「義理と人情をはかりにかけりゃ」という『唐獅子牡丹』は「公共の福祉」と「自己利益」の間の葛藤:内田樹

「心」の話から「二分心」、「裁き人」の資質から唐獅子牡丹に至るまで。
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内田樹 @levinassien

お買い物を済ませてから家に戻って「NHK本」(ほんとうは『みんなの現代霊性論』というタイトルであります)の第二部ゲラリタッチ。「心」について。心という漢字は約2500年前の発明で、それ以前の人たちは「心を持っていなかった」という仮説をめぐって。

2014-04-03 18:45:24
内田樹 @levinassien

「心」というのは概念というよりは装置だったようです。すでに存在する儀礼や仕草の下に「心」をつけると「そのような儀礼や仕草を駆動し、基礎づけている心情」が濾過されて抽象化される。「玄室に座して沈思している人の姿」に「心」をつけると「悪」になるとか。

2014-04-03 18:56:06
内田樹 @levinassien

「禹」というのは「龍が相交わるかたち」だそうです。龍蛇がわだかまっていて、鈍重で機敏さのないありさまというのは経験的に知られたものですが、それに「心」をつけると「愚」という新しい概念が生まれる。

2014-04-03 18:57:59
内田樹 @levinassien

「心」というのは「外見的に・・・をしているときの心情や内面のありさま」を概念化する装置なのです。だから、そこらへんにあるものに「心」をつけるといくらでも新しい感情や思念が生まれる。すごい発明ですね。これは漢字文化圏の話ですけれど、インドやパレスチナでも同じことがあったのでは・・・

2014-04-03 19:00:42
内田樹 @levinassien

「記号化された世界」と「非分節的世界」の間を架橋する「心」を発明したおかげで人間たちの世界はずいぶん広々と住みやすいものになりました。でも、「心の向こう側」は相変わらず残っていて、ときどき「こっち」に侵入してきます。それに名前をつけるのが「文学」や「哲学」の仕事ではないか、と。

2014-04-03 19:03:56
内田樹 @levinassien

本は「心」の話からジュリアン・ジェインズの「二分心」(bicameral mind)に飛びました。太古において「裁き人」はどういう資質を求められたかという話。集団の規範を深く内面化しているために右脳から「神々の声」がはっきり響く人、というのがその条件なんでしょうね。

2014-04-04 11:28:22
内田樹 @levinassien

「義理と人情をはかりにかけりゃ」という『唐獅子牡丹』の歌詞、つい聞き流してしまいますが、これは「公共の福祉」と「自己利益」の間の葛藤をまっすぐに受け止められる能力がないとできないふるまいです。ふつうはどちらか一方に偏って葛藤がない。そういう人間には裁きの権限は委ねられません。

2014-04-04 11:30:45
内田樹 @levinassien

ですから、花田秀次郎には「裁き」の権能が賦与されていたのであります。「命はもうらぜ」。

2014-04-04 11:31:24