ミゾイキクコさんkikutomatuの「戦時中 戦闘についてのニュースでは敵を痛めつけたことを大々的に報じ、日本の損失についてはいつも わが方の損害軽微なり だった。」
大正生まれで兵隊経験の有る人のはなし。長男だった。突撃志願してどやされた。上官に理由をきいてもなにもいわなかった。言えなかったわけ。戦争が終わってからの親の面倒見るべき立場などという事はいえるわけない。日本人最後の一人まで戦うのだというかけごえだったのだから。
2014-05-20 06:04:04私の世代戦地で戦った人の話を直接聞いた世代。はなしてくれたひとたちはすでになくなられているか、生存していてもデジタル機器を使って人々にはなしてくださるひとはいなさそう。聞いた我々はそれをつたえるべきだとおもう。
2014-05-20 06:55:32貧しいことを 清貧ということばにおきかえてしまうことがおおい。ただまずしいだけの人もかなりいる。清貧といえば気高い印象。そこから貧乏をほめることにつながるのかも。なんか変。
2014-05-20 08:59:50私が国民学校の生徒だった時代は軍国主義の時代。軍人の力が国を支配していた。軍人は戦争する人として養成されたひとたち。その中では武器弾薬食料の補給部門はかろんじられたのであろう。そのためもあり多くの兵隊さんが闘おうにも弾薬がなく、また食べ物に事を欠き飢え死にした人がおおかった。
2014-05-21 08:49:14この様に亡くなった方に対しては、政府関係者は過去の政府の行った事について謝罪と慰霊の気持ちで靖国神社に参拝してほしいものだ。それとはちがった意識が感ぜられる。殆どが戦争を知らない国会議員。私が国民学校の生徒だった時の様な空気がただよっている様にかんぜられてしまう。
2014-05-21 09:01:06戦争の最中でも戦争終結後のことはかんがえる人はかんがえていた。勝っても負けても日本は続くのだからそれはかんがえていた。国民の将来考えないような、その瞬間しか考えられない人に国が左右されたら、国民はひげきだ。
2014-05-21 09:28:17日本がらたらびんぼうになり、その日その日を生きるのがやっとになれば、政府のすることに批判する気力も体力もなくなり、戦時中の様なことになるのであろうな。
2014-05-21 09:46:44昭和30年代の私が知っている周りの農家では養蚕と米作が中心。2ヘクタールの田畑を耕している家は大百姓。機械は使わずもっぱら人力。米や野菜の種は自分の家で採る。元手はそんなにかからない仕事だから、潰れるとかなりたたなくなるという事はなかった。
2014-05-23 04:39:14それが 日本の工業化が進み、兼業農家が増え会社で働くのと農業所得の間に収入格差があった。会社で働くようになると、子供は教育をうけさせなくてはとなり、お金が必要になってきた。それまでは農家の人は教育はあまり受けなかっが会社で働くには高等教育をうけるのが有利とかんがえるようになった。
2014-05-23 04:52:38当時は高等教育を受ける人が少なかったから学歴はおもんじられた。いまは大卒がふつうになってしまったが。大卒の価値はぐっと低下。元がとれるかどうかわからない。60年ほど前とはだいぶちがう。
2014-05-23 04:58:36