@archikata 私は前川・鬼頭の流れで発言させてもらいます。日本の建築家は米国やヨーロッパのように「職能」として確立していないのです。施工に耐える図面がひけ、設計責任を負ってちゃんと保険を買うような建築家は少ないです。設計者の品質と施主の理解、両方欠けてますね。
2009-10-27 06:19:56@net_heads 現実を踏まえて変化球で解決する方法は無いわけではないのですが、ただの下請け叩きを「CM」と呼ぶ連中が登場したり、勘違いを増長してしまいがちです。JIAでもセミナーなどをしましたが、どんな方法論を話しても、結果的に「職能の確立」に戻りがちでした。
2009-10-27 09:19:36RT @mozantotani 私は前川・鬼頭の流れで発言させてもらいます。日本の建築家は米国やヨーロッパのように「職能」として確立していないのです。施工に耐える図面がひけ、設計責任を負ってちゃんと保険を買うような建築家は少ないです。設計者の品質と施主の理解、両方欠けてますね。
2009-10-30 22:49:27RT @in_auto:日本より、都市計画が生活に関係していることに市民が意識的だし、建築が生活や都市と結びついて理解されてるから、建築家の職能が広く受け取られてるよね。
2009-10-31 07:34:03@in_auto 日本でも建築家が職能を広げ、生活や都市について、NPOや市とか組んでプロジェクトができたらいいのに。最近は地域活性化の取り組みがいろんなとこで行われているし、君んとこの先輩が寿町でやってるNPOとか。なんであれ実現できたんだろう?知ってる??
2009-10-31 07:37:42RT:@kbysknhr @in_auto 日本でも建築家が職能を広げ、生活や都市について、NPOや市とか組んでプロジェクトができたらいいのに。最近は地域活性化の取り組みがいろんなとこで行われているし、君んとこの先輩が寿町でやって... http://bit.ly/1w6jn4
2009-10-31 07:55:03archって確かラテン語で「見上げる(教会の塔なんかの)先端」っていう意味だった。指を指されるもの、そしてその下に人をおさめるもの。建築家の職能について考えさせられる
2009-10-31 16:16:59@wtnb_miwa 僕自身は「設計者」の職能拡大はあまりよいとは思えないのです。今の話ですと「住宅の使い方」へと職能が拡大しますが、さらにそれが「街づくり」「都市計画」へと期待が拡大する=>内容が消えて無意味になる、気がするからです。
2009-11-01 23:58:09法制度から見ても設計者と発注者は利害対立しうるので問題があると考えます。設計者は民法以外に建築関連規定に拘束されるので RT @siskw: @wtnb_miwa 僕自身は「設計者」の職能拡大はあまりよいとは思えないのです。今の話ですと「住宅の使い方」へと職能が拡大しますが、
2009-11-02 00:07:49グローバル化による標準化は労働賃金の切り下げを引き起こす。なら建築家の職能としての価値を低下させた原因の一つはモダニズムとも言えるのかな。
2009-11-02 21:30:36職能の話に戻りますが、日本社会が建築家にそこまで求めていないという現実があるでしょう。建築家というより、造形作家で居てほしい、と。 米国の場合、建築家は「弁護士の頭を持て」といわれます。@siskw 僕達学生は、大学で学んだことをどのようにビジネスに結びつけるのか、
2009-11-03 06:34:13先般議論をされていた建築家と住宅設計うんぬんの話。施主の見識どうこうもあるけれど、「建築家」っていう個人職能のイメージにとらわれすぎじゃない。設計士なり、FPなり、CMなり、法務なりの集団として建築サービスをどう提供するかっていうビジネスじゃないの。
2009-11-03 08:48:03専門特化した訓練と技術と蓄積(=文化)した中での会話は、その専門性ゆえ十分に閉鎖的であって、それがプロフェッションであるとも言える。「学生しかわからない話を施主に押し付ける」という話の展開は物言いを悪くしたにすぎなくて、建築家の職能としてはきわめてまっとうである、と思います。
2009-11-03 12:25:49まぁ、職能が流動化したんだろうなぁ。契約形態から発注を考えるようになったのって、CMはじめてからだしナァ。設計も細分化、施工も細分化されてきたから、それぞれの利害を代弁する人が発信していくようになればいいんだろうな。建設会社出身の人間が少ないのが個人的には心配・・・。
2009-11-03 12:28:42建築クラスタで考えなくてはいけない実務における責任分解点=職能論、と。建築以外のクラスタと話をするための立ち位置論=職能論は、分けて考えた方がいいのだろう、と思った。その辺の整理ができていなかったなぁと思い、反省。
2009-11-03 23:24:25.@archikata @mozantotani 「日本の建築家の造形力が優れている」ことと「職能に対する責任」が別れているのですが、建築の「評価」と「職能」をもっとこう一体化させて位置づける方向に話を展開できたらいいなと思いました。難しそうだけど。
2009-11-03 23:34:08.@mozantotani @archikata 米国においては「職能」を分けた事と「部材の標準化」を徹底した結果、建築的に評価される建物があまり生まれていない気がするのですよね。僕が知らないだけかもしれないですが。
2009-11-03 23:38:02いや例としてであって、デザインだけに職能を絞ると参入障壁が無くなって誰でも参入できてしまいますよという事です。デザインパート毎に設計者の切り分けをする、商業施設がこの流れの口火をきりました。 RT @siskw: おおぅ・・・佐藤可士和なのか・・・それはポジティブなのか
2009-11-03 23:46:28職能の境界線が曖昧ってのはでも、仕事のあり方としては、とっても日本人らしいと思う。リスクはぜーんぶ個人責任でよろしく、というアメリカ式というのではなくて、日本式のやり方で職能を考えたいな、と個人的には思う。
2009-11-03 23:59:30建築家という職能 - 戸谷茂山ブログ: Twitterのすばらしさは、プロ、学生関係なく何でも呟ける、という点かと思います。そういった意見に耳を傾かせ、返事を書くこともTwitter利用者にとっては大事なことですね。Twi.. http://bit.ly/3GMGmZ
2009-11-04 00:01:22難波先生の読書会、つぎは エッフェル塔試論か。。ぜひもぐってみたいが・・・。建築家の職能の議論に、エッフェルをキーに自分の立場を明確にしつつ、論を作っていこうと思ってます。。
2009-11-04 02:18:35多分その構造は、建築家が新しい技術やシステム(BIMとか超線形設計プロセスとか(怒られるだろうか。。。))技術を導入しても変わらないんじゃなかろうか。それは、RTにあったように社会的な責任と信頼の所在の問題だから。個人としての話ではなく、職能としての話なので。
2009-11-04 03:30:29@siskw でも、それって建築家が職能として信頼されることにつながるのかなぁという疑問が。建築家が文化的な存在として信頼されている土壌の上での制度だったりするように思うんですよね。技術者として建築家がみられている日本では難しそう。
2009-11-04 04:21:09