2014年1月28日

(補足情報) 自己表現が、被写体に投影される、危険性

「自己表現が、被写体に投影される、危険性」の理解のための、補足まとめ
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MAEDAseimei @Mseimei

@rt_luckdragon @Nzaki0716_sub とくに問題ありませんが、実は前段としてhttps://t.co/uJC33yJF8Hおよびhttps://t.co/YB734alvy2に続く連投があり、

2014-01-28 04:04:04
MAEDAseimei @Mseimei

@rt_luckdragon @Nzaki0716_sub @aizujin_k この流れが分からないとN崎 @Nzaki0716_subさんのツイート中のセシウム云々の意味が分からないかも。

2014-01-28 04:04:50
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon

@Mseimei @Nzaki0716_sub @aizujin_k ああ、そういう事なんですね。流れをどう入れるか、少し考えます。

2014-01-28 04:07:54
luckdragon2009(rt多) @rt_luckdragon

@Mseimei @Nzaki0716_sub @aizujin_k そうですね。補足纏めを作って、今のまとめに付記する事にします。

2014-01-28 04:13:24
補足、前提のツイート
前提1
小林めぐみ @xiaohui0318

飯沢さん「セシウムを媒体して、風景が本来持っていた怖さかあらわになってしまった。」

2014-01-25 15:59:40
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

いったいどういう意味ですか?@xiaohui0318 飯沢さん「セシウムを媒体して、風景が本来持っていた怖さかあらわになってしまった。」

2014-01-25 16:07:50
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k 見えないセシウムを写そうとした写真家の写した風景は、怖さを感じてしまう表現となりました。その怖さはセシウムが直接的に現れたものではなく、もとから風景が持っていたもの。セシウムを写そうと写真家がした時、それが現れた。ということだと思います。

2014-01-25 16:53:08
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

それなら、セシウムは関係ないではありませんか。@xiaohui0318 見えないセシウムを写そうとした写真家の写した風景は、怖さを感じてしまう表現となりました。その怖さはセシウムが直接的に現れたものではなく、もとから風景が持っていたもの・・・

2014-01-25 20:21:23
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k そうですか?私には関係あると思います。写真家の心に影響してるのですから。

2014-01-25 23:46:33
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k 写真という表現手法で、風景を撮影している以上、その一部はもちろん現実の風景です。しかし、それをどう写すのかは写真家によるものであり、どう見るのかは鑑賞者のよるのではないでしょうか。

2014-01-26 22:08:06
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k 。原発事故以前以後で、写真として表れるもの、見る人がどう見えてくるのかの意識が変わったという、飯沢さんと瀬戸さんの意見に私はとても共感します。

2014-01-26 22:08:21
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

それは理解できます。多くの県民にとってもそうでしょう。しかし、個々人が事故をどう意味づけしているかの反映であって、セシウムや風景そのものの怖さとは違うでしょう@xiaohui0318 原発事故以前以後で、写真として表れるもの、見る人がどう見えてくるのかの意識が変わったという・・・

2014-01-27 08:39:05
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k 写真家が見えないセシウムを写真によって捉えようとし、ある写真が生まれた。それは原発事故とセシウムが撒き散らされたことと強い因果関係を持っています。事故が起こりセシウムが撒き散らされなければあの写真は生まれませんでした。セシウムが関係ないとは私には思えません。

2014-01-27 22:04:24
小林めぐみ @xiaohui0318

@aizujin_k セシウムを写そうと生まれた写真。そこに現れた怖さは本来風景が持っている怖さなのではないだろうか。原発事故により私たちはその怖さを認識する意識と眼を持たされてしまった。さらにセシウムというフィルターを通してその写真を見る感覚も付加された。その意見にも共感します

2014-01-27 22:16:08
前提2
MAEDAseimei @Mseimei

写真家のセシウム(放射能の象徴としての)に対する恐怖心を写真を媒体として可視化しようとした、てのが実のところだと思いますな。見る人が怖さを感じたとしたら、それはそこにセシウムがあるからでも風景にもともと内在していたからでもなく、写真家が怖い写真にしようとしたからでしょ。と思います

2014-01-25 23:15:31
前提3
MAEDAseimei @Mseimei

原発事故被災地で撮りました、というその写真から「原発」「セシウム」「放射能」「場所」といった「ことばによる説明」を取り去ってなおその写真を見る人がなにかしらこれまでと違った意識を呼び起こされるものであるのか。写真から「意味を剥ぎ取る」とはそういうことでしょう。

2014-01-27 02:38:58
MAEDAseimei @Mseimei

@Mseimei 例えば自分が撮る写真も「飯舘村」という説明を付さなければ、おおかたの人にとっては「のどかな農山村風景」と映るでしょう。どこかおかしいと感じるのは、農山村や廃村がどういうものであるかを知っている人だけですよ。

2014-01-27 02:39:30
MAEDAseimei @Mseimei

@Mseimei もちろん自分は写真家の心象風景としての写真を否定しません。それだって写真だ。ただそれが被災地をモチーフとして表現される写真家の心象風景であるなら、被災地の人とそれ以外の人とではその写真の見方も惹起される意識や感情も共有できるものではないだろうなと思います。

2014-01-27 02:39:48
MAEDAseimei @Mseimei

@Mseimei 演劇サイトをつくったとき(いまはもうないですけど)、女優の有村肯弥(ありむら・こうや)さんにインタビューした。演劇を自己表現と言う人がいるが「自己表現なんかしてどうするんだ」と彼女は言った。写真という表現もつまるところそうなんだろうなと思う。

2014-01-27 02:51:25

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