孫泰蔵さん、「野球を学問する」を読んで考えたことまとめ
桑田真澄氏は古武道に造詣が深く、そこからのインスピレーションで彼は野球をする人の心構えとしての「野球道」というものを定義しようとしている。
2010-11-04 08:00:41桑田真澄氏「武道には『残心』という心構えがあります。心を途切れさせてはいけないということです。技を終えた後でも、気を抜いたり、力をゆるめてはいけません。」
2010-11-04 08:00:48桑田真澄氏「そしてこの残心の精神があるのは、武道だけではありません。茶道でも、お客さんが見えなくなるまで見送り、その後で、ひとり静かに茶室に戻って茶をたてて、今日と同じ出会いは二度とない、という事実を噛みしめます。」
2010-11-04 08:00:55桑田真澄氏「『道』とは、残心など、日本独特の所作や価値観をともなうものです。ただ勝てばいい、というのではなく、その行為を通じて自己の精神の修練を行い、そして物事の本質に迫ろうとすることなんです。」
2010-11-04 08:01:01武士たちは、自分や自分の愛する者たちを守るために生死をかけて戦うという行為が、たとえそれがどんなに正当な理由を持っているとしても、それが相手の存在を蹂躙することに変わりはないということで、「道」を外れてはいけない、という力に対する倫理をまず作りあげていったのだろうと想像する。
2010-11-04 08:01:09そして、死は生と表裏一体であるということで、「いかに死ぬか」ということから「いかに生きるか」を考える枠組みとして、「道」を単なる規範や倫理を超えた哲学にまで昇華させたのではないだろうか。
2010-11-04 08:01:15さらには、その「道」という物事を究める思考の枠組みを、武道だけでなく、お茶を点てて客人をもてなしたり、お花を活けて自然に畏敬の念を捧げたりするという行為にまで敷衍し、人の生活や人生はいかにあるべきかということを昔の人は深く見つめようとしてきたのだろう。
2010-11-04 08:01:20福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀選手は、球場でベンチからフィールドに出入りするときに必ず一礼する姿を見ることができるし、イチロー選手や桑田氏はバットやグラブなどを綺麗に磨きあげ、ことのほか自分の道具を大切にすることで知られているが、これらはまさに道の精神の発露であると思う。
2010-11-04 08:01:26僕などまだまだ全然ひよっこだが、起業家の「道」とはいかにあるべきか、自分なりに考え始めよう。英語だとなんて説明すればいいのかな。"journey"とでも訳すのかなあ。いろんな人にお話を伺ってみよう。桑田真澄、平田竹男著「野球を学問する」(新潮社)を読んで今朝はそんなことを考えた。
2010-11-04 08:01:33