民主主義のセンス(感覚の幅の中の位置を決める)、とその覚悟

一種の社会契約論。
自然
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
人は前に進む時、何を思い、前に進むのか、いやまず前を認識しているのか、そこから問わねばならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
何を思う←まさにこの「何」を人は持っているのか、持っている人はそこに向かえば良い、しかし持たぬ人は? そこに気持ちが良い、気分が良い以外に何もない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
しかしそれは悪いことではない。ただその気持ちが良い、気分が良いに関して、全員がそれを持ち出したら、どうなるかを考える、そしてそのどうなるか?という問いは、一つの「前」となる。その「前」に私達は立てるのだろうか、
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それでは話を進めよう。ただ気持ちが良い、気分が良いを皆が突き付け合えば、もしかしたら中には、その「良い」がぶつかるかもしれない←ここにたどり着けるか、そしてその後、その「良い」を通すために、自分の「良い(=前)」を求める為に、暴力が使用されるかもしれない←ここにたどり着けるか、
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
ここにたどり着けるか、という問いを自らが持ち得るか、←ここにたどり着けるか、 人間は常にその繰り返しでしかない。 ならば、そのぶつかり合いにおいて、暴力を使用することを選択するかしないか、それは歴史で先人が突き詰めてきた事を利用すればわかる。お互いに暴力を使用しないのならば、
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
お互いが暴力を使用しない、しかしどちらかが暴力を使用するならば、こちらも暴力を利用する。ただそれだけの話、故に、チカラの行使には十分な配慮が必要となる。←これにたどり着けるか?
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そしてそれは言論でもいえる、⇒質問を質問で返しても良い条件 - Togetterまとめ http://t.co/sL6JAfDIvI 質問の本質は、チカラの対峙、これらの使い方は非常に配慮が必要なもの。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
故に、お互いの「良い」を通すために、配慮ある進め方をお互いが示していこう!←という「前」がお互いで出来上がる。これは民主主義の本質の変遷だ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
これを理解したうえで、お互いの「良い」を、うまく通すために、その知恵が絞られる。そしてそれはセンスがいるし、先人がこなしてきた感覚を受け継ぎ、また今を生きる我々の感覚における幅の位置を決めて、人間としてお互いを尊重し話し合うわけだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そして、自らの感覚における決めた位置における業を受け止め、そして覚悟して進んでいく、それが民主主義のセンス(感覚の幅の位置を決める)だし、覚悟だと思う。そしてそれを行う事が民主主義国家の国民には、ある種民主主義的社会と契約されている。

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