#鳳翔の艦娘講座 番外編 ~ 川西~新明和大型飛行艇編 ~

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鳳翔 @Housyou_kankore

九七式飛行艇の諸元ですが。 全長40m、全幅25.6m、全高6.27m、全備重量17.5t。 最高速力385km/h、航続距離4940km、偵察時6771km。 武装は20mm旋回銃1丁、7.7mm旋回銃4丁、航空魚雷2又は爆弾2t、を装備して居ました。

2014-04-29 18:13:13
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、続いてはある意味本命。二式大艇とも呼ばれる二式飛行艇の紹介です。 二式飛行艇は九七式飛行艇の後継機として実用化をされまして、当時世界最高の性能を誇る傑作機となりました。 二式飛行艇は九七式飛行艇の更新用機材として、十三試大型飛行艇として開発が始められます。

2014-04-29 18:17:03
鳳翔 @Housyou_kankore

当時諸外国が一般的に求めていた飛行艇の性能を遙かに上回る性能要求が行われます。これはいつもの事ですよね。 なお、この同時期に、最初の方で因縁がありました中島飛行機に対しては、「中島十三試大型陸上攻撃機」の要求が行われています。これは「深山」ですね。

2014-04-29 18:19:06
鳳翔 @Housyou_kankore

中島の深山は、川西の二式飛行艇に取っては文字通りのライバルとなります。 この際要求された性能は簡単にまとめますと、「陸上機並みの攻撃力を備え、大航続力を持ち、高速機」と云う過酷な物でした。

2014-04-29 18:22:24
鳳翔 @Housyou_kankore

これに対して川西は、九七式飛行艇を設計した菊原技師を設計主務に任命。菊原さんは「よしきた」と張り切って設計に携わったそうです。 試作機時点で幾つかの不具合があったものの、試験と工夫でそれらは解消。1942年に『二式飛行艇11型 H8K1』として制式採用されます。

2014-04-29 18:23:56
鳳翔 @Housyou_kankore

ちなみに皆さんもうご存じと思いますが、先行して開発を行われていた中島の深山は失敗に終わりました。 逆に二式飛行艇は派生型として輸送機型として36機が生産をされています。一部では陸上爆撃機とするプランもあったようですが、こちらは新型機開発が選択をされています。

2014-04-29 18:27:10
鳳翔 @Housyou_kankore

こうして実戦投入をされた二式飛行艇は、連合国から「formidable(恐るべき)」機体と呼ばれました。それは大型高速でなおかつ十分な防御火器をを装備していたおかげで、1942年3月4日の3機での真珠湾空襲に始まり、ミッドウェー、オーストラリア本土、セイロン島、

2014-04-29 18:30:03
鳳翔 @Housyou_kankore

カルカッタ、ソロモン諸島方面などに置いて偵察、爆撃等々に活躍をしていきます。 ソロモン方面に投入をされた第八〇二航空隊の二式飛行艇は、去年9月23日に講座で紹介をしました水上機母艦・秋津洲さんの支援を受けて活動をしています。

2014-04-29 18:32:04
鳳翔 @Housyou_kankore

秋津洲さんの講座はこちらをご覧下さい。 http://t.co/rkN1pQyCFO http://t.co/gCQuAiNFCq また、1944年以降の戦争終盤になって来ますと、不利な戦況の中に於いてもなお活躍をして居ます。

2014-04-29 18:33:12
鳳翔 @Housyou_kankore

特に、B-25やB-17と云った米大型爆撃機を積極的に追撃、撃墜したと云う逸話も残っていまして、その攻撃力から「空の戦艦」とも呼ばれました。 1943年11月にはP-38ライトニング3機と40分間交戦、1機を撃墜しつつもエンジン2基停止、230カ所被弾と云う損害で帰還をしています

2014-04-29 18:35:39
鳳翔 @Housyou_kankore

とまあそんな活躍をした二式飛行艇ですが、押される戦況には流石に耐えきれず消耗していき、最終的に終戦後現存していた機体は3機でした。 そのうち、1機は米軍によって性能試験が行われて、圧倒的な高性能で米側を驚かせています。

2014-04-29 18:40:03
鳳翔 @Housyou_kankore

後にその機体は帰国、船の科学館での展示を経て、現在は鹿児島県にあります、海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に保管されています。 近くの提督さん達は、宜しければご覧になって見ては如何でしょうか。

2014-04-29 18:40:57
鳳翔 @Housyou_kankore

二式飛行艇の諸元ですが。 全長38m、全幅28.13m、全高9.15m、全備重量24500kg、速力465km/h。 武装は20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃4門、爆弾を2t、又は航空魚雷2を装備して居ました。

2014-04-29 18:43:09
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、こうして終戦を迎え、航空機建造をGHQによって禁止をされた川西飛行機ですが、その後民需転換に成功をし、1949年に新明和興業株式会社と社名を変更します。 社名はその後1960年に「新明和工業株式会社」に社名を変更しました。

2014-04-29 18:47:30
鳳翔 @Housyou_kankore

民需転換においてユニークな製品を持つメーカーとして評価をされています。 さて、そんな新明和ですが、戦後に於いて航空機製造が解禁をされる時に一つの転機が訪れます。

2014-04-29 18:50:09
鳳翔 @Housyou_kankore

それは、先程お話をした二式飛行艇ですね。 二式飛行艇をテストしたアメリカはその異常なまでの高性能に驚いたのですが、驚いたグラマン社、マーチン社は1958年に新明和に対して、それぞれの会社の飛行艇の改造実験を行う様に求めてきました。

2014-04-29 18:53:32
鳳翔 @Housyou_kankore

一方の新明和でも、九七式飛行艇や二式飛行艇を設計した菊原さんは、1953年から社内で飛行艇の構想を練っていて、1957年に防衛庁に対して飛行艇の実験機を作らないかと売り込みました。 防衛庁でも検討をした結果、1960年に対潜哨戒機として使用する案がまとまりました。

2014-04-29 18:55:23
鳳翔 @Housyou_kankore

当時既に菊原さんは新型の波消し装置においてグラマンとマーチンから高い評価を得ていた為、日本独自の優秀な飛行艇を作って海外にアピールする好機だと捉えていた訳ですね。 そうして考えて居た新型飛行艇の案を見たグラマン社が興味を示し、将来的にその技術を取り込めると考えます。

2014-04-29 18:57:36
鳳翔 @Housyou_kankore

その将来的な取り込みを目的として、米軍向けの救難飛行艇UF-1を提供します。 新明和ではそれを元に飛行艇底を自社の試作品に変更、垂直・水平尾翼も試作品に変更し、主翼を延長してエンジンを4発にした実験飛行艇UF-XSを完成させます。

2014-04-29 18:59:48
ちび加賀@いたずら坊主 @chibi_kaga

@Housyou_kankore ドーモコンバンハ。 新明和ってゴミ収集車等の特殊車両も作ってますよね、大抵コンテナの後ろの扉に会社のロゴが入ってますよ。

2014-04-29 19:02:02
鳳翔 @Housyou_kankore

UF-XSは1962年に初飛行、1963年から1966年にかけて様々なテストが行われ、データ取りが行われます。 このデータを元に、防衛庁は新明和に対潜哨戒機の製造を打診。PS-1の開発につながって行きます。

2014-04-29 19:04:03
鳳翔 @Housyou_kankore

これらの貴重なデータを提供したUF-XSは1967年に用途廃止とされ、現在はUS-1と共にかがみはら航空宇宙科学博物館に展示をされています。 諸元ですが。 全長23.1m、全幅24.4m、全高7.8m、最大速力33km/h、となっています。

2014-04-29 19:05:24
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、こうして1965年に新型対潜哨戒機の開発を防衛庁から命ぜられた新明和ですが、二式飛行艇からの技術とUF-XSのデータを元に開発が行われる事になります。 コンセプトは「外洋における運用を第一の目的とする世界初の飛行艇」と云う物でした。

2014-04-29 19:10:51
鳳翔 @Housyou_kankore

試作機は1967年に初飛行をしますが、その後の実験で思わぬトラブルが続き、関係者を悩ませたと云われて居ます。 問題は色々あったのですが、取り敢えず納入された2基の試作機は運用試験で十分に部隊での使用に供し得るとの評価が下され、制式導入をされ、PS-1として運用をされます。

2014-04-29 19:13:19
鳳翔 @Housyou_kankore

採用をされた、のですが。 当時日本は電子技術が遅れて居た為、装備をされたソナーが既に時代遅れになっていまして、結果対潜哨戒機としては微妙、と云いますか役不足的な感じになってしまいます。 機体自体もトラブルが続き、運用中に事故で6機が失われています。

2014-04-29 19:16:31