実験・思考実験・実験の哲学・実験哲学(その2:暫定)
- contractio
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@contractioさんに昨日の僕の長々としたツイートをまとめてもらった。RT: 「思考実験・実験・実験の哲学・実験哲学」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/59978
2010-10-16 19:26:34ブログへのリンクも張ってもらっている。ブログのトップに今書評があるのだが、書評されている論文は、安易な思考実験に頼りすぎているので、その点を主に批判している。exampleというのは、仮想的な事例で、思考実験を指している
2010-10-16 19:28:23思考実験には、原理の例証と原理の帰結と2種類あるという論点は、指導教官のJeremy Fantlに負っている。かなりテクニカルだけど、http://bit.ly/daknTB を参照のこと。
2010-10-16 19:38:38とりあえずwikipediaでも引いてみるかと思って見てみたら、「分析哲学」の方法的特徴として「しばしば思考実験に訴える」と書いていて思わず反応してしまったw
2010-10-19 23:08:24思考実験って、むしろ、想像力の負担を最大限にするという感じがするのだが、どうなのだろう。RT @at_akada 個人的には思考実験にも、「想像力の負担をやわらげる / 議論をスムーズに進める」効果ってあると思うけどな。
2010-10-20 00:13:05その見解については態度を保留しておくけど、なぜ「実験」じゃないといけないのか──ほかのことではないのか──のほうは知りたいな。 RT @at_akada: 個人的には思考実験にも、「想像力の負担をやわらげる / 議論をスムーズに進める」効果ってあると思うけどな。
2010-10-19 23:41:49@at_akada 全く別の言い方──質問ですらない──をすると、「哲学者はどのように仕事をするの(がよいの)か」を知れば、私は 納得するのかもしれない。
2010-10-19 23:45:55@contractio なぜ「実験」じゃないといけないのかというのは、名称のことですか? たとえば「事例case」という呼び方もよくしますが、そういうことではなく?
2010-10-19 23:45:47@at_akada あぁなるほど。んーと、両方かな。 [1] なぜ想像的な事柄を例に議論を進めようとするのか。 [2] なぜそれは「実験」と呼ばれるのか。
2010-10-19 23:47:20@at_akada なお日常生活においても「たとえばなし」はしばしば有効であるわけで、それと同じくらいに哲学者が「たとえばなし」をすることは、もちろん認めてよいとおもう。
2010-10-19 23:49:09@at_akada 間違っている可能性は高いけれど、一つ私が想像したことを書いておくと。 「非常に強力な理論(や定義、議論)を組み立てよう」という指向があるある土壌では、
2010-10-19 23:52:05@at_akada 「ある理論や定義が、ものすごくヘンだったり極端だったりする例でも包摂しうるほど強いかどうか」に関心が向く、というようなことはあるのではないか。 ・・・というようなことは時々思う。
2010-10-19 23:52:54@at_akada ただ、「現在世界中で とてもたくさんの哲学者が「すごくヘンな例を思いついたやつが勝ち」というゲームに興じています!」・・・というように見えているわけではないので、仮に前項が正しかったとしても部分的にでしかないだろうけれど。
2010-10-19 23:55:33なんか急に許容してもいいような気がして来た。 RT @at_akada: オーロラエクスペリメント RT @friendsroots: 非実在経験 RT @shinimai: 思考実験に新しい名前つけようぜ!
2010-10-19 23:56:52これらの才能を人類の幸福のために役立てられないものか。 RT @shinimai: アームチェアブレイクスルーRT @at_akada: オーロラエクスペリメント RT @friendsroots: 非実在経験 RT @shinimai: 思考実験に新しい名前つけようぜ!
2010-10-19 23:58:01@contractio 全体的に難しい問題なので、答えは特に持ってないのですが、「すべてのAはBだ」というような主張に対し、「AだけどBでない」例をあげて反論するというのはよくあるように思います(それこそゲティアケースとか)。
2010-10-19 23:58:16@contractio こういう反例的なケースなどは、まさに一般的な理論を指向しようとしてるからこそ用いられるのではないかと思いますね。あと多くの哲学者はそこで「変なものじゃなきゃ想像による事例でもかまわん」と思ってそうです。 http://bit.ly/dt3caD
2010-10-20 00:01:27@contractio で、そういう反論を受けると、受けた側はたいてい「どうしてその例が、説明できないように見えるのか」を説明しようとするので、そこでだんだん議論が事例に即して細かくなっていくという点に、良い面もあると思います。
2010-10-20 00:04:14@contractio まあ正直なところ「変な例をだす勝負」みたいなケースもあります(そういうのは悪い例です)。あと余談としては授業で学生のウケをとるために変な例を考えることもあるとか。サンデルも例のだし方は工夫してそうでしたね。
2010-10-20 00:10:01