福田尚代/MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり
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展覧会の撤去も無事終わり、今日は作品の返却でした。おそらく来週いっぱいくらいまで家での後片づけが続きますが、とりあえずほっとしました。ここでのお礼もまだ充分にお伝えできていませんけれど、やっとそんなところまで。
2014-05-21 20:48:20作品と金銭の交換が発生する時、世間的な、お金を得ることについての感情(安堵や一抹の疑いや…)とはまったく別に、天上的な数字と作品の交換という、とても抽象的な視覚体験が発生する。
2014-05-24 05:39:07とくに点描など均質な作品は、膨大な制作時間とも結ばれて、点描の一つ一つの粒が無限の数字の並列に変換する、ある種のうつくしさにみちた視覚的な体感。なまのものが抽象化されてゆくときのあの感じ。
2014-05-24 05:42:49朝方の半睡のあたまに茫洋と残っていた夢。ほかは消えてしまって、全容は思いだせない。(点描の視覚的な体験は何かに似ていると思ったら、文章に稿料が発生するときだろうか。) あ、作品が売れたわけではないです。
2014-05-24 05:48:02ほかの光景もすこしだけ思い出した。白い砂浜に点々と散らばる色々な形の貝や、小石や、金銀のかけら。たぶん貨幣なのだと思うけれど。
2014-05-24 08:25:35アニュアル展の御礼や御報告や総括は、家での片付けもすべて済んでからと思っていたけれど、いくつか並行してしている作業もあって、とても今週来週くらいでは終わりそうもない気配。これ以上延ばしたくないことだけ先に書くことにしますね。細かいことは追々少しずつ。
2014-05-28 23:29:05会期中にボランティアの方によるご案内があったとのこと、事情をよく把握しておらず、その模様を後から知りました。とても丁寧な下調べをした上でのものだったらしく、ほんとうに私も訊きたかった。いつかどこかでお逢いできたら幸いです。
2014-05-28 23:32:12運搬や設営や照明や監視の方々には本当にお世話になりました。いつものことながら、ひとりひとりの方にちゃんとご挨拶できなかったことが心残りです。新美術館の運搬時に咄嗟に作って頂いた消しゴムの 仕切り箱とか、今でも大切に使わせて貰っています。
2014-05-28 23:39:18「仮名齧り」はまだしばらくMOT 館内のナディッフにおいて頂けるそうです。それと、トークの時にお話した「作品集」は、ごめんなさい、もう少し先になりそうです。
2014-05-28 23:51:37昨夜遅く、古書店で見つけたエミリ・Dの詩集。目にとび込んできた一行が、誰かのほんとうの声のような気がしてたまらず、家に連れて帰り、届くように頁をひらいておいた。「一度だけ! ああ とても小さなお願いです!」
2014-05-29 00:51:34夜の涙と朝の涙。夜に泣くのは今までも知っていた。朝、目が覚めながらの涙は、実体のあるかなしみではなく、眠っている間にしか作用しない心のどこかと関係している。
2014-05-30 21:39:38明け方の夢。昔々の同級生と仕事先の知人、じつは私もほとんど知らない女性ふたり… を引き合わす、それだけのこと。目が覚めて、何だったのだろう?と書きとめながらハッとした。ふたりの名前に、ひとつ同じ漢字がある。そういえば名刺交換をしていた。あれが鍵だったのか。ただ一語の黙示。
2014-06-01 08:00:20「朝の涙」と「眠りの奥底」の回路を実感した翌朝のこと、それを嗤うかのようなできごとがあった。脚が攣り、ふくらはぎの痛みと自分の声に、突然目を覚まされたのだ。痛みと叫びは言葉を吹き飛ばしてしまった。いつも書きとめていたような言葉は、その朝は視界にひとつも見つからなかった。
2014-06-02 10:00:15単純に考えれば、前日にハイヒールで外出した所為なのだけれど、それだけではない示唆にみちた朝の一撃だった。涙と心奥と身体の当然な結びつき、それと、痛みと叫びによる唐突な眠りの中断が指し示すもの。さらにたどってゆくと、老化や病もふくめた体の無常さと、作品との結びつきが見えてくる。
2014-06-02 10:02:18体の無常は、制作における愛の在り様を変えてゆく。いつも怒っているような、訳もなく喧嘩をしかけたりもする人ってどういうことなのだろう、と思っていたけれど、創造性や生命力をとり戻して奮い立たせる為でもあったのかもしれない。でもそうではなくて、無常そのものが作品になってゆく世界がある。
2014-06-02 10:05:37過去に制作と内面の病の昇華があったからこんなことを思うのかもしれません。つまりこの話は鬱へ(鬱と言う言葉は慎重に使いたい…いや使えない。逆に日本語の中にあるとロマンティックに聞こえすぎるのだけれど、ここでは暫定的にメランコリアと書きます)、メランコリアへとつながってゆく。
2014-06-02 10:13:33何年も語ることができないでいたのは、渦中にいるときには、外側からの声はたとえその人がかつてその中にいたことがあるとしても、すべてが見当違いに聞こえるからだ。とてもつらい気持ちになるし、つらい気持ちにさせるものだから。
2014-06-02 10:18:27けれども、この話を抜きに作品について語ることの限界を感じはじめている。メランコリアは虚無そのもので、強大なものは生まないかもしれないけれど、芸術のなかでは救いとして存在している。
2014-06-02 10:22:25まだひと言も書いていなかった件だけれど、MOTアニュアル展のとき、前回の同展からの揺り戻しもあったと私は思っている。美術の流れはそんなに直線的なものではない。自分を小さな点のように俯瞰する視点は失くしたくない。
2014-06-02 18:12:47