【読書する黒子の】著者と著作と読者の力関係【簡単解説】

著者と著書と読者の関係性とは何か、 著作権の問題も踏まえ、田中実氏の主張についてをメインに 「読書の在り方」について疑問を呈しました。
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読書する黒子さん @kuroko_1011

夕方に少しお話をした「芸術、主に文学における書き手と読み手と作品の力関係」について軽く(?)話をしましょうか。

2014-04-14 19:05:51
読書する黒子さん @kuroko_1011

感想・質問・ご意見は終わってから最後にまとめて返答しますが、お気軽にリプライいただければ幸いです。また、Togetterにまとめる予定ですので、軽く聞き流し、余裕のある時に読んでみてくださいね。

2014-04-14 19:07:38
読書する黒子さん @kuroko_1011

芸術において、作者と鑑賞者と作品のどちらが優勢か、ということは、分野により異なります。絵画などを見て感想を述べた時、「タイトルはこうだから書いてあることは全然違うよ」と言われたこと、ありませんか? 音楽でも、そういう経験はありませんか? それらは鑑賞者が下位におかれています。

2014-04-14 19:09:36
読書する黒子さん @kuroko_1011

文学においてはその点は多少、鑑賞者に分がある分野かもしれません。「読解力がない」といわれることも多いですが、「文章力がない」という批判もまた往々にあることですから。またタイトルで「テーマを提示しづらい」ことも文学の曖昧性に一役かっています。

2014-04-14 19:11:35
読書する黒子さん @kuroko_1011

さて、ここで具体名を出しますが、既に一線を退いていますが、国文学の元教授の田中実氏が提唱したのが「作品の意志」という定義です。これはテクスト論など面倒なものとも絡んでいるのですが……ちなみにあまり学会などでは聞かない定義です。結構マイナーな説ですね。

2014-04-14 19:13:18
読書する黒子さん @kuroko_1011

論文を読んで興味をもったので、お勤め先の研究室に赴いて幾度か話をきいたり、論文のやりとりをしたり、交流をさせていただいた僕の恩師のひとりですね。「作品の意志」という言葉は今まで「作者」と「読み手」の力関係に「作品」という第三者を加え、三すくみにした非常に面白い定義です。

2014-04-14 19:15:29
読書する黒子さん @kuroko_1011

「作品」は書き手により生み出された時点で「作者の手を離されてる」ゆえに「作品外の作者の言葉は、鑑賞において読み手に影響を及ぼさない」。つまり、「親が何と言おうが、子供がしたことによる感想を他者がどう抱こうが関係はない」。乱暴に言ってしまえば、そういう話です。

2014-04-14 19:17:31
読書する黒子さん @kuroko_1011

さてここで、法律に関係する話に飛びますが、著作権のひとつ「翻案権」について。これは著作権の中の一分類で「表現形式を変更し、新たな諸作物を作る」ことです。具体的にはメディアミックス(アニメ化・ゲーム化)や続編やスピンオフの作成です。なお、私的利用なら問題はありません。

2014-04-14 19:21:11
読書する黒子さん @kuroko_1011

また今の話に関係するものとして「著作者人格権」というものもあります。これは「著作物は著作者の人格を反映したもの」として著作物を改変することは「著作者の人権をも害する」として認めるというものです。著作権については複雑な仕組みになっていますので、後は個人でお願いしますね。

2014-04-14 19:23:57
読書する黒子さん @kuroko_1011

著作者人格権についてみると「著作者の思想は著作物に優先する」という考えが見て取れなくもありません……どうでしょうか?

2014-04-14 19:25:08
読書する黒子さん @kuroko_1011

これについて反旗を翻すのが「作品の意志」という田中実氏の定義です。僕なりに言ってしまえば、作品を世に出した後に、自分の考えとは違う読み方をされて「それは違うんだ、僕はこういう意味で書いたんだ」と説明にでるという行為は自分の表現力の無さの露呈にすぎない……まぁ、過激な言い方ですが。

2014-04-14 19:27:45
読書する黒子さん @kuroko_1011

国語、現代文の問題にある「作者の言いたかったことを答えよ」などについて、反対であるということはありません。文章から「何を言いたかったのか」と無理にでも読み取る読解力も必要ではありますから。でも、文章が僕らに素直に訴えかけてくる言葉は、作者の言葉ではないものも、あるでしょう。

2014-04-14 19:29:36
読書する黒子さん @kuroko_1011

それを「作者の付け足した解説には書いていないから無視していい」と切り捨てることは、作品に対しても誠実さを欠くのではないか。作者にも気づかないうちに、文脈に、文の間に神が宿ったとして、それを作者であるからというだけの理由で否定することは許されるのでしょうか?

2014-04-14 19:31:06
読書する黒子さん @kuroko_1011

また作者の意志ばかりを尊重することは「作者がいなくなった作品はどう解釈してもいい」という論法にもつながりかねません。作者は作品の生みの親ではありますが、支配者たるものではありません。そういう話をしてくれました。僕の説明は乱暴ではありますが。

2014-04-14 19:32:16
読書する黒子さん @kuroko_1011

「作者がこう言ってたから、こうなんだよ」と言ってしまうことは、ある意味の思考停止です。作者が意図しないところまでを汲み取ることも、作品への敬意だと思いたいです。芸術作品について、権利を全て有しているのは作者ではなく、鑑賞者でもなく、作品かもしれない。そんな話でした。

2014-04-14 19:33:43
読書する黒子さん @kuroko_1011

三行で。 法律的には作者の人格が作品に優先する。 だが作品は作者が把握しきれていないところに及ぶ。 作品も作者も鑑賞者も等しく芸術に権利をもつ。

2014-04-14 19:34:44
読書する黒子さん @kuroko_1011

と、いう考え方もある、という話でした。気になる方はテクスト論や文学のアナーキズムなど、参考になるかと思います。主要論文を抑えることも大事ですけど、いろいろな視点の論文を拾っていくのは、楽しいですよ。では、また次回(/・ω・)/

2014-04-14 19:36:31

話の中の田中実氏の著作です。

この2冊は芥川龍之介『羅生門』などを
「こういう風に読まれてるけど、こういう解釈もできるよね? ダメなのかな? でも不正解って言いきれる?」
という挑戦的な解釈をしていくものです。

「文学を読むってどういうことだろう」と考える一端としていただければ、
今まで読んだ本がもう一度面白く読める、かもしれません。

頂いた質問や反応です。

スーパーペンギンポリスあーす @arstece

書き物してあとで読み返すと当時の自分が意図してなかったことなのに「あぁこうも読めるなぁ」って思うようなのって文章書きはわりとある気がする(漫画描きさんもそうなのかしら)ので、個人的には「作者の言いたい事」は「読者の読み取ったこと」に優先されないとは思ってるかな

2014-04-14 20:56:38
鮎沢 @appuedearu

@kuroko_1011 黒さんは、書物における書体や行替え、装丁についてはある程度、仕方がないとおもいますか?教材として引用する際は該当学年の子が読めなくとも、必ず漢字にルビがあります。それとは違う、雰囲気のようなものまで作品とするのかが、気になりました。

2014-04-14 21:14:08
読書する黒子さん @kuroko_1011

@appuedearu んー……そういう研究は専門外ですね……正直、僕表紙買いはしますけど……あ、でも装丁は手触りがいいほうがいいです。列の文字数や改行のほうが気になりますね。ルビについては出版社によっても違うので(い・ゐなど)好きなものを選べていいと思います……

2014-04-14 21:23:11
読書する黒子さん @kuroko_1011

本の装丁・字体・改行・ルビの振り方は作品に含むのか、という質問をいただきました……うーん。昔の作品は出版社や本によっては旧字体を変えたりもしていますし。「文字はインクの集合体であり、1回言葉として人に取り込まれたら文字には復元不可能である」という視点では気にしませんね……

2014-04-14 21:27:15