福田尚代/MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり

MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり 出品作家 青田真也|髙田安規子・政子|パラモデル|福田尚代|宮永亮|吉田夏奈 会期 2014年2月15日(土)―5月11日(日) 続きを読む
0
前へ 1 ・・ 13 14
福田尚代 @fukudanaoyo

著者は、詩人の言葉の中へと〈巡礼〉してゆく。他者の作品を見る、読む、聞く、触れるって、こういうことでしょう?

2014-07-11 16:35:50
福田尚代 @fukudanaoyo

この本に手が触れたのは大きな偶然で、ぱらぱらと捲ったときに醸しだされたその気配、そのうつくしさに惹かれ、持ち帰らずにはいられなかった。「ドゥイノの悲歌」を理解したいと云う思いを抱いてきたということもあるけれど。悲歌へといたる巡礼と、そのさなか、歴史と個人と今も私もひとつになった。

2014-07-12 07:49:16
福田尚代 @fukudanaoyo

『大いなる沈黙へ』を見ました。厳格な修道院のドキュメンタリー、音楽は稀に修道士が歌う聖歌だけ。照明は自然光のみ。ナレーション、説明は無し。中へ入ることを許されたのは監督一人だけ。修道士たちはほぼ沈黙を保っている。ooinaru-chinmoku.jp

2014-07-12 18:08:38
福田尚代 @fukudanaoyo

非常に貴重で美しい映像を見続けるうちに、知りたい思いでいっぱいになってしまった。修道士たちが何を見ているのか。歌っている時、祈っている時、目を伏せている時、いったい何が見えているのか。彼らがカメラを持ったら、映像とどれほど異なる光景が映るのだろうか。彼らの目になることができたら!

2014-07-12 18:11:06
福田尚代 @fukudanaoyo

焦がれるうちに視界が二重になって、礼拝堂を見おろしつつ見あげている私がいた。まるで映画館と修道院と両方に居て、スクリーンと現実を同時に見ているかのようだった。何かに似ていると思った。ああ、これは本を読んでいる時の視覚ではないか。

2014-07-12 18:15:59
福田尚代 @fukudanaoyo

物語の流れや、過剰な言葉や音楽が無いために、時間が固定されずに伸縮して、本を読むことに似た視覚体験が生まれるのだろうか。3時間があっというまだった。複数の視界は、コップとりんごと雪と空のところでひとつになった。あの三人の瞳の美しさは忘れがたい。

2014-07-12 18:21:53
福田尚代 @fukudanaoyo

作品にふれて心が揺す振られた瞬間、人はその作品に受け入れられているのではないか。

2014-07-12 19:41:00
福田尚代 @fukudanaoyo

何の根拠もない直観だが、どうしてもからだが動かずじっとしている時に指先や視線を揺らしてくれるあの何かと、本来ばらばらな言葉と言葉を接着している何かとは、同じ性質のものではないか。じっとしているあいだにそんなことを思った。

2014-07-17 13:29:11
福田尚代 @fukudanaoyo

先日、10代の頃の絵を個人的に辿る機会があった。大学入学後、最初の課題が石膏デッサンであり、私は大石膏室のロダン作バルザック像を選んだ。その時に読んだバルザックの短篇『知られざる傑作』を久しぶりに読み返す。いま直面している問題そのものだった。(続く)

2014-07-17 14:18:39
福田尚代 @fukudanaoyo

冒頭の点のみによる無名の献辞が既に暗示的であるけれど、見過ぎること、過剰に見ること、見抜くことは、消してゆく行為でもある。その果てに、見えないものだけが残る。理論と技術は内部の魔的なものによって崩れてゆき、のめり込み、偏執すればするほど外部から乖離してゆく。

2014-07-17 17:58:08
福田尚代 @fukudanaoyo

10代の頃と異なり、今の私は乖離の先を見たい。物語としてではなく、物でもなく。

2014-07-17 18:06:28
前へ 1 ・・ 13 14