ああ、と心の中で一つ。ゆっくりと手を離し、視線を再び端に転がる死体へ向ける。悲しげな表情の中に、ほんの少しの違和が混じる。見落としてもおかしくないほど、僅かに。 −−ああ全く。疫病とは恐ろしいものですね。簡単な接触でさえ感染してしまうのですから。 男は笑う。穏やかに、静かに。
2014-02-26 04:34:51握手を交わした、直後。離された手を見れば、青年の血らしきものが付着している。 そこに、僅かな違和感を覚えて。 「……私に何か、」 本当に、僅か。大した違和感ではないが、『赦してはならない』と直感した。 自分の人格以外、この身体すら信じぬ『傲慢』だからこそ、気付けたのかもしれない。
2014-02-26 04:35:14笑みを浮かべる男。人のよさそうに、温厚に、笑う――ハインリヒ。 「言え。何をしようとした」 顔は変わらず、そこに表情と呼ぶべきものは無い。しかし声は低く。瞳は、冷たく。 「その笑顔(かお)の奥に――何を隠している」 問いは2つ。血が付いていた右手でそのまま、彼の首元の服を掴む。
2014-02-26 04:35:18襟元を掴まれる。けれども男が笑みを崩すことはなく。 「はは、怖いですね。私は何もしようとしてません。握手しただけでしょう?」 男は何もしようとなどしていない。事実、何もしていない。何かあるとすれば、それは勝手に起こるだけ。いいや−−起こっただけ。 「何も隠してなどいませんよ」
2014-02-26 04:35:40あえて口にしないことはある。たとえば、指の傷。男についた僅かな血。言わないだけで、隠すつもりなどない。 −−だが。 男は思考を巡らせる。確かに血に触れさせてしまったが、それでは何も、そう、表面上は何も起きていない。だと言うのにこの反応。普通の人間ならば有り得ない。
2014-02-26 04:35:55けれど、普通の人間でなかったとしたら。 相手が人間でなく、男と同じものだとしたら? 「私からも一つお尋ねしましょうか」 有り得なくは、無い。 フッと笑って、手を払いのける。数歩下がり、白衣の上からさりげなくベルトを確認して。 「貴方は『大罪』ですね?」 目を細め、誰何した。
2014-02-26 04:36:08何もしようとしていない。何も隠していない。 ――本当に? 否、この男は最早当てにならない。しては、いけない。 「嘘ではないが本当も言っていない、という感じだな」 笑みを睨めつけて言い捨てる。元より信じる気など無かったが、人の良さに油断していたのも事実。 苛立ちに手に篭る力が増す。
2014-02-26 04:36:39掴みかかった手は不敵な笑みで払われる。青年の問いに出てきた『大罪』の単語に、目を細め。 「……なるほどな」 その単語が出てくるならば、青年も大罪とみて間違いない。 「その通り。私は大罪、冠す座を『傲慢』。お前の座はなんだ」 簡潔に答え、問い返す。距離を取る青年を蒼で見据えながら。
2014-02-26 04:36:41相手の言葉に、男は瞠目した。けれどもそれは一瞬で、見据える蒼に碧で返す。表情は手の下に隠し、其処に浮かぶのは笑み。しかし先程までの穏やかさなど欠片もなく。 「フッ……」 −−『傲慢』?彼が、『傲慢』? 「ハッハッハッハッ!そうですか!『傲慢』!貴方は『傲慢』か!」
2014-02-26 04:37:23反芻し、理解する。納得し、嘲笑する。口元だけでなく顔を覆い、天を仰いで高らかに笑い飛ばす。 そして、男は不意に声を消し。ニヤニヤと、凡そ医者に似合わぬ笑みのまま。 「ならば私も答えましょう。私は『強欲(Habgier)』……いいえ、『強欲(アーネウス)』」
2014-02-26 04:37:36男−−アーネウスは、カルドに言う。 その脳裏に浮かぶのは金の髪の可愛い『傲慢(少女)』。『強欲』の『帰る場所(傲慢)』。 どうやら私は『傲慢』に縁があるらしい。アーネウスはニヤリと笑みを深くして、胸にかけた十字架を掴み。 神に祈るかのように、十字架にそっとキスをした。
2014-02-26 04:37:52―――かつん。 跫。 ―――かつん。 それは少し気怠げに、しかし淡々と踏み出される。 民家の間をゆらり進みながら、舐めるように指先を這わせる外壁を無音のまま薄紫の硝子へ変質させる。侵蝕は外壁を、屋根の一部を、室内を見通せる硝子に変える魔の手。鬱屈とした室内を一瞥し、進む。
2014-02-26 04:42:33鮮やかな紅と、まるで誰かに汚され濁る劣化した錆の色が柔らかく細められた。 「……ああ、」 廃墟。人の色濃い名残。 向かう道、転がっている屍を綺麗な硝子へ変え、しかし見向きもせず、浮かべるのは僅かに俯く喜悦の笑み。
2014-02-26 04:42:38硝子の言葉が紡がれる背後、音もなく石畳を踏んだ素足。場違いな服装。いや服装とも呼べないソレは水着だ。廃墟に水着。異様な組み合わせの女は腰に手を当てにたりと笑った。
2014-02-26 04:46:11一瞬の瞠目、後に顔は手で覆われ。 浮かぶ表情は見えない――でも、声で分かる。きっと下卑た笑みを浮かべているのだろう。 直後の天にも響く高らかな笑い声に、出会ったときの青年の面影は無く。 「不快だな」 ようやく見えた顔に更に不快感が煽られる。――馬鹿にしたような、その顔。
2014-02-26 05:12:57あの顔にどんな含みがあるかは解らないが、碌なものであるはずがない。きっと不快なことだろう。 「――『強欲(アーネウス)』か」 無表情の中に感情が混ざる。瞳の温度が下がって、蒼はより深く、冷たく。 そこに足音と通る声。それらに、顔は強欲へ向けたまま目線だけ音の方へと投げかける。
2014-02-26 05:13:08「お前は、」 なんだ、と。問おうとして口を噤む。視線の先には茶色い長髪の青年がいた。その奥では何かが光を反射しているのが目に入る。だが、それより気になる事があった。 ーー背景と彼との、間。 「……?」 女。その服装は場違いで、異質性を物語る。 それに思考を回し、暫し沈黙。
2014-02-26 05:13:11相対するカルドの無表情が更に冷たく鋭いものへと変わる。『軽蔑』と言う言葉と共に蒼の瞳も冷たく、鋭く。 「絶対零度の眼差しですね」 けれどもアーネウスがそれに動じることはない。『軽蔑』するならばすればいい。腐りきった己が性根に『軽蔑』など今更のこと。
2014-02-26 05:31:13アーネウスはそれをせせら笑い、糧にして、己が愉悦を育むだけだ。不快ならばもっと不快になればいい。優位を信ずる者など引きずり落として踏み躙ってこそ。 アーネウスは嘲う。不快を表す者を嘲う。さあどうやって堕として(腐らせて)やろうか、と懐に手を入れたところで。 突然訪れた、声と足音。
2014-02-26 05:31:20その音の主を、笑みを浮かべながらも横目で睥睨する。その先、煉瓦の家と死体とが、硝子になっているのには気付いたが——茶の髪の青年、その背後にいる者がこの場においてはあまりにも異質に過ぎていて。 「……どちら様ですか?」 背景などどうでも良くなるような嫌な予感に笑みは硬く引きつった。
2014-02-26 05:31:59医者の風貌の金髪とスーツを纏う蒼い目。 聞き耳を立てるつもりはないが入ってきていた言葉を反芻し、笑う。己の言葉と、隠す気すら起きなかった跫に此方を見た。 ――眺めている方が愉快そうだが。 勿体無い事をしただろうか。蒼い眸の男の言葉が途中で切れてるように止まり、白衣の顔は引き攣った
2014-02-26 11:53:48その二つの視線は自分から背後に映ったように思え、 「……?」 首を傾げ、振り返る。振り返って、見えたのは眼球。異常なほど顔を近づけた顔。大きく見開かれ収縮した瞳孔が光る。触れ合いそうな湿った眼球が獲物を狙うそれと同じに見え、誰かと理解した瞬間、口元が歪む。面倒だと言わんばかりに。
2014-02-26 11:54:12「……ついてきたのか」 げんなりと、扉をくぐる前のことを考え、溜息。そして、うふ、と相手の温かい吐息が口元を掠めて反射的に、頭を引いた――が、後頭部ごと捕まれた。
2014-02-26 11:54:26……言葉を交わし合う二つの視線がこちらを見たとき、女はにいと笑った。 「あら、逃げなくてもいいのに、イアシザリア? ねえ?ザリア?」 つれない態度の傲慢に笑みを深め首筋を撫でる。硬直したのがよくわかる。視線は正面に立つ男二人へ向いた。
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