和智正喜先生の『仮面ライダー1971-1973』回顧録
- akinosora_
- 29785
- 126
- 1
- 0
@masakiwachiex 「世界でたった一人の存在」となってしまった本郷は時が流れても「たった一人だけで戦う存在ではない」事がエピローグに提示され、数多くの物を失いながらも得続け、戦い続ける事が想像出来ました。 それは全章通して貫かれている物と、今でも自分は思っています。
2014-01-17 01:34:41@YANGSANGSUN それはそうなんですね。ひとりじゃないからこそ、ひとりという認識があるわけで……そこは難しいんです、はい。
2014-01-17 01:35:32@masakiwachiex ですね、人の中にいるからこそ自身と他者との差異の確認は間違いなく本郷を苦しめ続けると思います。機能停止が起こらない限り生き続ける本郷には無間地獄であると思います。 ですが、それらを抱えながらも本郷は走り続けると、全章読み終えた自分は確信しています。
2014-01-17 01:50:05そもそも最初に『仮面ライダー』の小説を書くにあたって、唯一の勝算めいたものといえば、「『ウルフガイ』が成立してるんだから、ダイジョブじゃね?」 のただ一点だったり。
2014-01-17 01:34:51ただ、作品のトーンは『ウルフガイ』や、もっとストイックな『ヤングウルフガイ』とも違って、たぶん、『ゾンビーハンター』ですよね。別の部分で『サイボーグブルース』は当然とても参考にしているんですが、作品のトーンとしてはあそこまでクールではない。
2014-01-17 01:37:28ただ、ですね。『ウルフガイ』と同じように、「サイボーグアクションって、小説で成立するの?」という不安に対しては、「サイボーグブルース」が完璧な解答を出していたので、不安はなかったです。自分の筆力はおいておいて……ですよ。
2014-01-17 01:39:04『サイボーグブルース』のサイボーグ戦の最大の特徴というのが、いわゆる「加速状態」でのバトルで。音速を超えて戦うサイボーグ同士の戦闘だと、すべての過程が終わってから、音がまとめて聞こえてくる! とかね。あれは堪らんジュルル。
2014-01-17 01:40:38小説版『仮面ライダー』の戦闘のルールというのは最初に決めていてですね。 改造人間は防御力よりも、圧倒的に破壊力(攻撃力)が勝っている。 というのが、唯一のルールなんです。 それはどういうことかというと……
2014-01-17 01:42:12基本、改造人間同士の戦いでは、触られたら、死ぬ。 ショッカーの普通の改造人間は、一回触られたら死ぬ。 仮面ライダーや幹部クラスは数回触られたら死ぬ。※いちどでは死なない。
2014-01-17 01:44:06撮影のときにどんな感じになるのか、ではなくて、「本当にライダーが存在していてマスクを被るとどうなるか」ということですね。それがどうにもしっくり来なかったのですが、和智先生の作品を読んで非常にしっくりきて、自分の中でストンと落ちた気がしました。
2014-01-17 01:44:20@masakiwachiex そ、そうなんですかw いや、他の表現も物凄く素晴らしかったと思いますよ!?
2014-01-17 01:47:30映像だと、言い方は悪いですけど、適当な殺陣をラフに撮っても、らしく見えるわけですよ。なにしろ本物ですから。ただ、小説で、「殴った」「蹴った」ばかり書くわけにもいかない。どう殴った、どう蹴ったか詳しく書いてもそれは同じことで。
2014-01-17 01:48:06そこで殴ることにどんな意味があるのか? 防ぐために殴るのか、その一撃で殺すために殴るのか? 牽制のために殴るのか? それがないと成立しないんですね。
2014-01-17 01:49:01だけど、そうなると、ひとつひとつのアクションがよくも悪くも重くなってしまう。となると、アクションの手数を減らす必要は出てくる。そこから自然に導きだされたのが、居合いの達人同士が対決する、みたいなイメージなわけです。あー、長くなりました。すいません。
2014-01-17 01:50:34でも、どうして小説ではアクションがああなっているのか? については、たぶん書いたのは初めてかも。 ちなみに『仮面ライダー』以外も、多少のぶれはありますが、自分の作品ではこうしたルールは作ります。
2014-01-17 01:51:45