巽昌章氏が読む『変格探偵小説入門』(谷口基著)

谷口基著『変格探偵小説入門』評から“「本格」と「変格」の見直し”の考察へ至る、推理小説評論家・巽昌章さんによる呟きをまとめました。
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巽昌章 @kumonoaruji

ここでは、物語の中に、とにもかくにもひとつの明快な因果の筋道を見出すという意味で、一種の抽象化、つまり、物語の骨格となる因果連鎖を抽出する作用が働いている。とともに、その筋道、因果のカタチを現実社会に投影し、そこに共通するカタチを見出すという意味でも抽象化が働いている。

2014-01-21 21:58:41
巽昌章 @kumonoaruji

しかし、考えてみれば、こうした抽象化作用は、われわれが「本格」と呼んでいる推理小説の内部でも生じている。本格推理小説は、事件に対してある明快な因果的説明を与え、その因果の構図を際立たせることによって、世界の見通しが良くなったかのような印象を与えるからだ。

2014-01-21 22:01:14
巽昌章 @kumonoaruji

そして、本格推理小説の世界では、こうした因果関係の構図を愛好するあまり、絶えず作中世界を抽象化しようとする力が働き、また、因果関係をトンデモ理論にまで誇張するような逸脱への誘惑が横行している。それでも「本格」と「変格」は違うのか。その差は絶対的なのか。 というところで続きは今度。

2014-01-21 22:07:39
巽昌章 @kumonoaruji

『変格探偵小説入門』の感想続き。この本の初めのところで、涙香による探偵小説の定義が引用されているが、それは客観的、外形的な整理に徹したものだ。まとめれば、探偵談は探偵を主人公とする小説で、初めに犯罪を掲げ次に探偵を掲げ終わりに解説または白状を掲げるものだとするのが涙香説である。

2014-01-24 23:53:48
巽昌章 @kumonoaruji

乱歩の有名な定義に「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれてゆく経緯の面白さを主眼とする文学」というのがある。涙香のと似ているようだが、実は大きな違いがあると思う。

2014-01-25 00:03:05
巽昌章 @kumonoaruji

涙香の「犯罪、探偵、解説」は叙述の順序を指すが、乱歩の定義は「秘密が論理的に、徐々に解かれてゆく経路の面白さ」であり、小説の中からある「経路」、筋道を抽出しうることを前提としている。涙香が「探偵」と呼ぶのは事実としての探索活動だが、乱歩は活動の背後に論理の流れを透視するのだ。

2014-01-25 00:19:17
巽昌章 @kumonoaruji

つまり、両者の間には、何かしら認識の基盤の転換がある。日本探偵小説の誕生というべき瞬間があるとすれば、それはこの認識の変動をさすべきではないかと思う。むろん、これは『日本近代文学の起源』の口まねにすぎない。

2014-01-25 00:22:24
巽昌章 @kumonoaruji

探偵小説が、まず、探偵の出てくる小説、あるいは探偵活動を描いた小説として受け止められたことは間違いないだろう。しかし、乱歩らの出現までの間に、ある認識論的転換があったと仮定できる。それが、いまわれわれがイメージする推理小説、あるいは探偵小説の基礎なのだ。

2014-01-25 00:26:13
巽昌章 @kumonoaruji

その転換の徴表が、谷崎、佐藤らによって準備された「探偵趣味」や「猟奇趣味」である。この「趣味」が、海外小説、たとえばポオの読書体験によって生まれたことは自明だろう。舶来の小説から感得したエッセンスを周囲の社会に投影し、何かを発見した気分に浸ること、それが探偵趣味・猟奇趣味だ。

2014-01-25 00:42:51
巽昌章 @kumonoaruji

だから、捜査官、あるいは捜査活動を意味する「探偵」と、「探偵趣味」との間には、大きな断層がある。小説から何かしら自分なりに「本質的なもの」を抽出し、それを外界に投射することによって珍奇な「新発見」を仮構するという、抽象的な操作が「探偵趣味」を支えている。

2014-01-25 00:57:54
巽昌章 @kumonoaruji

おそらく、変格探偵小説の多くは、こうした意味での「発見」、映画館の暗闇や銀座の雑踏や百貨店の飾り窓の中に異様で新奇なものを見つけ出すような体験を核としている。しかし、その「発見」は、あらかじめ読書体験によって準備された認識枠を用いてのものに他ならないのだ。

2014-01-25 01:05:37
巽昌章 @kumonoaruji

ところで、戦前探偵小説のうち、現代人が「本格」に分類する作品もまた、こうした「探偵趣味」による「発見」のエピソードを核にしている。「本格」に分類されがちな「D坂の殺人事件」も、「変格」に当たる「根裏の散歩者」も、いずれも探偵小説マニアの目を通した「発見」の物語なのだ。

2014-01-25 01:15:22
巽昌章 @kumonoaruji

甲賀三郎の短編(私はこの多作家の作品のごく一部しか知らないのだが)も、戦前本格派の俊秀大阪圭吉や葛山二郎の諸作も、日常生活の中の新奇な発見によって支えられている。

2014-01-25 01:27:36
巽昌章 @kumonoaruji

つまり、「探偵趣味」とは、読書体験に起因するある認識基盤の転換であり、そこから日常世界の中に「新発見」を仮構する操作の習得である。そして、その操作を創作の源泉にしていたという点では、本格も変格も同じことなのだ。 というわけで、続きは明日でも。

2014-01-25 01:30:34
巽昌章 @kumonoaruji

ひとつ先に断わっておくと、乱歩もはじめから探偵小説の本質が「論理的に、徐々に解かれてゆく経路の面白さ」だと認識していたわけではあるまい。戦前に支配的だったのは、小説全体を貫く「論理」の構図を透視するような認識ではなく、いわば、より射程の短い、投影ー発見の方だったと考えられる。

2014-01-25 02:09:31
巽昌章 @kumonoaruji

だから、「本格」に関していえば、マニアの目で日常に小ネタを「発見」するような発想の時代と、『本陣殺人事件』をはじめとする戦後の長編に顕著な、すべてを突き放したような抽象度の高い発想の時代の間に、もうひとつ認識基盤の変動があったはずである。おそらく、小栗虫太郎がその鍵を握っている。

2014-01-25 02:16:22
巽昌章 @kumonoaruji

続き。『変格探偵小説論』が戦前探偵小説のある領域に光を当て、再評価を提唱したことは刺激的だし評価すべき功績だと思う。しかし、結局のところは、戦前に関する限り、本格と変格を区別したうえで変格の側を持ち上げるよりも、本格・変格の区分を無化するようなアプローチこそ必要ではないかと思う。

2014-01-26 13:57:57
巽昌章 @kumonoaruji

『変格探偵小説入門』そのものも、読み進むほど、かえって本格と変格の区分が不明瞭になってゆく、むしろ、それはどうでもいいのではないかという気持ちにさせる本ではないか。実際、谷口氏自身、最後に夢野久作を引用して、「探偵小説そのもの」が主流文学、芸術に対して「変格」であると述べている。

2014-01-26 14:02:53
巽昌章 @kumonoaruji

探偵小説そのものが文学一般に対して特異な位置と可能性をもっていたという立論ならば、「本格」を外して「変格」だけを論じることは、わざと不十分な考察をする結果になってしまうのではないか。

2014-01-26 14:08:30
巽昌章 @kumonoaruji

とりわけ、谷口氏が強調する、この世界に潜在するかもしれない因果関係(メカニズム)の幻視という点からすれば、事件に対する因果的説明を中心とする「本格」の動向を無視すべきではないと思う。

2014-01-26 14:10:25
巽昌章 @kumonoaruji

「本格」は、常識的な論理に終始するゲーム的小説であるのに対し、「変格」の原理は、非常識の常識・非論理の論理なのだというかもしれない。しかし、それは実証性を欠く決めつけにすぎない。

2014-01-26 14:14:17
巽昌章 @kumonoaruji

甲賀三郎が「本格」をどう定義したか、それに乱歩らがどう反応したかという議論を跡付けるだけでは、「本格」のあり方を実証的に明らかにしたとはいえない。議論は議論にすぎず、議論している人間の認識を反映にしているにすぎないからだ。

2014-01-26 14:17:08
巽昌章 @kumonoaruji

議論は誤っていることもかみ合っていないこともある。さらにいえば、われわれは自分の置かれている状況を完全には認識できないし、自分の認識を支配している枠組みを認識できないから、当事者がわかっていなかった議論の土台が、後世の人間には見えることがある。

2014-01-26 14:22:20
巽昌章 @kumonoaruji

いま私にはスケッチすることしかできないが、先日述べたように、ある時期、外来の「探偵小説」の刺激によって、各人が「探偵小説」から感得した「趣味」を外界に投影し、「発見」を演じるという仕組みができた。それは本格、変格の区別なくあてはまる認識の土台である。

2014-01-26 14:25:28
巽昌章 @kumonoaruji

また、「本格」が中心、「変格」が周縁ともいえない。仮にこうした言い方が許されるとしても、それはあくまで比喩であり、文字通り中心と周縁という空間的配置があったわけではない。要するに、「本格」が外部の社会に接していなかったとか、「変格」だけが接していたというわけではない。

2014-01-26 14:30:43