渡邊芳之先生ynabe39の「どんなにその制裁に同意する人が多かろうが制裁に参加する人が多かろうが「法的根拠によらず政府機関の手によらない制裁」はすべて私的制裁ですよ。」
な〜んてことを書いておくと専門家が「そういうことは100年くらい前に誰々が…」と教えてくれるのでつぎに言うときには引用文献をつけられるようになる。
2014-01-22 09:20:14@ynabe39 20年前の基準で「適切な制裁」だったものが、今の受け手や第三者の基準で「いじめ」と評価されてしまう場合、コミュニティの質の保持の代替ツールが必要になる気もします。「制裁」あるいは「いじめ」で維持されてきた接客の質の高さなり学質的なレベルなりの維持・向上のため。
2014-01-22 09:20:59やってみたけどこれ自分で後で確認するときにみにくい。もうやめます。 “@chihirobelmo: @ynabe39 リプライでツイートを繋げることにしたんですね”
2014-01-22 09:22:26@shibufusky それがまさに法であり制度です。私的制裁の許容範囲を小さくするならあらゆることで法治主義を進めるしかないです。
2014-01-22 09:23:06どんなにその制裁に同意する人が多かろうが制裁に参加する人が多かろうが「法的根拠によらず政府機関の手によらない制裁」はすべて私的制裁ですよ。
2014-01-22 09:36:31「ひとりでやるのが私的制裁でみんなでやったら私的制裁ではない」ではないです。国や行政機関が法に基づいて行うのでない制裁はすべて私的制裁。
2014-01-22 09:37:41近代国家が私的制裁の許容範囲を着々と狭めてきたことは「国家権力による暴力の独占」と表裏一体なわけでそういう意味では法治主義と民主主義は対立する場合もある。
2014-01-22 09:41:25なにかを書いたときに「そんなバカな話があるか」というコメントと「そんな当たり前のことを偉そうに書くな」というコメントが一緒にくる,ということは多い。
2014-01-22 09:44:56当たり前のことを偉そうに書くな。 “@daihiko: そんなバカな話があるか。 RT @ynabe39: なにかを書いたときに「そんなバカな話があるか」というコメントと「そんな当たり前のことを偉そうに書くな」というコメントが一緒にくる,ということは多い。”
2014-01-22 09:47:02明らかに法に反することをしている人がいても(ごく狭い例外を除いて)われわれはその人を逮捕することも処罰することもできません。殺人犯でも私人が勝手に逮捕して処刑したら私的制裁。
2014-01-22 09:54:54例外があるときに(例外はあるが)と書いておかないと「そんなことはない,○○の場合には…」という講釈を聞かないとならなくなるのもネット。
2014-01-22 09:59:13@ynabe39 昔の話だけど近所の都民生協に果物ナイフを持った強盗が入ってさ。ところが生協職員がナイフマニアで刃渡り16cmのサバイバルナイフで応戦、売上金は守ったけれど強盗は全身十数カ所を刺されて失血死。手錠をかけられたのは職員のほうで「過剰防衛の疑いが」と報道されていた。
2014-01-22 10:01:35@ynabe39 例外があるのを承知していることを示す記号を考案、埋め込むといいと常々思っています。「日本人はシャイである💩」のように。 次はiPhone以外から見えないという講釈を聞く羽目になりますが。
2014-01-22 10:05:19「暴力に対して暴力で対抗する」ということにも1980年頃のわれわれはもっと寛容だったと思う。いまは(あからさまな暴力に対する対抗であっても)「われわれがやってることは暴力ではない」と主張しないと許容されなくなっている。
2014-01-22 10:08:31制裁に限らず「自力救済の禁止」が多くの国でみられますし、wikiによれば国際法上は厳しく運用される。とあります。 RT @ynabe39 どんなにその制裁に同意する人が多かろうが制裁に参加する人が多かろうが「法的根拠によらず政府機関の手によらない制裁」はすべて私的制裁ですよ。
2014-01-22 10:13:40@ynabe39 もう一つの論点、「国家成立以前から存在した『制裁権』を『じょじょに譲り渡している』」のか、「ある時点で国家に一旦すべての制裁権を譲り渡し、再び国家が限定的に制裁権を「私」に与えた」のいずれなのかもあると思います。法学的には後者の考えが多いと思いますが。
2014-01-22 10:19:59