個別化・個性化教育はユニバーサル・サービスたりうるか?
- MinoruSawada
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シカゴ大の実験室の成功が直ちに教育の成功体験、ないし真理と思ってしまう人々は、生産システム論においては試作品制作と量産生産の区別が出来ていないという残念な感じがする。苅谷先生が1番主張したかったのはここが最大のポイントだった気がしてならない
2010-10-22 22:36:01思い出したように来たな。さわださんの登場を待つ。 QT @ryojikaneko:シカゴ大の実験室の成功が直ちに教育の成功体験、ないし真理と思ってしまう人々は、生産システム論においては試作品制作と量産生産の区別が出来ていない|苅谷先生が1番主張したかったのはここが最大*
2010-10-22 22:54:36でも(よくわかんないけど)「試作品製作」を繰り返し,結果をフィードバックしていくうちに「量産化」が可能になる,ということでもあるんだよね?
2010-10-22 22:56:41@mnaoto @ryojikaneko こんばんは、ハクション大魔王です(ふっる〜!)。申し訳ないけど学問的に語る自信なし。でも、せっかく、呼ばれて飛び出てきたので、ジャジャジャジャーンて、ほどでは全くないですけど、このあとに一言だけ。(つづく)
2010-10-22 23:14:17@mnaoto @ryojikaneko デューイも実験室という表現を使ったので、生産システムや試作品という言葉が出て来るのも仕方ないですが、個性化教育にコミットしてる人は、個々の子どもの生活を考えるので、量産という感覚はないでしょうね。むろん、一定の質の確保を軽視しませんが。
2010-10-22 23:20:55(承前)それと進歩主義的な教育を進めようとしてる公立学校は、米国でも日本でも、そんな個性化オンリーとか実験室的オンリーなんて素朴じゃないのでは。だから、誰であれ、そういう教育をカリカチュアライズしたとたん、わかってねーなーって印象になりますね。だって、その按配こそ命なんですから。
2010-10-22 23:24:40これは痛感します。QT @MinoruSawada:*それと進歩主義的な教育を進めようとしてる公立学校は、米国でも日本でも、そんな個性化オンリーとか実験室的オンリーなんて素朴じゃないのでは。|そういう教育をカリカチュアライズしたとたん、わかってねーなーって印象|その按配こそ命
2010-10-22 23:32:13@MinoruSawada 私が9月に報告したとき,学校の実践全体のなかでの「個別化・個性化」の核とその位置づけをそれとして紹介したら「それのどこが“個性化”なんだ(大意)」と非難(?)されました。
2010-10-22 23:36:19たとえば、10人相手の講義と200人相手の講義をまったく同じ密度で出来るなら。続くRT @mnaoto でも(よくわかんないけど)「試作品製作」を繰り返し,結果をフィードバックしていくうちに「量産化」が可能になる,ということでもあるんだよね?
2010-10-22 23:38:09@MinoruSawada あとで少し時間をとって個別にお話ししてみると,その方のなかにある「個別化・個性化教育」像は,某私立学校の,それこそ「実験室」的な取り組みだったりすることがわかるわけです。
2010-10-22 23:38:37この場合の密度とは、学生との関係だが、個性化であるならば、その学生との関係を判断する基準は多様化せざるを得ないと思う。量産化が可能なのは規格化、標準化が方向の前提にあるからで、それが個性化教育と同じ方向を向いてるかは、個人的にはかなり疑問。
2010-10-22 23:42:38@ryojikaneko うん,かねこ氏の言うことは素直にわかる。ただ,この場合の比喩に「講義」をもってきているところが,さわださんの言うこととの差異を構成するのかもしれん。 @MinoruSawada
2010-10-22 23:48:10なるほど、わかります。RT @mnaoto: @MinoruSawada 私が9月に報告したとき,学校の実践全体のなかでの「個別化・個性化」の核とその位置づけをそれとして紹介したら「それのどこが“個性化”なんだ(大意)」と非難(?)されました。
2010-10-22 23:53:55この関係は大事な問題ですね。回答少し日にちを頂きます。RT @ryojikaneko: この場合の密度とは、学生との関係だが、個性化であるならば、その学生との関係を判断する基準は多様化せざるを得ないと思う。量産化が可能なのは規格化、標準化が方向の前提にあるからで、それが個性化教…
2010-10-22 23:57:09国研にいた人たちが何人も関わってます。が、政策を分かっている、という基準は私にはわかっていないので、回答しにくいですが。RT @ryojikaneko: 教育政策は分かってる人によって進められているものなのでしょうか?
2010-10-22 23:59:32たしかに。政策に固有名レベルという見通しはない場合が多いですからね。RT @mnaoto: @ryojikaneko うん,かねこ氏の言うことは素直にわかる。ただ,この場合の比喩に「講義」をもってきているところが,さわださんの言うこととの差異を構成するのかもしれん。
2010-10-23 00:01:34しかし、そんなに反応を期待せずに呟いたら、お二人からポンポンとお答えいただいて、ひょっとして意外と重要な問題だったんだろうか?
2010-10-23 00:34:11前に呟いたことの繰り返しになるが、原理的にはナショナルサービスとしての義務教育と新教育は合わない。権力で新教育を入れようとした占領軍は、もっとも非新教育的な理念で動いていたとしかいいようがない。
2010-10-23 00:39:26ユニバーサル・サービスとしての教育という発想がある限り、理論的に個性化教育が大勢になることはないだろう。それはユニバーサル・サービスのなかにデフォルトで埋め込まれている国民育成のような発想があるからだ。国民を市民と読み変えても同じだと思う。
2010-10-23 00:44:25結局、ユニバーサル・サービスとしての教育という発想を捨てきれないのは理念の問題じゃなくて、金の問題だ。ここを決壊させれば、義務教育に金を負担させるロジックはなくなる。それこそが最大の問題じゃないだろうか。
2010-10-23 00:47:10一カ月以上前の一夜漬けの知識という、きわめて怪しいソースによれば、「にもかかわらず、その枠の中で自由を求めてきた」のが近代国家の教育の趨勢というのが持田の『教育管理』の大きいモチーフであったかもしれない。
2010-10-23 00:50:14@mnaoto @MinoruSawada 段々、眠くなってきたから、適当につぶやいて去ろうと思うが、「講義」は私の実感であげられるものであっただけで、要するに教員の数と生徒の数の比率で、教員のキャパより生徒がちょっと多くね?という状態だったら、どんな例でもOK。
2010-10-23 01:04:23というか、1950年代についての文献を読んで、義務教育の拡大の帰結が中卒(ないし後の高卒)の量産以外の何物でもないし、その事実の前に理念的にとても大事だった議論はみんな吹っ飛んでしまったという印象。
2010-10-23 01:09:07@ryojikaneko それではまた思い出した頃に続けるか。暫定「新教育」主義者である私はもう寝る。(←明日さっそく続けてるかもしらんがな) @MinoruSawada
2010-10-23 01:42:21