実験・思考実験・実験の哲学・実験哲学(その2:暫定)
- contractio
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@at_akada もう一つ話を複雑にしておくと、別に私は、「経験的データなしに議論するのはおかしいだろ」とかいう見解を持っているわけではないのであります。(これは念のための注記。)
2010-10-20 00:02:42@contractio 「論証ってなんだ!」はわたしも知りたいですね。ただ論証はもちろん思考実験ばかり使うわけではないので、ちょっと別の話になってきますが。
2010-10-20 00:11:48です。こちらの質問の場合は、「思考実験」に対する機能的等価物を探索してみたいわけであります。 RT @at_akada: 「論証ってなんだ!」はわたしも知りたいですね。ただ論証はもちろん思考実験ばかり使うわけではないので、ちょっと別の話になってきますが。
2010-10-20 00:14:33@contractio 哲学的議論への反論の仕方はだいたい(1)矛盾する (2)科学的事実に反する (3)常識に反する の3パタンくらいある感じですが、自説を擁護する仕方はもっと複雑になる気がしますね。
2010-10-20 00:18:46さかいさんは、自分が「もう一声」と言われると全然敷衍しない件 RT @sakstyle: 全然どうでもいいけど、「もう一声」話法を、サカイさんじゃなくて赤田さんが使っていたのが、
2010-10-20 00:19:18それなりに少しだけ がんばった。 RT @at_akada: さかいさんは、自分が「もう一声」と言われると全然敷衍しない件 RT @sakstyle: 全然どうでもいいけど、「もう一声」話法を、サカイさんじゃなくて赤田さんが使っていたのが、
2010-10-20 00:20:30@contractio 個人的な意見ですが、思考実験は、特定の哲学的立場や概念分析に対する反例を探したり、概念に含まれる重要な要素を分離して明確化したりするためには必須の作業だと思っているので、それを一般的に拒否するという選択肢はちょっと信じがたいです。
2010-10-20 00:28:28メタで思考実験を否定するなんて無理。精密科学理論内で思考実験を提示されても無用。問題はその中間あたりにあって、思考実験が必要なケースと、不必要なケースを具体的に提示してくれたらうれしかったのだけれども、これまでの議論が思考実験だったというのがオチだったわけか。。。
2010-10-20 00:42:39@contractio とはいえ、さかいさんは一般的に思考実験の使用を禁止したいわけではないようにも感じられます。なので、より具体的にはどういうタイプの使用に懸念を感じているのでしょうか。
2010-10-20 00:30:31この質問は解答が分かってないと答えられないなぁ。。。でもちょっと考えます。 RT @iklog: * とはいえ、さかいさんは一般的に思考実験の使用を禁止したいわけではないようにも感じられます。なので、より具体的にはどういうタイプの使用に懸念を感じているのでしょうか。
2010-10-20 00:33:18@contractio あと、「思考実験はなぜ「実験」と呼ばれるべきなのか」という問題を、単なる呼び方の問題ではなく実質的な論点として理解するにはにはどうすればよいのか不明だと感じてます。もちろんだからといって、この問題が実質的な問題ではないと主張したいわけではないのですが。
2010-10-20 00:43:12@iklog これ──単なる呼び方の問題ではなく実質的な論点として理解するにはにはどうすればよいのか不明──の責は、私のほうにあると考えてますか?
2010-10-20 00:44:48@contractio いや、さかいさんの責任ではありません。こうした問いに何らかの答えを与える責任を負うとしたら、「思考実験」という言葉を日常的に用いる哲学者の方でしょう。
2010-10-20 01:28:12@contractio ただ、哲学者がたとえこの問いに「単にそう呼ばれてきただけだ」としか答えられなかったとしても、「思考実験」と呼ばれてきた様々な営為を評価する上ではあまり本質的ではなく、さらに、そうした営為を具体的に評価することの方が重要ではないかとは思っています。
2010-10-20 01:37:52@iklog とりあえず名称問題のほうについて。これがかなり気になってしまうのは、[1] 「実験」が、通常科学において「探求と正当化の手続き」として認められており、 [2] ひとが あるものを「思考実験」と呼びたくなる理由は そのことと関連するのだろう と推測されるから、ですね。
2010-10-20 01:59:28@iklog 仮に「実は実験と呼ぶ権利はなかった」という話になったからと言って、そこからストレートに「それには意味がない」という結論が導かれるわけではないので、すると やはり「そうした営為を具体的に評価することの方が重要ではないか」という見解にほとんど同意したくなります。が。
2010-10-20 02:01:25@iklog それはおそらく、「哲学がかかわっている様々な問題を個別に検討しましょう」というのに近くなって、つまりそれは「実際に哲学すること」と区別がつかなくなるのではないか。(iklogさんはもちろんそれでかまわないでしょうけれど。)
2010-10-20 02:02:41