 「ないかもしれません」 ← 笑 院試のとき、「宗教現象学」の本をいくつか読みましたが、たしかにつまんなかったもんなぁ… あまりに皮相的で…
2010-09-13 23:49:52まさしくッ! RT @mmktn: ファンデルレーウのこの発言、そのまんまキリスト教的文脈でしばしば語られるある種の「美」の認識を「神」と「創造」のタームを使わずになぞってるようにしか見えません RT @pettazzoniano[…]
2010-09-13 23:52:36@mittsko この前の宗教学会のパネルでは「<宗教現象学>という言葉を解体する作業が必要だ」という話になりました。その通りです。たとえ何も得られないと分っていたとしても、きちんと葬り・喪に服し・線香が消えるのを見届ける必要があると思うのです。
2010-09-13 23:54:21@pettazzoniano 僕は、ほとんど「宗教現象学」を意識せずにやってきました K先生はじめ、その言葉をとても大事に、かつ再活性化しようとする立場の方々を横目ににらみつつ、です 「宗教現象学」は、そんなに勘所なのでしょうか…ねぇ…?
2010-09-14 00:00:17(…)「この発想こそが普遍的」とする度し難いおめでたさ。自覚的にせよ無自覚にせよこういう「聖性」理解が、教会から距離を置こうとしている「知識人」にも共有されているとすれば、問題はもっとやっかいです。理神論やユニテリアンの系譜ももちろんあたってみる必要があると思います。
2010-09-14 00:03:55@mmktn @mittsko 私はもう少し「宗教現象学」とつき合うつもりです。決して「一蹴」できるものではありませんし、(批判を覚悟で言いますが)笑うためにあるのだと考えればとても貴重ですww 誰かが「聖だ、聖だ」と言っている宗教学が「正しい」と思います。
2010-09-14 00:07:49これはむずかしい問題ですね>どんな立場をとるのか わたしは古代末期~中世宗教思想史研究関係者で、同時にカトリック信徒ですので、「なにこれほんとかな~わっかんね~」「どう説明したらいいんだろう」と困ってしまうような事例にもよくぶつかります。事例に寄り添って誠実に考えて
2010-09-14 00:12:16