周木 律さんによる数学者ツイート
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彼の業績で有名なのは対数の考案、そして小数点の発明です。科学に計算はつきもの、それは時として数十桁に及ぶ巨大なものとなります。その計算を少しでも楽にするために発案された対数や小数点は、その後の科学技術の発展に、計算の効率化という側面から大きく貢献をするものとなりました。→
2013-11-26 19:45:06また彼は「ネイピアの骨」という道具も発明しています。これは掛け算を足し算にするための道具で、彼の死後も改良が重ねられ最終的にはシッカードがダイヤルを回すと6桁と1桁の掛け算ができる計算機を作りました。これが世界初の歯車式計算機であり現在のコンピュータの祖となったものです。(了)
2013-11-26 19:47:1410マラン・メルセンヌ(1588-1648)フランスの神学者にして、数学者。パスカル、デザルグのみならず、デカルトやガリレオ・ガリレイ、かのフェルマーとも親交があり、彼らの文通の中心人物として数学の発展に大きく寄与しました。→ pic.twitter.com/kJpGGRN70S
2013-11-27 19:00:38彼は大変に好奇心旺盛なことで有名で(だからこそ文通の中心人物となったのですが)旧約聖書に登場する「ヤコブの梯子(天使が天と地を行き来するために上り下りしている梯子)」の長さを実際に計算してみたりしています。このことについてデカルトも「彼は知りたがりすぎるなあ」とぼやいたとか。→
2013-11-27 19:01:34普段は温厚な彼ですが、プロテスタント的思想など反カトリック的なものには嫌悪を示し、人が変わったようにこれらを罵りました。このため論争が泥沼化するなどの舌禍を招くことが多々ありました。批判は大事ですが、それが行き過ぎて罵倒までするのは、どんな時代でも得なことではないようです。(了)
2013-11-27 19:05:1811ジラール・デザルグ(1591-1661)フランスの数学者にして、射影幾何学の生みの親。彼が創出した独創的な幾何学は、ユークリッド幾何学とは大きく異なっており、それがために人々の目に留まることはほとんどありませんでした。→ pic.twitter.com/XydacfDxC2
2013-11-28 18:27:56射影幾何学は「双対性」という原理を持ちます。これは、ある定理において(たとえば)「点」と「直線」を入れ替えて読んだ定理もまた意味を持つという性質のこと。にわかには理解不能な原理ですが、彼がこれを提示した当時もやはり人々は同じ反応を示し、彼の研究を馬鹿にする者もあったといいます。→
2013-11-28 18:29:01友人であったデカルトやパスカルこそ真価を認め彼を励ましましたが(慧眼です)、結局は人々の関心を引かないまま彼は亡くなりました。射影幾何学がモンジュによって再び脚光を浴びるのは、それから150年後。彼の天才を理解するには150年時代が早すぎたということだったのかもしれません。(了)
2013-11-28 18:29:3312ルネ・デカルト(1596-1650)かの有名な「cogito ergo sum(我思うゆえに我あり)」という言葉の生みの親であるイタリアの哲学者。合理主義の祖として知られていますが、当代一流の数学者でもあった人物です。→ pic.twitter.com/p4dNOzahJE
2013-11-29 18:33:21数学上の功績は「方法序説」の中で用いられた「2数により平面上の座標を表す」方法の発明が最大のものです。今ではデカルト平面と呼ばれているものですが、このおかげで、ある意味では定性的だった幾何学を定量的に評価できるようになり、のちに解析幾何学という一分野へと発展していきました。→
2013-11-29 18:33:52一方で彼は自身の哲学に数学を当てはめるといったことはあまりせず、それがために間違いを犯したりもしています(機械論的な世界観における法則の値や、運動量保存則など)。とはいえ、後にニュートンなどに与えた影響もなお大きく、やはり学術史上の最重要人物であることには違いありません。(了)
2013-11-29 18:34:2013ピエール・ド・フェルマー(1607?-1665)フランスの数学者。彼が数学の発展において与えた影響は大変に大きいもので、これについて語るには140文字は余りにも少なく、「それを書くにはここは狭すぎる」と言わざるを得ません。→ pic.twitter.com/o7RUhd4bSG
2013-12-02 18:31:51彼の最大の業績は、ディオファントスの「算術」の余白に彼が書き残した48の注釈です。数論に関する彼の洞察を述べたこの48の書き込みは、後世の数学者たちにとってよき問題となり、順次肯定・否定の証明が与えられる中で、数論そのものを発展させる推進力ともなっていきました。→
2013-12-02 18:32:34最後に残ったのが、かの有名なフェルマーの最終予想(定理)。350年間未解決であり続けたこの予想は、ようやく1995年、ワイルズによって解かれました。なお、フェルマーの本職は数学者ではなく弁護士(法律家)。数学はあくまで彼の「趣味」であり「余暇の楽しみ」であったといいます。(了)
2013-12-02 18:34:0414ブレーズ・パスカル(1623-1662)フランスの数学者であり神学者。一般には「人間は考える葦である」という言葉で著名な、懐疑論的立場に立つ哲学者として知られています。→ pic.twitter.com/GPnn73PiBy
2013-12-03 18:19:35早熟の天才である彼は、10歳になる前に1からnの和がn(n+1)/2であることを証明できたといいます(ガウスのエピソードにも通じます)。その後も彼はパスカルの定理の発見や確率論の創始など、数学における多くの業績をあげるとともに、流体平衡に関するパスカルの原理なども発見しました。→
2013-12-03 18:20:1617歳のころには機械式計算機の作成にも没頭しました。ところが熱中するあまりに身体を壊し、以後39歳で死ぬまで病気に悩まさ続ける身体となってしまいました。とはいえ、この病気の苦しさに耐える日々こそが、冒頭の言葉で象徴されるパスカル独自の哲学を形作っていったのかもしれません。(了)
2013-12-03 18:21:1615アイザック・ニュートン(1643-1727)万有引力を発見した超有名な物理学者。実は数学の世界でも、微積分の創始者として(ライプニッツとの仁義なき争いはさて置き)著名な人物です。→ pic.twitter.com/IPB55k0Ufd
2013-12-04 18:38:00彼の数学の天才で、あるときベルヌーイが最速降下点に関する問題(難問!)を公に出題したところ、ニュートンはすぐにこれを解き、次の日には匿名で答えを提出したそうです。この解答を見たベルヌーイ、これがニュートンによるものと即座に見抜き言ったそうです。「ライオンは爪あとを見ればわかる」→
2013-12-04 18:39:05なおニュートンには、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を思いついたという逸話があります。同時代の作家ヴォルテールのエッセイによって知られるようになったこの話、実はその真偽は不確定。何事にも関心を持ち着想を得るというニュートンの賢さを表現するための作り話とも言われています。(了)
2013-12-04 18:39:4216関孝和(1642-1708)日本の和算家。彼が生きた江戸時代、庶民の間には和算(数学)が大変に普及しており、ある意味では世界有数の数学大国となっていました。関はそんな時代の大天才。→ pic.twitter.com/DRkFDEB8iR
2013-12-05 18:16:43彼は32歳のときに著した「発微算法」において、点竄術(てんざんじゅつ。筆算による計算法)を発明したほか、行列式の概念も提案しました。また暦の作成にもかかわり、必要性から円周率πを計算・算出しましたが、その値は小数点以下第16位まで正しいという驚異的なものでした。→
2013-12-05 18:17:00関の死後も、彼の学派は弟子である建部賢弘や荒木村英らにより発展を遂げ、関流と呼ばれる一派をつくりました。関は関流の始祖として「算聖」と呼ばれ、今もなお尊敬を集めています。彼の出身地である群馬の上毛かるたでも「わ・和算の大家、関孝和」と詠まれているのが、その証拠。(了)
2013-12-05 18:17:0717ゴッドフリート・ライプニッツ(1646-1716)モナド論などを提唱した哲学者にして、微積分法をニュートンとは独立に打ち立てた大数学者。ベルリン科学アカデミーの創設に携わったことでも知られています。→ pic.twitter.com/yELfE8Uln6
2013-12-06 18:12:41当時彼が生きたのは、いまだ三十年戦争の傷も癒えないドイツ。英仏と比べても学問は大きく後れを取っていた母国で彼は学問に打ち込み多くの成果を挙げました。晩年は政治的後ろ盾を失ったせいもあり、侯家の家史編纂というつまらない仕事ばかりを任されるなどあまり幸せだったとは言えないようです。→
2013-12-06 18:13:08