- nirvanaheim
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≫@wokonary 多義性とは誤解を招く言い方をしたかもしれません(をこさんが誤解していると言っているわけではないです)。あの「数え切れなさ」というのは、離散的に捉えるのが困難であり、数えることの可能な「語義」への日常的「応用」が直観の範囲内で無限に為されるため、程度の話です。
2010-10-25 03:56:02≫@wokonary 多義性——この範囲に、言語ごとに特徴がある、ということ自体はその通りだと思います。シナ語派で言いますと、漢字の部品を見てもらえば分かりやすいかと。例えば「止」。「趾」「沚」「址」と、すべて「止」が共通していますが、実際に音も同じで、北京語で言えばzhiです。
2010-10-25 04:03:50≫@wokonary 日本語では「止まる」として使っていますが、元々stopの意味だったわけではなく、足ないしその跡を象形した字であり、足や足跡のイメージが最も基礎的なものだったと思われます。「足がじっとひと所にとまること」「強く趾あとを印するのは、そこに止まる意」でstopと。
2010-10-25 04:12:06≫@wokonary 例えば、白川静は『礼記』から「何くにか止せんか(寝る時どちらに足を向けるべきか)」という用例を挙げています。また、ハーブ草のアンゼリカを「芷」と言いますが(やはりzhi)、「止める/止まる」を基本に捉えると謎ですが、足下の草なんだなと思えばまだ分かりやすい。
2010-10-25 04:23:49≫@wokonary ただまあ、特徴が見出せるからと言って、そこからどれだけのこと、どれだけの具体的なことが言えるかが難しいわけです。例えばインド・ヨーロッパ祖語を想定したとして、その祖語を話していた集団の性質はどうだったかとかいう話はかつて流行りましたが、今では退潮しています。
2010-10-25 04:31:52≫@wokonary 政治的に利用されたからとか、思想思潮としての民族主義が(比較的に)弱まったとか色々あるわけですが、まあ、誠実なる学術は、そういう思潮からの具体的な期待に応えられるほどの具体的な話を返せないのだということでもあります(返そうとするといわゆるトンデモ説となる)。
2010-10-25 04:40:07≫@wokonary まあ別に、政治的な(世間の大勢から肯定されそうでも)期待に応えられるられない以前に、単純に学問としても、ある程度具体的実証的な形で結論を出さなければ始まりませんので、そこが難しい。まあ、だからと言って大要的な探求の試みを避けるのも、おかしいとは思ってますが。
2010-10-25 04:43:55@nirvanaheim 全ての疑問に解決の方向性が見えました。こんな機会が与えられるのは奇跡だと感じています。ありがとうございます。
2010-10-25 12:47:26芷が足下の草とか何言っちゃってんの、とか思ったので多少調べてみたがよく分からないな。まあ草の名前なんて大体よくわからんもんだけど。薬に使うのは根の部分らしいので、根を使うということで止なのかしら。出血を止めるからとか。まあ素朴語源学以上の何かにはならんわな。
2010-10-25 17:36:10某所の言語学用語日英対訳表に、「basic vocabulary」と「basic core vocabulary」の項はあるけど「core vocabulary」はないな、と見て取るなど。
2010-10-24 14:31:32直接リプライでのとりあえず面罵が目撃されたが、これだけで炎上するわけではないことも容易に看取される次第である。成程、火打石だけでなく火口が必要なわけである。
2010-10-26 14:46:03