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2010年2月18日

推敲/神プレイ/集合知

本来無駄が多いものを磨き上げていった結果、そこから逆照射されて浮かび上がる『完成度の高いもの』。すごくない人でもすごいものを弁別できる→集合知はうまくいく?
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heis101 @heis101

何度も推敲を重ねて作り上げられたすえの文章というのは、まるで、TVゲームの神プレイ動画の制作のようでもある。そこには一回ぽっきりの書き走りではふつう達成しないような卒のなさ・完成度の高さがあり、その奥に私たちは、実際には存在しない完成度の高い人間像(偶像)を浮かび上がらせるのだ。

2010-02-18 08:18:47
heis101 @heis101

何でもそうだが、本番というのは一回ぽっきりである。入試にしても、野球部の甲子園出場にしても。本番に100%のプレイができなければならない。そういうシチュエーションは、人間社会に特徴的なことであって、自然界にはない。正確に言うと、日々の練習と本番の区別が、人間にはある。

2010-02-18 08:22:11
heis101 @heis101

時間は一方向なので、通常はやり直しは効かない。しかし、仮想的に、頭の中で、やり直すことはできる。何回もやってみて、その中で最もよくできた部分をつなぎ合わせれば、あたかも一人の人がつねに最高のパフォーマンスでプレイしているように見える。それができるメディアとできないメディアがある。

2010-02-18 08:27:07
heis101 @heis101

だから、というのも変だけれど、文章では無理がきく。もうちょっとちゃんと言うと、身体性を逸脱した表現というものを擬似的に構築可能である。こういった文章というものの特性が、虚構の世界を大きく開拓したことは言うまでもない。しかしそれは同時に欲望を飼い太らせる結果になったとも言えよう。

2010-02-18 08:31:56
heis101 @heis101

口頭の文章というのは、通常、意味上での重なりがある。「用量用法を守って正しくお使いください」という言葉がある。ここでは、「用量用法を守ることが、正しいことである」という含意がある。その含意性は、「意味上での重なり」という技法によってもたらされているものだ。

2010-02-18 08:33:33
heis101 @heis101

小さい子どもというのはこうして、意味上での重なりを利用して、文章のなかに出てくる言葉の意味を察しながら、覚えていく。決して、「何々とは何々である」という単位を、色んなパターンに関して集めてくるからではない(それがメインではない)。

2010-02-18 08:34:53
heis101 @heis101

私はこれを国語的な文章だと思う。「意味上の重なり」が当然にあったり或いは「意味上のとぎれ」が当然にあったりするほうが、生身の人間がしゃべっている言葉としては、自然なのだ。そういう文章こそ「文章」だと思っている人は、重なりもとぎれもない「論理的な」文章に違和感を覚えるかもしれない。

2010-02-18 08:37:33
heis101 @heis101

神プレイ動画の制作や文章の推敲に見られるような「いいとこ取り」の構造は、集合知にも見られる。「各々が各々の得意分野を受け持って…」ということである。文章の推敲という過程が本質的に「他者との向き合い」であることなども、当然のことのように思えてくる。

2010-02-18 08:47:56
heis101 @heis101

集合知がいい/凄いのは「バカでも誰がバカでないはわかる」という事があるからだと思う。バカという言い方はよくないかな。凡人/天才の言い方のほうがいいかも。「自分は天才ではない人でも、誰が天才的かはわかる」みたいな。そういうのがあるからこそ、集合知はうまく機能する(しそう)っていうか

2010-02-18 08:52:00
@sid_a

@heis101 枝葉の部分かとは思うんですけれど、「国語的な文章」というのはどういう意味合いでしょうか? 文脈からは「自然な(生活の中で使う)文章」という感じに読めますが、『国語的』という語の意味が解らないので、教えて頂けると嬉しいです。

2010-02-18 09:23:32
heis101 @heis101

.@sid_a ご指摘の通り「国語的」というのはかなり端折った表現になっています。一言で言うと「冗長な」という意味です。高齢者向けの話を聞きにいくと、同じ意味のことが、言葉や伝え方を変えて繰り返し表現されている事に気づきます。そういう「意味が重なる性質」事を国語的と呼んでいます。

2010-02-18 20:01:54
heis101 @heis101

.@sid_a それは聞き手にとっては、理解全体の「穴」の部分をそのつどパッチワーク的に補修しようとする試みに繋がります。破れたズボンに布をあてがって縫いつけるのと同じように、布が重なる部分が出てきます。この重なる部分は一見無駄なようですが、実はそれが大事かもという話でもあります

2010-02-18 20:02:46
heis101 @heis101

そういえば、筋肉が鍛えられる仕組みというのは、「激しいストレッチなどによって一度傷ついた筋肉が、修繕の際に少しだけ太くなる」ということに起因する、というような話を思い出しました。そういうのと、アナロジーレベルではとても関係があるかもしれません。

2010-02-18 20:04:54
heis101 @heis101

ん、ちょっと混乱させるようなことを言ってしまったかもしれない。前者の話は、ゲシュタルトの再構成にとって、「冗長さ」「重なり」ということが、重要な役割を果たしているのではないか、という私の思いつきで、【つづく】

2010-02-18 20:07:30
heis101 @heis101

【承前】後者の話は、もっと広い話で、「或る事柄がプラスに転じるためには、いったんマイナスを経由しなければいけない」というような話の例ですね。

2010-02-18 20:07:51

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