会話の中の言葉の定義、あるいは家族とは?

「ペットは家族」という言説の中にある欠落した視点という話から、コミュニケーションにおける用語の定義を確認するのは時として断絶になるよねというお話。
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killy @kiss_to_killy

ペットを家族であると見なす時の家族というものは、親子というものの家族の定義の中にあるもののひとつが大きく欠落していると思う。なにかというと、親は子どもを将来独立させることが親の仕事であるが、ペットというものは、基本的にはそのペットを飼い主から独立させるという前提はないということだ

2014-02-10 21:37:03
killy @kiss_to_killy

飼っている人に、自らをパパとかママと呼ぶ人達が、ペットは家族だ!を主張する時、パパやママというのは、子どもを独立させることが役割である、という前提で家族というものの機能を考えている人とは、そもそも論として、家族という語の中にある意味や定義が違うのだろう。

2014-02-10 21:48:41
killy @kiss_to_killy

反対に、我が子に対しても、ペットに対しての、独立させるのではなく永遠に続く飼い主という意味で、自らを親と捉えている人達は、ペットは家族だ論にあまり違和感はないのやもしれん。親というものの子への役割を、社会能の育成と考えるか、愛情を与えたり与えられたりするもの、として考えるか。

2014-02-10 21:52:30
killy @kiss_to_killy

そのように考えると、人が「家族」という語を使う時、文脈によって、その語の意味は違うのだと思うのだけれど、単語の意味が文脈によって変わるのではなく、その単語には文脈関係なくひとつの定義しかないという感覚を持つと、人と議論をする時に、言葉の定義に無頓着になるのかもしれない。

2014-02-10 21:56:03
killy @kiss_to_killy

多分このあたりの感覚は、理系実験系の論文を書き慣れている人達は、ひとたび専門分野以外の世界でも、言葉の定義というものにデリケートであれ、と言われたら、比較的すぐにその考え方に馴染めるのかもしれん。…知らんけど。

2014-02-10 21:58:41
killy @kiss_to_killy

かえって、母国語同士の人達の会話というのは、案外単語の定義を無視しても、文字上の理解?はできてしまうので、価値観以前の問題として、単語の定義問題で話がもめたり、相手の論を否定したりされたりするのかもしれんな。議論しているつもりで、実は議論すら始まってなく決裂みたいなことはありそう

2014-02-10 22:04:11
killy @kiss_to_killy

セッション練習を生徒さんたちにしてもらうとき、単語の定義の共有ということをうるさく言うと、相手が話をしたいと思っていない、相手がそこには全く興味のないところでも、やたら定義にらこだわって、結果、ラポールが切れてしまうという現象がよく発生する。

2014-02-10 22:18:36
killy @kiss_to_killy

単語の定義の共有という概念は、人に自分の話を説明するときには、伝えたい話をできるだけ理解してもらうのに有益だけれど、人の話を聞くときには、相手の望みとセットでないと、かえって鬱陶しい人扱いされたりすることも多々発生するようだ。的確なところに、的確に重箱の隅をほじくる能力がいるね。

2014-02-10 22:21:46