ブルデューの研究手法と対応分析:「計量社会学はいかに行われるべきか・それには何ができるのか」という問題の下位問題
- MinoruSawada
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@contractio 対応分析については歴史的経緯?から日本での紹介はあまりないようですが、中村永友『多次元データ解析法』では簡潔で分かりやすい紹介がされています。
2010-11-08 10:23:55@contractio 「社会」をいくつかの次元に縮約して空間的にマッピングするということころが彼の理論にあっていたのでしょう。あるいはこの手法から理論が思いつかれたか。このあたりは学説史研究の重要なテーマだと思います。
2010-11-08 10:30:09@naokimed ああ、やはりそうなんですね。私も余裕のあるときにもう少し勉強しようと思ってます>対応分析
2010-11-08 10:32:10@contractio 対応分析というのはフランスの学者が編み出した手法なんですが、日本ではほぼ同じ手法を林知己夫が数量化Ⅲ類という形で定式化していたんですね。そういうわけで日本では数量化Ⅲ類の方がはるかにメジャーです。
2010-11-08 10:35:22これか。中村 永友 (2009) 『多次元データ解析法 (Rで学ぶデータサイエンス 2)』 B! http://amzn.to/dg8AgC
2010-11-08 10:36:40もっとも対応分析は英米圏でも近年までほとんど普及せず、いろいろナショナルなものがからんでいたらしい。このあたり科学社会学的なネタにもなるところである。
2010-11-08 10:36:42目から鱗。RT @berutaki: @contractio 対応分析というのはフランスの学者が編み出した手法なんですが、日本ではほぼ同じ手法を林知己夫が数量化Ⅲ類という形で定式化していたんですね。そういうわけで日本では数量化Ⅲ類の方がはるかにメジャーです。
2010-11-08 10:37:29@berutaki 対応分析を使う研究者が日本にもう少しいてもいいですよね 。ブルデュー派のJulien Duval先生の対応分析の授業に出ていたんですが、因子分析との関連で教えていました。
2010-11-08 10:39:23確かに文化の違いは感じる。私はこの点では北米社会学に近いけど、対応分析って検定・推定って発想がないから、結果をどの程度信じていいのかわからなくて論文では使いにくいんだよね。RT @berutaki: もっとも対応分析は英米圏でも近年までほとんど普及せず、いろいろナショナ…
2010-11-08 11:20:33@tarohmaru たしかにそれが一番の違いですね。でも最近は推測的な側面も考慮し始めているようです。 例えば、Le Rouxたちの本の5章で推測に関する問題が扱われています。http://ow.ly/35SWN
2010-11-08 12:04:33@baron__baron @contractio 論文はともかく、まずは研究会報告レベルなら。。。もう少し時間ができれば。
2010-11-08 12:07:15それまでにぼくはコレスポンデンス分析の勉強をしたほうがいいようだな。教科書的にはこれがベストなのだろうか? http://ow.ly/35TaY
2010-11-08 12:10:38ブルデュー読むという前提ならこれがいいとは思います。ただ数学的にはしょってある部分がかえって分かりにくいところも。。。RT @baron__baron: *教科書的にはこれがベストなのだろうか? http://ow.ly/35TaY
2010-11-08 12:20:25@berutaki @baron__baron 私は,Metric Scaling: Correspondence Analysis... http://t.co/7Al8h9A をネタ帳にしています.数学的にはともかく行列が分解できるんだという感じの書き方ですが,学部生には十分
2010-11-08 12:37:41流れには乗れなかったが @berutaki の http://bit.ly/96CK2S は面白かった。 ブルデューは操作的定義ができないから計量研究に失敗したんだと否定的に評価してきたが、逆に操作的定義に合わない理論でもコレスポンデンス分析なら議論を作れると。なるほど。
2010-11-08 16:17:07@han_org @berutaki コレスポンデンスって基本的にはχ自乗みたいな前処理をしてSVDで分解したものですから,そこから議論を作るというと,パッと見の直感からそれらしい話を作るといった感じに聞こえます.それでいいんやら悪いんやら….
2010-11-08 16:42:27@ryuhei_tsuji @han_org そうですね。探索的であるがゆえにこそ、かえってしっかりとした理論的裏付けを考える必要があると思います。
2010-11-08 17:02:52@berutaki @ryuhei_tsuji 理論仮説と実測データを接合する補助仮説がない以上、理論仮説だけをいくら考えてもダメでしょう。ぼくは、でも、人文学としてコレスポンデンス分析から印象論を組み立てるのは悪くないという話だと思ったのだが。
2010-11-08 17:22:20日本の教育社会学でも「学校社会学」という括りでガーっときた時ほとんどの計量研究が「数量化Ⅲ類」で覆われた時期ってありますね。~80年代前半かなあ。あれも学校という社会空間に生息する生徒文化を(因果関係・検定ぬきで)マッピングするという欲望の現れだった,と言われると腑に落ちてしまう
2010-11-08 21:22:45@mnaoto こちら、その後はどうなったんでしょ?<日本の教育社会学でも「学校社会学」という括りでガーっときた時ほとんどの計量研究が「数量化Ⅲ類」で覆われた
2010-11-11 09:46:48@contractio 時期的にきれいに入れ替わるわけではありませんが,その後,イギリス発「新しい教育社会学」ムーヴメントが何年か遅れで入ってきて,学校エスノグラフィー的な研究に座を明け渡していくのではないでしょうか<数量化Ⅲ類的世界のその後。
2010-11-11 21:03:50@mnaoto ご教示ありがとうございます。そのへんの話は 基本的に私の教養の範囲外なんですが、バーンステインなんかがそうなんですかね。
2010-11-11 21:09:21@mnaoto バーンステインのネタもとはブルデューだろうと思うのですが、日本の教育社会学におけるブルデューへの参照も、そのあたりでいっしょに始まったんでしょうか。それともずれているんでしょか。
2010-11-11 21:10:49