2014年1月18日

岩上安身氏による日本共産党・赤嶺政賢衆院議員インタビュー

【沖縄名護市長選挙】岩上安身氏の日本共産党赤嶺政賢衆院議員へのインタビュー。
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岩上安身 @iwakamiyasumi

深夜ですが、昨日インタビューした赤嶺議員の報告ツィートの連投をこれからします。連投が迷惑だという方、申し訳ないですが、一時的にでもリフォローしてください。名護市長選挙は19日投開票。こちらで連日取材した成果は、すぐに出さないと意味がありません。ちょっとハードですが、やりきります。

2014-01-18 01:45:32
岩上安身 @iwakamiyasumi

以下、連投。 RT @IWJ_ch1: 1.これより、1月16日に行われた「岩上安身による日本共産党・赤嶺政賢衆院議員インタビュー」の模様を報告します。「戦争の匂い」の残る沖縄で米軍基地とともに育った赤嶺氏の話は必見です。

2014-01-18 01:45:59
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投2 RT @IWJ_ch1: 2.赤嶺氏は、宇栄原(旧島尻郡小禄村・おろくそん)出身。隣には米軍の「銃剣とブルドーザー」による土地の強制的な接収に対し、初めて沖縄の住民が抵抗した具志地区があった。そんな光景を見て育った。1947年生まれ、戦後直後の団塊世代の真ん中だ。

2014-01-18 01:51:16
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投3 RT @IWJ_ch1: 3.岩上「当時はまだ沖縄は日本に復帰していません。どういう状態でしたか」。赤嶺氏「小学生の頃までは、戦争の匂いが社会全体に漂っていました。傷痍軍人だけでなく、した一般市民の大人の中にも、戦争で負傷した人も多く、顔の半分が割れている人もいた」

2014-01-18 01:53:05
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投4 RT @IWJ_ch1: 4.赤嶺「私の家は農家でした。父の野良仕事の手伝いをするときは、畑を耕す前に(戦争の犠牲者の)骨を拾って畑の四隅に積んでいました。もう一つは、米軍占領の匂い。朝鮮戦争もあり、米軍も荒れていた。コーラ瓶を持って米兵が喧嘩している場面も見ました」

2014-01-18 01:55:23
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投5 RT @IWJ_ch1: 5.赤嶺「18歳、初めてパスポートを持って本土へ行くときに、『日本人ではない』という扱いを受けました。当時、沖縄の学校の先生は『あなた方は立派な日本国民だ』という教育をしてくれましたが、ある時期まで、沖縄では日の丸も揚げられませんでした」

2014-01-18 01:56:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

RT @IWJ_ch1: 6.岩上「日の丸は、軍国主義と、日本復帰の両方のシンボルだったわけですね。アメリカの占領下では将来も見渡せなかったのでは?」。赤嶺「大学に進学した19歳の3月に共産党に入りましたが、当時は『共産党に入ると沖縄に戻れなくなるぞ』という脅しがありました」

2014-01-18 01:58:32
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投7 RT @IWJ_ch1: 7.赤嶺「大学の職員からそう警告されるわけです。いい人達ばかりでしたが、抑えることができない感情があった私は『祖国復帰運動』の思いから、共産党に入りました。沖縄では当時、共産党は非合法。米軍の統治下では認められていませんでした」

2014-01-18 01:59:58
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投8 RT @IWJ_ch1: 8.赤嶺「当時は県議会にあたる『立法院』がありました。議員は選挙で選ぶが、小選挙区制でした。沖縄人民党(のちの共産党に合流する政党)が強い地域は、次の選挙では選挙区を変えられてしまった。形式的な民主主義で、中身は民主主義ではありませんでした」

2014-01-18 02:06:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投9 RT @IWJ_ch1: 9.赤嶺「立法院の開会時は米軍の高等弁務官が演説をした。予算も米軍がにぎり、人民党の議員の地域は道路の舗装もしない。バスがデコボコ道に入ると、大人は『ここは人民党の議員の地域だから』と。支配に抵抗する姿勢は沖縄県民の長い歴史で培われてきました」

2014-01-18 02:12:41
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投10 RT @IWJ_ch1: 10.岩上「沖縄人民党について説明を」。赤嶺「社会主義を目指しているが、大きな声では言えない人たちが、『当面は、米軍の占領から抜け出し、サンフランシスコ講和条約第3条(沖縄など島々の施政権者を米国と定める項目)を撤廃し、本土へ復帰し…」

2014-01-18 02:13:52
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投11 RT @IWJ_ch1: 11.赤嶺「…団結を図ろうという意図でした。他にも当時は社会党、沖縄社会大衆党(現・糸数慶子委員長)もあった。米国占領当時でも、復帰して沖縄人民党が日本共産党に合流してからも、共同闘争をとってきた。我々は、そうした戦後の歴史を持っています」

2014-01-18 02:18:54
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投12 RT 12.赤嶺「米軍が、祖国復帰を目指す勢力が絶対に勝てないような制度をとっていたから、我々は共闘しなければならなかった。沖縄は、小選挙区制を通じて、団結して戦うことを覚えたんです。分裂の時期もあったが、団結しなければ県民に対する責任を果たせませんでした」

2014-01-18 02:20:54
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投13 RT 13.岩上「一方、保守政党はどうでしたか」。赤嶺「『琉球民主党(沖縄自由民主党の前身)』がありました。1968年の初めての知事選挙では、西銘順治(西銘恒三郎衆議院議員の父)ら保守は、『日本に復帰したらイモと裸足の暮らしに逆戻りする』とアピールしていました」

2014-01-18 02:22:54
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投14 RT @IWJ_ch1: 14.岩上「米軍統治下における『保守』とは、米軍に寄り添う体制だったわけですか」。赤嶺「そうです。我々は東京の学生寮で議論しながら、『イモと裸足でいいじゃないか。異民族支配よりは』と独立を訴えていた。私は『全共闘』ではなく『民青』でした」

2014-01-18 02:24:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投15 RT @IWJ_ch1: 15.赤嶺氏よりちょうど一回り年下(1959生まれ)の岩上「70年安保当時、子供心に『代々木』と『反代々木』の間で学生が揉めていたなという記憶が残っています」。赤嶺「全共闘寄りの学生は、沖縄が『異民族支配されている』という現状認識を持たない」

2014-01-18 02:28:14
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投16 RT @IWJ_ch1: 16.赤嶺「我々は独立を求めていました。全共闘は『すでに日本は独立している』という前提。それは、沖縄の実体験から言っても異質なものでした」。岩上「現に、『パスポートを持って日本にきてるんだ』という境遇だったわけですからね」

2014-01-18 02:30:10
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投17 RT @IWJ_ch1: 17.赤嶺「沖縄県民は当時、米軍にも日本政府にも『琉球住民』と言われていました。ある時、共産党の文献の中に、『沖縄に住む日本人』という記述を見つけたんです。『18歳以上の日本人であれば入党できる』…それを見たときは嬉しかった!」

2014-01-18 02:31:21
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投18 RT 18.赤嶺「しかし、私は日の丸には憧れなかった。恩師の中には日の丸に憧れている人もいました。これは県民の間でも議論がある問題でした。沖縄人民党はサンフランシスコ条約第3条の打破と、日米安保破棄に活路を求めていました。そして、『日本国憲法』に帰ろうとしたんです」

2014-01-18 02:32:51
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投19 RT 19.岩上「肌身で占領を感じたことが、ものの見方に影響したんですね。生まれ育った那覇はかつて、周り中が基地だらけだったそうですが」。赤嶺「那覇は今よりもずっと基地が多く、那覇空港はほとんど軍用の空港でした。私の住んでいた地域は米軍の犯行、犯罪が頻発していた」

2014-01-18 02:36:18
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投20 RT 20.赤嶺「米軍占領を一番意識し、屈辱に気づいたのは、大学に入ってからです。東京では円だが、沖縄ではドルを使っていたので、駅のホームの売店で、つい『何セントですか?』と聞いてしまった。『銭(せん)』と勘違いされ『若いのに戦前生まれ?』と聞き返されました」

2014-01-18 02:37:14
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投21 RT 21.赤嶺「沖縄へは当時、鹿児島から船に乗って帰っていました。そこで、ドルを見ながら、ふと『懐かしいな』と言った。すると同期が食って掛かかった。『君は懐かしむのか⁉︎』と。私は知らぬ間にドルに慣れていたことに気付き、自分はどう生きるべきかと一生懸命考えた」

2014-01-18 02:39:30
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投22 RT @IWJ_ch1: 22.赤嶺「那覇の米軍飛行場は、普天間、嘉手納以上の騒音をまき散らしていました。1972年の祖国復帰で基地は減るだろうと思っていたのに、返還されないとわかり、大闘争が起こった。『そんな復帰があるか!』と」

2014-01-18 02:43:10
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投23 RT @IWJ_ch1: 23.赤嶺「そして、基地は南部の那覇から中部の美浜や北谷(ちゃたん)に移った。そこから普天間で本格的な訓練を始めたんです」。岩上「人目をひく南部から、北へと移ったと」。赤嶺「普天間の問題は、基地の県内たらい回しの結果起こった問題なんです」

2014-01-18 02:45:38
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投24 RT 24.赤嶺「1995年、少女暴行事件が起きました。当時11歳。今20代で、どんな暮らしをしているか…。別の事件で米兵に暴行されたある女性は、私に『忘れられるものじゃない』と話してくれました。その彼女は、高校時代に自宅近くでクビを締められレイプされたんです」

2014-01-18 02:48:25
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